国立能楽堂で、企画公演「寺社と能」として、薪猿楽を守り続けていた春日神社の「咒師走りの儀」で演じられる「翁」と、春日神社に関係のある狂言「末広がり」と能「春日龍神」が、上演された。
夫々、大変な意欲作品で、上演時間も普段の公演より、1時間以上も超過する国立能楽堂主催では、珍しいプログラムであった。
大変期待して出かけたのであるが、強風による運行トラブルで、東横線が異常に遅延したために、開演時刻に間に合わなかったので、「翁」の翁舞が終わるまで入場が許されず、初っ端から困ってしまった。
能にあって能にあらずと言われている「翁」は、式能などで何度か鑑賞しているが、今回の「翁」は、春日神社の特別な演出で、「式三番」の原型とされる翁(白式尉)、三番三(黒式尉)に父を加えた「父尉延命冠者」の形式で演じられる金春流の特別公演だったのである。
(翁・父尉/金春安明、翁/高橋忍、金春憲和、千歳・延命冠者/茂山茂、三番三/大蔵彌太郎など)
その意味でも、非常に期待していたのだが、能楽堂に着いた時には、既に開演されていて、「翁」の公演としては、当然、見所への入場は禁止で、待合ロビーのモニターの前に導かれた。
翁たちの「どうどうたらりたらりら」の祝歌から、千歳の舞、翁の荘重な「天地人の舞」など翁舞が終わって翁たちが退場して、三番三が登場する前まで、45分間肝心な部分をモニターでしか鑑賞できなかった。
開演時間に間に合わずに、入場できずに困った経験は、海外では結構あって、最も残念であったのは、ニューヨークのメトロポリタン・オペラで、シュトラウスの「ばらの騎士」で、パバロッティのイタリア人歌手をミスった時で、これを聴きたくてMETへ行ったようなものだったので、暗い地下室の良く見えないモニター画面が恨めしかった。
もっと厳しいのは、あのイタリアのベローナのアリーナ(ローマの野外劇場)で、トーランドットを観ていて、休憩時間後の開演に遅れて、ホセ・クーラの「寝てはならない」を聴き損ねかけたことである。この時は、平土間の自分の席には帰れずに、強引に交渉して最上階の観覧席から入ってどうにか聴けたのだが、あのモラル軽視で融通無碍のイタリアで、それも、壮大な野外劇場のことなので、世界には分からないことがあるのだと肝に銘じた苦い思い出である。
ウィーン国立歌劇場で、虎の子の大晦日の「こうもり」のチケットを手に入れながら、これも遅れて、あの序曲を聴き損ねてしまった。
さて、この国立能楽堂だが、私のように遅れた観客は、20人くらいいて、あの宮本亜門もいたから例外なく入場をシャットアウトしたのであろう。
「翁」だけは、開演中は、見所への出入り禁止は、決まった規則であり、これには、全く異存はないのだが、問題なのは、モニターの劣悪な状態である。
モニターは、50インチくらいであろうか、写っている画面は、2~30年前の地上放送のテレビ画面と全く同じで、はっきり見えないのみならず音声も極めて劣悪で、鑑賞に堪えないのである。
それに、カメラが、正面右に寄り過ぎて定置固定されていたので、大切な舞台上の面掛けのシーンが、ワキ柱が邪魔して見えず、能楽堂の見識を疑わざるを得ない。
さて、この程度の液晶テレビなら5万円もしないし、受像用のビデオカメラでも10万円も出せばまともな機器を買える筈で、その気になれば、10万円一寸の出費で、4Kとは言わない、家庭の地デジやBS放送のテレビ画面くらいのハイビジョン映像を映せるので、せめて、それくらいの思いやりとサービスは必要であろうと思う。
この劣悪なモニターを観ながらも、一人の老年の男性客が、後の人が紙袋の音を出しただけで、そして、途中、前を通って席に着いた人に、厳しく怒っていた姿を見れば、客の中には、どんな思いでモニターにしがみ付いているのか、分かろうと言うものである。
蛇足は避けるが、ハイビジョンとハイレゾが、当然の時代に、能狂言を楽しみたいと思ってやってくる、ある意味では、天然記念物(?)のように貴重な観客に、一寸、遅れて来たからと言って、ほんの2~30メートル離れたところで演じられている舞台を、2~30年前のテレビ画像のようなモニターを押し付けて観させると言うことが、適当なことなのかどうか。日本芸術文化振興会の見識以前の誠意と常識を疑われるのではないか言うことである。
さて、この「翁」の舞台は、襲名なった大蔵彌太郎の三番三を観ただけなので、何とも言えないが、彌太郎は一世一代、大変な熱演であった。
この日は、後の狂言「末広がり」も、そして、能のアイ狂言も、父の大蔵流宗家彌右衛門を中心に宗家一門が勤めて、素晴らしい舞台を見せていた。
能「春日龍神」は、金剛流の「龍神揃」なので、後場には、大きな龍を頂いた白頭のシテ龍神(宇高通成)に、ツレ龍女2人(種田道一、廣田幸稔)、赤頭のツレ龍神6人(豊嶋晃嗣、宇高竜成、山田夏樹、惣明貞助、小野義朗、漆垣謙次)が加わって、舞台と橋掛かり一杯に華麗な舞を披露する素晴らしい舞台であった。
高山寺のワキ明恵上人(殿田謙吉)が、釈迦への思慕の念深く、『大唐天竺里程記』をつくり、天竺へ渡って仏跡を巡礼しようとしたのを、春日明神の神託のために断念したと言う話を主題にした能である。
この明恵上人の高山寺は、何度か訪れているのだが、鳥獣人物戯画で有名のみならず、縄床樹に端座する明恵上人を描いた紙本著色明恵上人像 「樹上座禅像」も、独特なデザインと絵なので、よく覚えている。
栂ノ尾の高山寺へは、高尾の神護寺とともに、嵐山から北へ向かう街道沿いにあって、一寸、京都の奥座敷と言った風情で、四季を通じて美しかった。
現状を示すため参考に、モニターの映像を、修正に修正を重ねた数ショットを掲載しておく。
翁が3人登場する珍しい舞台である。