熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立演芸場・・・中席:歌丸の「塩原太助一代記」

2016年04月15日 | 落語・講談等演芸
   熊本は大変だが、関東は、今日は、久しぶりに良い天気で、昼に、国立演芸場で、歌丸の「塩原太助」の「出世話」ほかの中席を楽しみ、その後、いつものように神保町に出て書店をはしごして、夕刻に、国立能楽堂に行って、観世清和の能「朝長」ほかを鑑賞した。
   千葉にいながら、震度6弱の激震を受けて、大型の食器棚や本棚が総崩れで、家の中が無茶苦茶になって長い間苦しんだ3・11を思い出しながら、熊本の人々の苦境を思い、鑑賞もそこそこであった。

   さて、今回の国立能楽堂の中席は、歌丸の「塩原太助一代記」なので、相変わらずの人気で、満員御礼であった。
   前回は、「青との別れ」までであったのだが、今回は、「出世噺」で、「道連れ小平」、「戸田の屋敷」、「山口屋ゆすり」 、「四つ目小町」などを一挙に纏めて、
   「本所に過ぎたるものが二つあり、津軽大名炭屋塩原」と囃され、津軽大名の十万石越中守さまと並び称せられるまでの大成功噺を語り切った。
   勿論、原作の圓朝噺は、何時間もかかる長丁場なので、50分の歌丸噺では、大ナタを振るっての省略があるのだが、流石に、歌丸で、流れるような名調子で、感動的な太助の出世噺を語った。

   歌丸が、語らなかったのは、例えば、
   愛馬青と別れて江戸に向かう途中、道連れ小平に出会い身ぐるみはがされて乞食同然の格好になって親元を訪ねるのだが、この小平との事件や、
   山口屋の荷主である下野の吉田八左衛門が急病で倒れたため、山口屋の掛金80両を、悴の八右衛門が代わりに取りに行くことになり、証拠となる手紙と脇差しを持って出立するのだが、この小平が、この証拠物件を奪って、先回りしてゆすり取ろうとするのを、太助が見破って阻止し、これに感じ入った八左衛門が、将来店を出す時には千両の荷を出してやると約束した噺、
   などかなりあるのだが、細かい込み入ったサブストーリーなどが縦横に絡まった圓朝の噺をそのまま語っても、聞く方は混乱するだけなので、これで十分である。
   余談ながら、歌舞伎バージョンでは、初演時に、五代目尾上菊五郎が多助(太助)と小平の二役を兼ねたと言うことで、この小平が、良い役どころのようであり、圓朝も、この菊五郎の舞台を観て助言を与えたと言うから面白い。

   私など、恋は苦しいものだと思っているので、ほんのりとした恋物語が好きであり、もう少し太助の嫁とり話をして欲しかったと思っている。
   本所相生町に店を出し、炭くずやたどんを工夫して、俵買いであった炭の量り売りを初めて繁盛し、身を粉にして働く多助の人柄に、四つ目の富商藤野屋杢左衛門とお花親子が惚れ込んで、多助のところへ嫁に行かせたく行きたくて、出入りの樽買いに仲に立ってもらった。多助がその話を聞いて、金持ちは嫌だと断ったので、樽買いの娘なら良いのかと聞き、何一つ持たずに来るなら良いと言ったので、樽買いの娘として、四つ目一の美女お花は、恋い焦がれた多助の嫁になったのである。

   この太助だが、20万両を投じて、実家を再興し、自分を殺害して家を乗っ取ろうとし、太助の嫁であった自分の娘を愛人の息子の嫁にしようとしたりして散々悪事を働いた継母おかめを引き取って、終生世話をしたと言うことである。
 
   この日、三遊亭遊雀、雷門助六、桂竹丸などが、落語を語ったが、いつもこの国立演芸場で語っている同じまくらやネタを鸚鵡返しで、それに、演題そのものも大したこともなかった。
   正に、上質高度な圓朝の存在を思えば、興ざめであったのは勿論、歌丸が知っているのか知らないのか、マンネリ以前のこんなことを続けていると、江戸落語の将来も危ういであろう。

   むしろ、コントの山口君と竹田君が秀逸で、田舎のさびれた旅館の客と番頭とのコミカルな対話が、地球温暖化、環境破壊をだしにして面白かった。
   旅館の質とサービスの悪さを、宇宙船地球号を守るための言い訳にすると言う奇想天外な話が、世相を反映したアイロニーで、これこそ、質の高いお笑いである。
   漫才のWモアモアも、とりとめもない話をしているのだが、ボケと突っ込みの対話が絶妙で、語り口が、ユニークで面白く、今回は、落語よりも、こちらの方が面白かった。
   桧山うめ吉の俗曲は、一幅の清涼剤で、何時も楽しんでおり、この日は、夜桜を、しっぽりと情緒豊かに踊った。

   とにかく、この国立演芸場の「上席」「中席」のシルバー料金が、1,300円なので、歌丸などスターが登場する時は必ず、そのほかは、時間が余って機会が出来ると出かけるのだが、結構、楽しませてくれるのである。
   暇な年配客が多いのだが、奇麗な和服姿の麗人も観客の中にいて、捨てたものでもないのである。
   



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする