中国に経済発展と貿易拡大が続けば、間違いなく中国は開かれた国になり、民主的国家に変わって行くと言うのが、アメリカの一般的な中国感である。
すなわち、
①今の中国は共産党の支配下にある。
②中国には中産階級が形成されつつある。
③この二つの勢力はやがて衝突し、中産階級が共産党に迫って民主主義を実現させる。と言うものである。
しかし、これは、全く「気休めのシナリオ」に過ぎない。
今から四半世紀後の中国は、確かにより豊かで強力な国になっているだろうが、依然何らかの形の独裁国家に止まっている可能性は高く、今と同じ様に、組織的な反対党の活動を許容しないであろう。
アメリカは、中国を間違ったパラダイムで扱ってきた。アメリカ政府当局者は、中国の将来についての極めて疑わしい前提に基づいて、日々の政策を実施しているのである。
このように結論付けて、中国の将来について、その民主化について非常に懐疑的で、経済政策の開放政策とは裏腹に、政治的には非常に危険な民主主義に逆行した一党独裁政治を継承すると主張するのは、前のロサンゼルス・タイムス記者で外交評論家のジェームス・マン氏である。
確かにそう言われてみれば、中国の経済成長と躍進の姿しか見えておらず、その背後にある政治的な動きについては、何か特別な動きがない限り、殆ど表面には出てこないので分からないし、関心が薄い。
中国が、これまで通り政治的抑圧を続け、アメリカとの軍事的衝突を避けて経済の発展に精力を注ぎ国力を涵養し続ける、ソ連のようにバカな冷戦型の対決はしないであろう。
選挙を実施しないのは、権力を握っている共産党のみならず、現体制に依存して様々な特権や経済的利益を享受する人々がいるからである。しかし、中国共産党には、指導部内の抗争を解決する確立した方法がないなどを含めて、このような中国の現在の非民主的な体制が内包する不安定が、中国だけではなく世界全体にとっても非常に深刻な問題となる可能性がある。
マンは、更に、地球上の何処でも良いから、独裁者に目を向ければ、そこには必ず中国からの支援の手が伸びていると指摘する。
ジンバブエのロバート・ムカベしかり、ミャンマーの軍事政権しかり、ウズベキスタンのイスラム・カリモフ大統領、スーダン政権しかりである。
中国がこうした独裁国家に対して、民主主義などと言うのは西洋に特異な概念で欧米が好き勝手に押し付けているに過ぎないと、独裁制維持のイデオロギーを提供し続けていると言うのである。
自国民に対しても、自由化への動きは勿論、法輪功への徹底的な弾圧を筆頭に、ダライ・ラマが史上最悪の緊迫と言うほど酷いチベットなど少数民族への弾圧など、恐怖政治が収まるところを知らず、これらの観点などから、中国のミャンマーなどに対する対応を直視すれば、中国の戦略が克明にはっきりと見えてくるのが興味深い。
マンの言うアメリカの能天気外交に影響されている日本も、もう少し賢くなって考えなければならないのかも知れない。
マンは、このような中国の真の姿を見ずして、中国が経済成長を続けながら民主化するとして、中国に対して「関与engagement」や「統合integration」などの戦略で中国に対峙してきた米国政府に対して、国民にどう謝罪するのかと詰問までしているのである。
マクドナルドのある国とは戦争しないとか、デルが操業している国とは戦争はあり得ない言うことが言われたことがあるが、マンは、スターバックスが有るからと言っても中国では一握りの人間が享受するだけで信用出来ないと言う。
マンが主張したかったことは、
「中国は絶対に路線変更を行う筈がなく、今から30年たっても中国が依然として抑圧的な一党独裁体制を維持し、それでも国際社会で重きを置かれる国になっていたとしたら、その場合の中国は、世界中の独裁者、軍事政権、非民主的政府のモデルとなるとともに、間違いなくそうした国々の大きな支えとなっている。」と言う心配で、アメリカ民主主義への重大な挑戦であり脅威となると言うことである。
ところで、この本の末尾で、翻訳者の渡辺昭夫氏に、高木誠一郎青山学院大教授と畠山圭一学習院大教授が加わった興味深い「中国はどこに向かうのか」と言う座談が掲載されていて、ダニエル・ベルやハンチントンを引用しながら、中国モデルを、アメリカ型とは違った非西洋的な成長モデルとして捉えている箇所があって示唆的である。
確かに、マンの言うアメリカ型民主主義が絶対に正しいのだと言う前提を離れて考え、今後の推移が未知数である独裁制経済発展型の中国モデルが、今現在において破竹の勢いで成長路線を突っ走っていることは事実であり、インド型の経済発展理論も含めて文明の発展の推移を考えるのも面白いかも知れないと思っている。
すなわち、
①今の中国は共産党の支配下にある。
②中国には中産階級が形成されつつある。
③この二つの勢力はやがて衝突し、中産階級が共産党に迫って民主主義を実現させる。と言うものである。
しかし、これは、全く「気休めのシナリオ」に過ぎない。
今から四半世紀後の中国は、確かにより豊かで強力な国になっているだろうが、依然何らかの形の独裁国家に止まっている可能性は高く、今と同じ様に、組織的な反対党の活動を許容しないであろう。
アメリカは、中国を間違ったパラダイムで扱ってきた。アメリカ政府当局者は、中国の将来についての極めて疑わしい前提に基づいて、日々の政策を実施しているのである。
このように結論付けて、中国の将来について、その民主化について非常に懐疑的で、経済政策の開放政策とは裏腹に、政治的には非常に危険な民主主義に逆行した一党独裁政治を継承すると主張するのは、前のロサンゼルス・タイムス記者で外交評論家のジェームス・マン氏である。
確かにそう言われてみれば、中国の経済成長と躍進の姿しか見えておらず、その背後にある政治的な動きについては、何か特別な動きがない限り、殆ど表面には出てこないので分からないし、関心が薄い。
中国が、これまで通り政治的抑圧を続け、アメリカとの軍事的衝突を避けて経済の発展に精力を注ぎ国力を涵養し続ける、ソ連のようにバカな冷戦型の対決はしないであろう。
選挙を実施しないのは、権力を握っている共産党のみならず、現体制に依存して様々な特権や経済的利益を享受する人々がいるからである。しかし、中国共産党には、指導部内の抗争を解決する確立した方法がないなどを含めて、このような中国の現在の非民主的な体制が内包する不安定が、中国だけではなく世界全体にとっても非常に深刻な問題となる可能性がある。
マンは、更に、地球上の何処でも良いから、独裁者に目を向ければ、そこには必ず中国からの支援の手が伸びていると指摘する。
ジンバブエのロバート・ムカベしかり、ミャンマーの軍事政権しかり、ウズベキスタンのイスラム・カリモフ大統領、スーダン政権しかりである。
中国がこうした独裁国家に対して、民主主義などと言うのは西洋に特異な概念で欧米が好き勝手に押し付けているに過ぎないと、独裁制維持のイデオロギーを提供し続けていると言うのである。
自国民に対しても、自由化への動きは勿論、法輪功への徹底的な弾圧を筆頭に、ダライ・ラマが史上最悪の緊迫と言うほど酷いチベットなど少数民族への弾圧など、恐怖政治が収まるところを知らず、これらの観点などから、中国のミャンマーなどに対する対応を直視すれば、中国の戦略が克明にはっきりと見えてくるのが興味深い。
マンの言うアメリカの能天気外交に影響されている日本も、もう少し賢くなって考えなければならないのかも知れない。
マンは、このような中国の真の姿を見ずして、中国が経済成長を続けながら民主化するとして、中国に対して「関与engagement」や「統合integration」などの戦略で中国に対峙してきた米国政府に対して、国民にどう謝罪するのかと詰問までしているのである。
マクドナルドのある国とは戦争しないとか、デルが操業している国とは戦争はあり得ない言うことが言われたことがあるが、マンは、スターバックスが有るからと言っても中国では一握りの人間が享受するだけで信用出来ないと言う。
マンが主張したかったことは、
「中国は絶対に路線変更を行う筈がなく、今から30年たっても中国が依然として抑圧的な一党独裁体制を維持し、それでも国際社会で重きを置かれる国になっていたとしたら、その場合の中国は、世界中の独裁者、軍事政権、非民主的政府のモデルとなるとともに、間違いなくそうした国々の大きな支えとなっている。」と言う心配で、アメリカ民主主義への重大な挑戦であり脅威となると言うことである。
ところで、この本の末尾で、翻訳者の渡辺昭夫氏に、高木誠一郎青山学院大教授と畠山圭一学習院大教授が加わった興味深い「中国はどこに向かうのか」と言う座談が掲載されていて、ダニエル・ベルやハンチントンを引用しながら、中国モデルを、アメリカ型とは違った非西洋的な成長モデルとして捉えている箇所があって示唆的である。
確かに、マンの言うアメリカ型民主主義が絶対に正しいのだと言う前提を離れて考え、今後の推移が未知数である独裁制経済発展型の中国モデルが、今現在において破竹の勢いで成長路線を突っ走っていることは事実であり、インド型の経済発展理論も含めて文明の発展の推移を考えるのも面白いかも知れないと思っている。