熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

六月大歌舞伎・・・「ヤマトタケル」

2012年06月12日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の歌舞伎は、亀治郎の猿之助襲名に伴って、猿翁、中車、團子の同時襲名が実現して、歌舞伎座さよなら公演以降最高の賑わいであるが、どちらかと言うと、メディアの報道は、亀治郎の猿之助よりも、香川照之の中車襲名での歌舞伎初お目見えの方に脚光が当たっている感じである。
   断絶していた親子の邂逅とも言うべき劇的な和解と芸の継承が実現したのであるから、正に、日本人好みのエポックメイキングな話題であり、素晴らしいことであった。

   襲名口上の組み込まれた昼の部のチケットは、瞬時に完売と言うことで、あまり熱心でもない私など手にすることが出来ずに、夜の部の「ヤマトタケル」だけ観劇した。
   先の猿之助の「ヤマトタケル」は、海外に居たので見ておらず、実際に観た舞台は、7年前の市川右近の舞台なのだが、今回も、久しぶりに、蜷川幸雄の少し以前の色彩的でドラマチックな舞台をミックスしたようなスケールの大きなオペラを観ているような雰囲気で、大いに楽しませて貰った。
   シェイクスピアのような深みのある台詞で、ワーグナーのようなスケールの大きな歌舞伎本来の面白さを生かした脚本を書いてくれと頼んで出来上がったのだが、
   それに、哲学者梅原猛の、草創期日本の誕生への史観とも言うべき思い入れが垣間見える、歌舞伎としては珍しい程の思想性を秘めたスケールの大きなお伽の世界の物語であり、それを、三代目猿之助が、創造性を駆使してドラマチックでスペクタクルなスーパー歌舞伎の舞台として仕上げたのであるから、楽しくない筈がないのである。

   ところで、梅原猛著「ヤマトタケル」を読んだのだが、猿翁が言っているように、原作通りに演じると9時間もかかると言うことで、実際の舞台は多少省略されて、4時間のダイジェスト版になっているのだが、大筋は立派に踏襲されている。
   しかし、原作から省略された部分で非常に興味深いのは、
   ヤマトタケルが、埋葬された墓場から白い鳥となって飛んで行き東の海の方向に向かうので、それを、兄橘姫(笑也)が、自分たちを見捨てて飛び去ると思って必死になって追いかけ、怖がるワカタケルの手を引っ張って海に入り込む。途中で、白い鳥は向きを変えて陸の方に向かい、兄橘姫の言うとおりに大和へ帰って行く。
   このくだりで面白いのは、兄橘姫の長い独白台詞で、自分に愛想をつかして弟橘姫(春猿)のところへ行くのだと思って、嫉妬や思い詰めた恨み辛みを滔々と述べるのだが、大和へ帰ると知ると、尾張の売女にも、海の底の妹にも勝った勝ったと有頂天になる。

   余談だが、梅原大先生が、どこで女心を勉強されたのか、このほかにも、蝦夷征伐後の帰国の途中、速水の海上で大嵐にあって難破しそうになった時に、弟橘姫が、ヤマトタケルを助けるために人身御供となって海に沈むのだが、実は、そうではなくて、ヤマトタケルについていても兄橘姫が正妻であり皇后に成れないので、それなら、ここで見切りをつけて、海の神が見初めて夢に見た皇后に迎えると言うのであるから、皇后に相応しい24枚の畳を海に投じさせて入水すると言う設定で、これも面白い。
   平成に入ってからの舞台では、兄橘姫は笑也が、妹橘姫は春猿が、それに、伯母の倭姫は笑三郎が、夫々、演じているのだが、非常にムード豊かで役柄を際立たせていて、この3人の女形の素晴らしさは特筆すべきかも知れないと思っている。

   ついでながら、この梅原原作と、実際の舞台と雰囲気が大分違うのはエンディングの扱い方で、ひつぎの皇子の宣旨を受けるためにワカタケルや兄橘姫たちが揃って宮中に向かうラストシーンで、古墳が割れて白い鳥になったヤマトタケルが、永遠に天翔ける鳥として飛び立って行くのだが、中空に舞い上がろうとする直前に、ヤマトタケルの語る台詞が、原作にはないのだが、ここ舞台では、正に、猿翁の万感の思いを込めた魂の叫びとも言うべき台詞が謡うように厳かに語られるのである。
   「・・・何か途方もないもの、大きなものを追い求めて、私の心は、たえず、天高く天翔けていた。その天高く天翔けることから多くのことをしてきた。 天翔ける心、それが私だ。」
   梅原先生も、三代目猿之助は「天翔ける心」を持った人であり、その情熱的な演技で観客を魅了する、と言っており、不可能を可能にすべく、江戸歌舞伎復活のために挑戦に挑戦を重ねて奮闘してきた猿之助の役者魂のその象徴が、このラストの中空を舞う白い鳥なのである。

   もう一つ、今回の家族愛の雪解けを象徴するようなシーンが、團子演じるワカタケルの最後の台詞に付け加えられた。
   原作では、次に天皇となるひつぎの皇子になると言われて、父のヤマトタケルが天皇にはなっていないから、いやじゃ、ひつぎの皇子になりとうないと言うところで終わっているのだが、今回は、その後に、
   「大和のために力を尽くすことを、お父様は何よりも望んでおられますのよ。分かりましたか。」と母に諭されて、ワカタケルは、「お父様が?」と聞いて、「分かりました。」と応えて、中空を仰いで、
   「大和の国のために、力を尽くして励んで参ります。お父様、どうか、どうか、お見守りください。」と叫ぶ。
   澤瀉屋の猿之助の直系が、猿之助を継ぐと言う継承への思い入と言うことであろう。

   さて、このヤマトタケルは、古事記と日本書紀に伝承されているのだが、梅原本は、古事記に則っているようで、それに創作を加えて台本になっているのだが、ト書きなど、演出について、色々、注文を付けているのが面白い。
   ところで、熊襲や蝦夷、或いは、息吹山の山神征伐などは、当時の縄文文化を営んでいた原住日本人を、大陸の文化の影響を受けた弥生文化を持って参入してきた大和民族が、少しずつ平定して行き、日本統一を進めて行く歴史的な推移を物語っているのだが、ヤマトの人間が、鉄と米を持ち込んで、公序良俗を維持して平和で豊かだった自分たちの文化を、ぶっ壊してしまったと嘆く蝦夷や熊襲の嘆きが、非常に興味深い。
   アメリカのフロンティア開拓と同じで、原住民インディアンが悪者だった西部劇の世界と良く似た日本の歴史的事実で、成敗すべき先住民たちは、総て、蛮族や鬼や山賊などに擬えて、歴史や物語が語られているのである。

   最後になってしまったが、猿之助のヤマトタケルは、NHKで放映されていた1995年の猿翁の舞台とは、少しニュアンスが違っていて興味深いのだが、やはり、全作品を読んで書生になりたいとまで憧れた梅原原作のスーパー歌舞伎を襲名披露の演目に選んだだけあって、実に、意欲的な舞台で、溌剌としたメリハリの利いた演技が素晴らしかった。
   最後の死に臨んで、故郷を思い、妻子を思って、大和を詠嘆するシーンなど、正に、秀逸で、”倭は 國の まほろば たたなづく 青垣 山隱れる 倭しうるはし”で、懐かしい日本の原点を感じさせて素晴らしかったし、ヤマトの舞姫に化けて熊襲に乗り込んで披露した妖艶で魅惑的な舞、天翔ける白い鳥の宙乗りも実に優雅で感動的であった。

   中車の帝は、やはり、映画など映像の世界で切磋琢磨して培ってきた修練の賜物であろう、実に上手い。
   歌舞伎の台詞回しではないとか、歌舞伎役者としては、まだまだだとか、色々注文を付けられているようだが、延若や島田正吾、段四郎などは別格としても、これまで、役者の金田龍之介や安井昌二も演じており、気にすることはない。
   46歳で、全く違った世界の梨園と称される歌舞伎界に入って、最初から歌舞伎役者として称賛されるのなら、本職の歌舞伎役者が、何をやっているのかと言うことで、如何にお粗末かを証明しているようなものであるから、正に、チャンスと言うべきであろう。息子に猿之助を継がせたいために、必死に頑張る父の背を見せようとの中車襲名であろうが、閉鎖的な歌舞伎の世界であるから、問題は、中車に十分なチャンスが与えられるかどうかと言うことであろうと思う。

   市川右近のタケヒコの素晴らしさは、これまで、ヤマトタケルとタケヒコをダブルキャストで演じ続けて、猿翁の代わりに演出の元締めをしており、この舞台の隅から隅まで知り尽くしているのだから、当然と言えば当然である。
   歯切れの良い語り口の素晴らしさも、非常に印象的である。
   熊襲兄タケルと伊吹山の山神を演じた弥十郎、熊襲弟とヤイラムを演じた猿弥の、スケールが大きくてダイナミックな性格俳優突出の演技は、これこそ、この舞台のハイライトでさえある程、面白い。
   まじめでしっとりとした味のある老大臣の寿猿、溌剌としたヘタルベの弘太郎など、脇役陣の活躍も、猿之助の初舞台に彩りを添えていた。
   
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