日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

・日常・創る・彩る・考え・綴る
・フジノ会・探検団・かめの会(俳句)
・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

72候、白露、初候

2018年09月08日 | 総  七 二 候

草の露白し

 

草に降りた露が白く光って見えるころ。
朝夕の涼しさがくっきりと際立ってきます。
 
そろそろお茶も秋の香りになってきました。
実りの季節。歳を重ねると殊の外お茶がおいいいです。


 

 

季節の蔵出し画像

 


早生の栗が顔を出す


水元公園で,黄色に色艶増す!! 9月初旬


9月、乗鞍高原にて

 


両神山 八丁峠方面から

 

龍神の両神山に白露かな  (金子兜太)

 

 


 

平成30年北海道胆振(いぶり)東部地震

 

被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。

亡くなられた方々に心よりお悔やみ申し上げます。

 

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江戸城築城・石曳き(運搬)方法

2018年09月07日 | 総  そ の 他

 1枚の昔の「石曳絵図」から
   どでかい石を、どの様に運搬    

 

 

 

 
江戸城の桜門の内側、本丸の正面入口の巨石

 

 

戸東京博物館(東京150年・企画展)に出かけた。

順次見て行くと、石曳図を見た。

築城するにはたくさんの石材が必要である。

運搬機材のない、その昔どの様に運ばれて来たのか。

霞が関、北の丸付近の勤務が多かったので、いつも江戸城の築造について

”あのどでかい石”は何処から、どの様に運ばれて来たのか?

そんな思いが、一時募った。

 

江戸東京博物館で見かけた絵図、1枚の石曳図

 


帰り来て、PCでの検索調査
試みた。 


皇居東御苑にて
石に紋様が有りますが、藩の「記・しるし」今で言う刻印?であろうか。

伊豆稲取に展示されている畳石。
https://www.travel.co.jp/guide/article/25165/  

 

 

江戸城を築くために、大量の石材の調達が必要となりました。

大名たちは石を運ぶために、それぞれ300~400艘もの石船を準備しなければいけませんでした。

この仕事は2年がかりにもなったそうで、これだけでもひと苦労です

採石場では、石工が金槌とノミで穴を掘って崖から石を切り出し数トンの大きさにします。

それを人夫が修羅というソリにのせて、海岸まで運んでから、石船に積み込んだそうです。

ときには悪天候のこともありました。慶長11(1606)年、

海がしけで、佐賀藩主・鍋島勝茂の石船は120艘も沈没

このほかにも加藤嘉明の船が46艘、黒田長政は30艘もの船が沈没したそうです。

危険が伴う、命をかけての仕事だったのです。

 
 

 

 重さ12トンの巨大な江戸城築城石を総勢200~300人がかりで

豪快に引っ張ります。約400年前の江戸時代、この地で行われていた

百人持ちの石の運搬という史実を再現します。

ぜひ、見に来てください。参加もできます!

 

のHPは、大阪城のことが細に書かれています。 

         1、潮の干満を利用か最大100トンともされる巨石。
2、岡山県牛窓は石切り場でした。

 https://alchemist-jp.at.webry.info/201404/article_29.html  

 

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姫路城と丹後半島、有馬・城崎名湯紀行 /No10

2018年09月06日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

 餘部(あまるべ)鉄橋「空の駅」

 


余部鉄橋は、「明治末期に東洋一の橋りょうとして建設され、

また適切な補修により1世紀にわたりほぼ建設当時の姿を残した貴重な土木遺産」として、

土木学会選奨土木遺産に認定されていました。

ところが、昭和61年鉄橋を通過中の回送列車が突風にあおられ、

車両7両が転落、真下にあった水産加工場や民家を直撃しました。

 余部鉄橋が2010年8月に新しくコンクリート橋となり、JR餘部駅側の3本の橋脚は保存され、

展望施設「空の駅」へと変わりました。

 

香住駅➡鎧駅➡ 餘部駅


山陰本線の地図
香住駅~餘部駅までおよそ、10分の旅でした。

 


香住駅から乗り込みました。右上対面ホーム。


僕も同じ旅の仲間です。
この旅で夏休みの宿題の材料が
イッパイできたと喜んでいた。先ず作文だと・・・張り切っていた。
列車が入ってきました、2両編成。


運転席内部。出発進行!


車両前方からの車窓景色


乗車内部


鎧駅付近の車窓風景


車窓からの岩壁の眺め


鎧駅ホーム


鎧駅、利用客は殆ど無し、ホームの狭いこと。


餘部駅(空の駅)から眼下を見下ろす。高さ41m


餘部駅に観光客が降りました。

 


電車を見送ります。


上3枚、餘部駅風景です。

 

併せ合成写真です。

 

 餘部駅(空の駅)は、急勾配の上り坂を歩行する必要があったため

2017年に全面ガラス張りのエレベーター、餘部クリスタルタワーが誕生しました。

 
高さ41・5メートル、橋長310メートル、
22年にコンクリート橋に架け替えた。

 



今は見る事が出来ない余部鉄橋。
その独特な構造と鮮やかな朱色がもたらす風景は、鉄道ファンのみならず、
山陰地方を訪れる観光客にも人気があった。

 

 


鉄橋解体が展示してあります。

 

 

餘部鉄橋事故、

 昭和61年(1986年)12月28日日曜日午後1時25分頃
鉄橋を通過中の香住発浜坂行き回送列車が日本海からの突風にあおられ、機関車と客車の台車の
一部を残して7両が転落、真下にあった水産加工場や民家を直撃しました。

 

 

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コラム 『筆が止まったとき』

2018年09月05日 | 文学  コラム・エッセイ

『悪魔の辞典』 ピアス著  西川正身編訳

 

 

題名は怖そうですが、

この本は「コラムの書き方」を受講しているときに講師に

勧められた単行本です。

風刺と機知に富んだ社会時評で、アメリカのジャーナリストが、

筆を練った『戯言警句集・冷笑家用語集』です。

文を綴っているとき筆が進まなくなったり、

思考能力が停止、考えが纏まらない時など

1つの語彙から、思わぬ発想・展開になり筆運びが順調になる案内本です。

本棚から取り出して15年ぶりに、開いて見た。

 



モニメントは、東京金町の東京理科大学の正門に在ります。

 

 語彙別、あ・い・う・え・お順に編纂されています。

     1、安 心・・・隣人が不安を覚えているとき、そのさまを眺め
            ている心の状態。

     2、自惚れ・・こちらが嫌がって居る野郎に、見られる自尊心。

     3、会 話・・・二流どころの連中が、お互いに自分の頭脳の中
              身を陳列し合う共進会。

     4、食 欲・・・労働問題に対する 解決策として、神様が 
             思慮深く植え付けて置かれた生き物の本能。

     5、忠 告・・・現在世の中で流通している、最小単位の貨幣。

     6、伝 記・・・小物が大物に捧げる文学上の賛辞。         

     7、美 貌・・・女がそれによって情人の心をトロかす一方、
             亭主の心胆を寒からしめる力。

 

Aさんが、Bさんに悪口雑言をいうので、私は忠告した。

≪駄目だよ・・Aさんそんなにイジメたら如何!!俺があんたに忠告できることは、世の中で流行っている言葉では言えないが、“太郎”という新しい

貨幣なんだ、世界で最小単位の貨幣を見つめ、悪口雑言を反省してくれないか。
貴方の言っていることは世界の片隅のつまらないこと・・・・≫


また同じような語彙を見比べながら、思考の転換を図ることです。
講師は適切な例ではないが、と言いながら
筆が進まなくなったら、こんな一案(解決策の糸口)
有るのだ・・・と
教えてくれた。

 

語彙の機知・風刺から思わぬヒントが出て来て、進まなかった
筆が少しづつ動き出すと言うものです。

 

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姫路城と丹後半島、有馬・城崎名湯紀行 /No9

2018年09月04日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

城崎温泉散策と外湯

 
 
城崎名物といえば「外湯めぐり」

外湯めぐり発祥の地と申してもよいでしょう。
遥か昔から城崎の人々は宿を客間、
道を廊下とし湯治に訪れた人々を町全体でもてなしました。
この精神は今でも変わらず息づいています。
宿についたら浴衣に着がえ
ゲタを鳴らしてお気軽に出かけるとよいでしょう。
旅の疲れで7湯あるうちの2湯しか入れませんでした。
地蔵湯・柳湯

 


満願湯するには至難の業です

 


城崎温泉は浴衣と下駄が似合う街

 
 


7時から打ち上げ花火もありました。

 

  温泉街の中央を流れる大谿川とやなぎ

 
山陰本線トンネル先は豊中方面


外湯、一の湯近くの歪曲欄干の橋

 


外湯地蔵湯近くの地蔵橋

 

・ 城崎は皆が仲良くなれる街  (縄) 

   ・ 浴衣着てからころからと下駄鳴らし (縄) 

 

 DB城崎温泉散策・・

 

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小岩用水とポエム

2018年09月03日 | 文学  川柳、短歌 俳句 詩

モニメント
水の力で球が回転する

 

 

小岩用水跡地


水圧により玉がグルグル何時も廻っています。

 

ここは、かっての小岩用水跡です。

水元小合溜井(潅概用水池)を源とし、本流は現在の京葉道路付近まで流れていた。
この間に柴又、高砂、小岩、篠崎の田地田畑を潤した大変農業に役立った。

およそ2間の幅の水路をとうとうと水が流れ、農科にとって大切な水路でした。
玉の回るこの地は、現在の金町交通公園の入り口で、長次郎橋が架けられていた。

橋下間もなく下流の地を柴又用水として左に折れ、水路となりその面影を柴又駅前、
帝釈天参道入口の「帝釈橋」として見る事が出来ます。

 

 

 

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72候、処暑、末候

2018年09月02日 | 総  七 二 候

黄金の波

大分凌ぎ良くなりました

 

山陰旅行でバスの中から眺めた稲穂の波は綺麗でした。

「禾=こくもの」とは、穀物の事。秋になりさまざまな穀物が実る、

という意味です。

青々としていた水田も徐々に金色に染まり、新米も出回りはじめる、

まさにそんな時期。

処暑という言葉ですが「処」とは止まると言う意味で、

つまり「ようやく暑さが収まり、和らいでくる頃」を意味しています。

今日は、処暑末候です。

 

            禾 (アワ)  植物。イネ科の一年草,園芸植物

             (イネ)  稲  禾とは(読み)「か」「のぎへん」穀物の総称。    

 


今回の山陰地方で見かけた黄金の波

 

 

・ 黄金波農家丹精笑みこぼれ  (縄) 

 ・ 暑いなぁ連発の声消え止みて  (縄)

 

 

 

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体力の衰えを傍らに、大地を踏みしめながら

2018年09月01日 | 総  未分類

人生100年時代・林住期から游行期
& 終末医療

=死生観=
 

 

 

 

 

「林住期」五木寛之著、読み終えて納得した。

ラジオ深夜便9月号を開いた。

ラジオ千一夜で「百歳人生折り返し」で、又も五木氏が語っていた。

もう1つ「南杏子著・『穏やかな終末』を読み、合点した。

静かなブームとの事でした。

 

 

林住期」、人生のピークと言うのは無謀だろうか。

人生前半の50年は、世のために働いた。50歳から75歳までの25年間。

後半人生こそが、人間が人間らしく自由気ままに社会に迷惑かけないように、

自ら人生を生きるべきであると語っている。

読み終えて納得・了解・合点した。

1、学生期・・25歳ころまで

   2、家住期・・25歳から50歳ころ

 3、林住期・・50~75歳ころ

                            4、游行期・・75歳以降

 

100歳人生を箱根駅伝に例えるならば、

折り返し地点(人生の頂点)を箱根の山で迎え、いま復路を下る。

林住期の始まりで、あまり全速力で走るより、ゆったり周りの景色を楽しみたい。

往路が1回目の人生であるなら、復路折り返は二回目の人生の事始め。

 

 旅に出ることなく、游行の人となる。
  これから70代、80代の新しい人生の選択。


 

  游行期という人生を考え思い返してみると、自分自身の欲望をかなえるだけでなく、

大切な人に負担を掛けない生き方の選択なのであろう。

これは自らを大事にするとともに、周辺の人・伴侶を大切にすることである。

 明日を見つけて、元気なアクティブシニアでありたい。

自治体の掲げる“生涯自立”のコンセプト「食事」「運動」「生きがい」をそれぞれ

研究し、実践し、アクティブに生きることこそ大切である。

セカンドライフ(第二の人生)を考えるとき、多くの自治体で生涯学習や情報交換

の場、さまざまな催しや
イベント、ビジネスが展開されている。

行事にアクテブに参加することでしょう。

100歳人生社会は新たな道筋、一歩一歩ゆっくりと未知の世界に

足を踏み入れようとしています。 


 

◎ 0代に入ったら、先ず一人になってみる。
  人間最後は、一人で死んでいく覚悟することである。

 

『穏やかな終末』≪サイレント・ブレス≫・南杏子著が多くの人達に読まれている。

終末医療・看取る医療が必要と説いている。

サイレント・ブレスとは、「静かな息」『穏やかな息』という意味だそうです。

           

 

死は負けではなくゴールである。

―――ガンの権威であった、名誉教授が末期がんに侵され、

患者自身が「治らないから無駄な延命はするな」と、治療や点滴を全部拒否した。

この老教授は「治療はいらん、動物は食べられなくなったら死ぬ」という

人間の原点に戻った発想である。

印象的な言葉で、元気である内は、どんな治療も効く。

海上や地面すれすれに飛ぶ飛行機は、墜落する危険が大きい。

それと同じように倒れ掛かった家に、つっかい棒をしたり、

壁を塗り替え、屋根を修理するよりもより、

寄り添う治療(サイレント・ブレス)が大切であると説いている。

大きな重機を入れて、家をつぶしてしまうような医療ではありません。

著者は「人は必ず死ぬ。死を受け入れる医師が必要、患者を愛してあげよ!」 

そこで「延命」を主な目的にせず、

医者は患者の身体に出来うる限り、痛みを与えない緩和ケアを行う。

そうすることで、患者に安らかな最期を迎えてもらう。

これが終末期医療の在り方だと、著者は言い切っている。

 

死のゴールから逆算して、少しでも心地よい終末医療を心掛けたい。

残された時間を楽しみたい。減塩など制限食でなく美味しく味合う、お酒やたばこも

楽しみたい、苦しいリハビリは無理をすることはない。

僚に、腎臓がんで逝った人がいる。担当医に直言した。

私は「タバコ大好き人間です。吸わせて下さい」と言い切り、

息を引き取るまでタバコを吸ったと言う。

 

五木寛之著「林住期」と、南杏子著・『穏やかな終末』が
NHKラジオ深夜便9月号に、解説付きで掲載されていたので貪るように読みました。・・だが、私の意見は1つも述べていない。

一言だけ言うならば、
「静かな息」『穏やかな息』
老教授の「治療はいらん、動物は食べられなくなったら死ぬ」の、
意見に従いたい。

 

 私もの存在は信じたいと思います。


≪人は死なない≫

https://www.youtube.com/watch?v=HLVeGlGYdEw

 

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五行歌

2018年09月01日 | 文学  川柳、短歌 俳句 詩

大地から「気」を貰う

 

 

 

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