
東京全日空ホテルで「西日本リレーシンポジューム グローバル化の進展と地域の魅力づくり」が開かれたので聴講した。
基調講演は、川勝平太氏の「グローバル化の進展と関西の魅力づくり」
パネルディスカッションは、北側一雄国交相、中村英夫武蔵工大学長、見城美恵子青森大教授と川勝氏、そして、共同通信谷口学氏司会の「グローバル化の進展と地域の魅力づくり」の2時間半で、かなり熱心な聴講者が参集していた。
2月28日に提出された「道州制のあり方に対する答申」を意識して、巨大な関東州に対抗するために、関西州を起点に西日本を如何に纏めて糾合するか、大阪を皮切りに四国、中国、九州を持ちまわった西日本シンポジュームの総集東京版である。
ところで、道州制のブロック編成で、北関東3県や新潟の帰趨など面白い話をしていたが、何故か、結局国土交通省の地方整備局の管轄範囲と同じになってしまったと言っていた。
今回は上から決めるのではなく地方の意向を尊重したようだが、どっちに付いたら特か損か、そんな思惑が働いたのであろう。
ブロック分けをどうするか、大だ中だ小だと末梢的な議論を好む御仁が多いようだが、単一民族・単一言語で、同じ文化と歴史と伝統を共有する金太郎飴のような日本だから、何処をどう切っても大して問題が起こるとも思えない。
私は、人種の坩堝であるアメリカにもブラジルにも住んで州制度の連邦制を見て来たし、それに、異民族や異宗教や異文化が入り混じった複雑な国々がモザイク模様の様に国境を接するヨーロッパにも永く住んだので、広域地域自治組織がどう機能するのか痛いほど見てきた。
政治的に無理に境界線を引けば、世界の紛争地帯のように血で血を洗う戦いが続くが、日本の様な民主的で成熟した国は為政者と国民がしっかりしてさえおれば良循環が機能する。
道州制の導入こそ価値があり意味があるのである。
元々道州制は、大前研一氏が早くから提唱していた理論で、世界的な趨勢であるグローバル化と広域地域制とが並存するグローカル時代に対応する為にも、明治維新によって形成された都道府県制が機能しなくなっており、行政の効率化と経済社会の発展・活性化のためにも必須であったが、やっと、本格的に動き出したと言うことであろう。
しかし、長引いた不況のために、急務だった筈の首都圏移転構想は完全に下火になっているが、道州制もまとものに実施するのであろうか。
川勝氏の指摘は、経済的にも政治的にも巨大な力を持つ大阪と神戸を核に、文化芸術都市としての京都・奈良を奥座敷に、世界遺産熊野・高野を擁した深山幽谷の神秘的な大自然を包含した関西圏の纏まりは大変価値ある存在だと言うことである。
しかし、2眼レフ理論が優勢であった頃は遠い昔で、今や関東圏の半分の力に成り下がっていて、西の中国、四国、九州との連携が重要だと言う認識であろうか。
中国、韓国等アジアの台頭、経済社会のグローバル化に対抗するためにもそれ相応の経済力が必要だが、関西圏一つでフランスに匹敵するのであるから十分であるにも拘わらず、どうしても東京を見てしまうのであろう。
川勝氏は、大阪は瀬戸内海の玄関口で、近畿から西は、「海の州」だと言う。
日本を4分割にすると、北海道と東北は「森の州」中部と北陸は「山の州」、そして、関東は「野の州」だと言うが、国民性や歴史文化がその言葉を体現しているのかどうか分からないが面白い指摘である。
確かに、歴史的にも平家は水軍が強くて、清盛も中国やインドとの交易を目指していたし、その後大阪境が発展し、地理的にも大阪から沖縄、台湾、朝鮮、中国沿海州との関わりは正に海による連携である。
関東圏が、大陸アメリカや大陸EUを体現しているとするなら、西日本は、アジアの伝統と歴史を色濃く伝承して来ている。
印象的だったのは、中村学長の「ジャパン・ブランドの国土」構築構想。
アジアで日本の誇れる唯一のものは、美しい自然環境で、多様さにおいても生態系においても他の追随を許さないが、その美しさを破壊するような景観が日本中を覆っている。
ソニーのようなあの途轍もなく美しくて素晴らしい製品を生み出す日本なのに、何故、国土があんなにみすぼらしく汚いのか。
道路も都市景観も、国土総てを世界に誇れる日本ブランドを生み出そうと言う提言である。
横で、国土開発や観光開発を意気揚々と語っていた北側国土相だが、四万十川の美しい自然と産物、そして、その観光資源の素晴らしさを語たり、市長の言だといって松山・高知・四万十川のトライアングル観光構想をノウテンキに紹介していた。
先日、アレックス・カーが、人跡未踏だった筈の祖谷にさえ、山や谷川を無残に切り刻んで大駐車場を建設しているのを嘆いていたことをこのブログで書いたが、同じ轍を踏ませるのか。
観光客を誘致するのなら、最低限度の田舎空港建設だけを許して、それ以外は地域に一切の観光施設を作らせないくらいの厳重な規制を敷かなければ駄目である。(私が知っているアメリカのイエローストーン国立公園は、日本の県ほどの広さだが、一つだけ中心にホテルが建っていただけで、定期バスはあったがタクシーはなかったし、とにかく、店も何もなかったし観光施設など皆無であった。それ程の覚悟でないと日本の自然観光資源は守れない。オトドは、分かっていないのである。)
今回の道州制を交えた開発構想が、いい加減な昔の総合開発や日本列島改造論のようにならないことを祈るのみである。
基調講演は、川勝平太氏の「グローバル化の進展と関西の魅力づくり」
パネルディスカッションは、北側一雄国交相、中村英夫武蔵工大学長、見城美恵子青森大教授と川勝氏、そして、共同通信谷口学氏司会の「グローバル化の進展と地域の魅力づくり」の2時間半で、かなり熱心な聴講者が参集していた。
2月28日に提出された「道州制のあり方に対する答申」を意識して、巨大な関東州に対抗するために、関西州を起点に西日本を如何に纏めて糾合するか、大阪を皮切りに四国、中国、九州を持ちまわった西日本シンポジュームの総集東京版である。
ところで、道州制のブロック編成で、北関東3県や新潟の帰趨など面白い話をしていたが、何故か、結局国土交通省の地方整備局の管轄範囲と同じになってしまったと言っていた。
今回は上から決めるのではなく地方の意向を尊重したようだが、どっちに付いたら特か損か、そんな思惑が働いたのであろう。
ブロック分けをどうするか、大だ中だ小だと末梢的な議論を好む御仁が多いようだが、単一民族・単一言語で、同じ文化と歴史と伝統を共有する金太郎飴のような日本だから、何処をどう切っても大して問題が起こるとも思えない。
私は、人種の坩堝であるアメリカにもブラジルにも住んで州制度の連邦制を見て来たし、それに、異民族や異宗教や異文化が入り混じった複雑な国々がモザイク模様の様に国境を接するヨーロッパにも永く住んだので、広域地域自治組織がどう機能するのか痛いほど見てきた。
政治的に無理に境界線を引けば、世界の紛争地帯のように血で血を洗う戦いが続くが、日本の様な民主的で成熟した国は為政者と国民がしっかりしてさえおれば良循環が機能する。
道州制の導入こそ価値があり意味があるのである。
元々道州制は、大前研一氏が早くから提唱していた理論で、世界的な趨勢であるグローバル化と広域地域制とが並存するグローカル時代に対応する為にも、明治維新によって形成された都道府県制が機能しなくなっており、行政の効率化と経済社会の発展・活性化のためにも必須であったが、やっと、本格的に動き出したと言うことであろう。
しかし、長引いた不況のために、急務だった筈の首都圏移転構想は完全に下火になっているが、道州制もまとものに実施するのであろうか。
川勝氏の指摘は、経済的にも政治的にも巨大な力を持つ大阪と神戸を核に、文化芸術都市としての京都・奈良を奥座敷に、世界遺産熊野・高野を擁した深山幽谷の神秘的な大自然を包含した関西圏の纏まりは大変価値ある存在だと言うことである。
しかし、2眼レフ理論が優勢であった頃は遠い昔で、今や関東圏の半分の力に成り下がっていて、西の中国、四国、九州との連携が重要だと言う認識であろうか。
中国、韓国等アジアの台頭、経済社会のグローバル化に対抗するためにもそれ相応の経済力が必要だが、関西圏一つでフランスに匹敵するのであるから十分であるにも拘わらず、どうしても東京を見てしまうのであろう。
川勝氏は、大阪は瀬戸内海の玄関口で、近畿から西は、「海の州」だと言う。
日本を4分割にすると、北海道と東北は「森の州」中部と北陸は「山の州」、そして、関東は「野の州」だと言うが、国民性や歴史文化がその言葉を体現しているのかどうか分からないが面白い指摘である。
確かに、歴史的にも平家は水軍が強くて、清盛も中国やインドとの交易を目指していたし、その後大阪境が発展し、地理的にも大阪から沖縄、台湾、朝鮮、中国沿海州との関わりは正に海による連携である。
関東圏が、大陸アメリカや大陸EUを体現しているとするなら、西日本は、アジアの伝統と歴史を色濃く伝承して来ている。
印象的だったのは、中村学長の「ジャパン・ブランドの国土」構築構想。
アジアで日本の誇れる唯一のものは、美しい自然環境で、多様さにおいても生態系においても他の追随を許さないが、その美しさを破壊するような景観が日本中を覆っている。
ソニーのようなあの途轍もなく美しくて素晴らしい製品を生み出す日本なのに、何故、国土があんなにみすぼらしく汚いのか。
道路も都市景観も、国土総てを世界に誇れる日本ブランドを生み出そうと言う提言である。
横で、国土開発や観光開発を意気揚々と語っていた北側国土相だが、四万十川の美しい自然と産物、そして、その観光資源の素晴らしさを語たり、市長の言だといって松山・高知・四万十川のトライアングル観光構想をノウテンキに紹介していた。
先日、アレックス・カーが、人跡未踏だった筈の祖谷にさえ、山や谷川を無残に切り刻んで大駐車場を建設しているのを嘆いていたことをこのブログで書いたが、同じ轍を踏ませるのか。
観光客を誘致するのなら、最低限度の田舎空港建設だけを許して、それ以外は地域に一切の観光施設を作らせないくらいの厳重な規制を敷かなければ駄目である。(私が知っているアメリカのイエローストーン国立公園は、日本の県ほどの広さだが、一つだけ中心にホテルが建っていただけで、定期バスはあったがタクシーはなかったし、とにかく、店も何もなかったし観光施設など皆無であった。それ程の覚悟でないと日本の自然観光資源は守れない。オトドは、分かっていないのである。)
今回の道州制を交えた開発構想が、いい加減な昔の総合開発や日本列島改造論のようにならないことを祈るのみである。
http://yamashika.cocolog-nifty.com/chiki/