私の映画玉手箱(番外編)なんということは無い日常日記

なんということは無い日常の備忘録とあわせ、好きな映画、韓国ドラマ、そして
ソン・スンホンの事等を暢気に書いていく予定。

〇〇のために・・・

2019-08-31 20:46:46 | 韓国語レッスン(面白い話)
 
今日は、夏休みで韓国に里帰りしていたSさんと久しぶりの韓国語レッスンだった。
 
お盆前はやっぱり韓国も暑かったようで、明洞で撮った写真を見せて貰ったのだが、買い物客でごった返すという雰囲気でもない。「やっぱり暑いから買い物する人が少なかったんだと思う。」というSさん。
無印やユニクロも「買い物している人は少し少な目だったかも....」との事だったが、誰も買い物していないという風でもなかったらしい。
 
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少し前のニュース番組で紹介されていた韓国の街角のインタビューで「国のために・・・」という言葉で今回の出来事について語っていた若い人がいた。『(今回の一連の不買運動などは)意味がないという人もいるが、国のために何が出来るか考えたら、やっぱり活動すべきだ」というニュアンスの話だったと思う。
 
この話を聞きながら、以前もこの「〇〇のために」という話を色々考えた事を思い出す。
 
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以前ブログで書いた内容。関係ある部分のみ・・・
 
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今回の件だけでなく、韓国の芸能人の人が何か寄付をしたという話題は結構芸能ニュースで取り上げられる。寄付のことが話題に上がるたびに、以前韓国語を教えてくれたYさんとこんな話をしたことを思い出す。

「この間、○○のためにという例文を作りましょう。国のために○○するという例文を作ってください。といったら、生徒さんが皆困ったような顔をするんです。そんなこと考えたことないって。幾ら勉強のための例文作りってといっても、国のためになんて考えたこともないから・・・例文が出来ないって言っているのを聞いてびっくりしました。」

「韓国では、国のために、更には誰かのために役に立つにはどうしたらいいかと考えられること、それを意思表示できることが大人としての資格と考えられているところがあるんです。特に芸能人に対してはそれを望む気持ちが大きいんです。だから何かあったときに寄付する芸能人も多いし、『自分はこういう気持ちで寄付をしました。』って報告する芸能人も多いんだと思います。」

大体Yさんの話はこんな感じだったと思う。

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Yさんは「国のためにということを考えたことがない」という生徒さんの言葉にショックを受けていたようだったので、「私達はまず自分で出来ることはなにか。誰かのためにというより、まず自分がどのような行動を取るべきなのかと考えることが多いと思う。そういう風に自分でまずキチンとすることを考えて、それを行動すれば、それが結局は周りの人に対してもいいことになると考えることが多いと思います」
私は拙い韓国語でそんな風に日本人の気持ちを説明したような気がする。

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今も国のために何か出来るかというより、皆、自分が今出来ることは何かを考えている人が多いんじゃないかと思う。

(以前書いたブログの内容はここまで・・・)

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この「〇〇について」は、今も私の考え方は変わっていない。
当時、Yさんは私の韓国語は理解してくれたようだったが、意味はちょっと通じていないようだった。
これに限らず、言葉は通じても、意味が通じないということは、時々あることだ。常識も違うし、考え方も違えば当然だと思う。