熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

納富 信留 著「プラトン哲学への旅: エロースとは何者か」(1)

2024年09月30日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   プラトンの「饗宴」はまだ読んではいないのだが、手っ取り早くと思って、『饗宴』のなかに、語り手の「私」(「現代からの客人」)が列席し、ソクラテスら演説者たちと「愛(エロース)」をテーマに競演する、類を見ない教養新書 だというので手に取った。「愛(エロース)」と言うと、何となく色っぽい感じがするのだが、「哲学(フィロソフィア)」という言葉は「知(ソフィア)」を「愛し求める(フィレイン)」という意味の合成語であって、哲学=愛であることが説かれているという。 

   私が知っていたのは、ギリシャ喜劇詩人アリストパネスの話、人間がゼウスに真っ二つに分断されたという話である。
   かって人間は球形をしていて、手足が4本、顔や生殖器が2つあった。男性と女性、その2つに加えて、両性を具有するアンドロギュノスと呼ばれる男女の三種類が居て、それぞれが太陽、大地、月の子だった。その人間が、腕力が強くて傲慢で放埓のあまり、神々に戦いを挑んだので、怒ったゼウスは、人間を半分に切断して力を弱めておとなしくさせた。
   人間は、その頃の記憶から、自身の片割れを常に探し求め、抱擁してできるだけ一緒に居たいと欲し、その喜びを求めている。
   エロースとは、人間が「全体」という本性を要求するその統合者であり、治癒者なのだ。と言うことである。

   難しい話はともかく、アリストパネスは、パートナーが死んだら、別のパートナーを求めていくと言っているので、この人でなければならない掛け替えのない人、自分の本当の片割れを求めるというのではなく、また、個人と個人の愛が問題なのではなく、あくまで、種族の間で愛が成立することが説明されている。のである。
   エロースは、自分にはないもの、より美しくより素晴らしいものを希求するのであるから、求めるベターハーフは、自分より美しくて賢い者であってしかるべきだと言うことであろうか。
   自分の片割れだと言われると、一寸逡巡するが、これでホッとした。

   私は、一目ぼれというか、直覚の愛を信じている。
   この話とアリストパネスの愛とどんな関係があるのか分からないが、自分の片割れ、ベターハーフを探し求めるという話は、非常に面白いと思っている。

   議論は、美しい神エロースを讃嘆する弁論の競争から、美を求めるエロースの真理を語る哲学の吟味へ、美の賛美から愛の本質へと展開されていくのだが、
   途中で、脱線してしまったが、次にソクラテスのエロースについて考えたい。
コメント
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