熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

初春大歌舞伎・・・坂田藤十郎の政岡

2006年01月27日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   坂田藤十郎の襲名披露の東京公演は昨日千秋楽を迎えて終わった。
   昔なら当然大坂の千両役者の江戸下りなのだが、時代が時代、世の中は変わってしまっている。

   今回の坂田藤十郎の舞台で重要なのは、やはり、政岡を演じた「伽羅先代萩」であろう。
   華やかな襲名披露の「口上」の後の舞台なのだが、お祭り気分を完全に払拭した坂田藤十郎の入魂の演技で客席を圧倒する。

   私は、大分前に雀右衛門、そして玉三郎の政岡を見ているが、後の玉三郎の政岡の記憶が鮮明に残っている。
   今回の舞台は、その歌右衛門、玉三郎と伝承されて来た従来のものとは違った演出で、御殿の場で、舞台の上手に、千松が八汐に殺害される時に主君鶴千代が避難する部屋が設置されていて、これが重要な役割を果たす。
   従来の舞台だと、政岡が鶴千代を正面から抱きしめて見えないようにするのだが、今回は、政岡が鶴千代を別室に誘導するのである。

   あえて、襲名披露公演に、東京で定番の舞台をさしおいて、藤十郎の為の伽羅先代萩を演目に選んだのも、先の片岡仁左衛門襲名披露公演の「助六」と同じ気負いと自信であろうか。
   仁左衛門の「華の人」で、この襲名公演で、お客さんが関西人の助六などしゃらくさいと言ってはると言う奥方の報告話が確か載っていたと思うが、私は、仁左衛門の粋で洒落た助六に感激してこれが本当の芸だと思った。
   そんな素晴しい舞台を、坂田藤十郎が伽羅先代萩で魅せてくれた。

   この舞台は、文楽に近いと言われているが、最初は、1777年の大坂中の芝居で歌舞伎として初演されて、翌年に京都で浄瑠璃化されたと言う。
   従って、現在の文楽は、江戸浄瑠璃の松貫四らによって歌舞伎から改作されたもので、いずれにしても、今回の舞台はオリジナル版に近いと言うことであろうか。

   昨年の5月に、国立劇場の文楽公演で、簔助の素晴しい政岡を観ている。
   浄瑠璃に合わせて演ずる人形の仕種が実にリアルで、千松の亡骸を「うしろぶり」でさし上げて号泣する政岡など堪らないほど胸に沁みる。
   それに、竹本住大夫の浄瑠璃が輪をかけて素晴しかった。
   今回、文楽と同じで、藤十郎は、飯炊きのところで米を砥ぐ時、三味線の音に合わせて左右にスイングしていたが、沈痛な中での一服の救いであった。
   浄瑠璃の語りが多くて台詞の少ない舞台なので、芸の確かさが大きな比重を占めていて、藤十郎の目の動きや仕種を注意して観ていたが、実に芸が細かい。

   幼い主君を暗殺から守る為に、茶の湯道具で飯炊きをするが、ひもじい思いをさせていて、庭の雀に親鳥が来て鳥かごの小雀に餌を与えるのを見て鶴千代は「おれもあのように早う飯がたべたい」と羨ましがる。
(文楽は、この後、チンが出て来て御膳のお下がりを食べるのを見て鶴千代はチンになりたいと言って政岡を困らせる)
   藤十郎の目に涙が溢れスッと下に流れ落ちる。
   何故、泣くのかと鶴千代に聞かれて飯が早く炊けるマジナイだと偽って笑う。
   顔で笑って心で泣いて、等と言うが、本当に藤十郎は、泣いて笑っている。

   八汐に実子千松が嬲り殺されるのを見て、主君鶴千代を急いで上手の部屋に入れて守護する。
   政岡は、わが子が懐剣で喉元を抉られていて断末魔の叫びをあげているのに、部屋の柱にもたれながら仁王立ち、涙を流さず動揺もせずに立っているが、懐剣を握り締めながら、微妙に表情を変えながら悲しみを堪えている。
   平静を装いながらぎりぎりのところで母親としての苦渋を滲ませる藤十郎の万感迫る演技である。

   この時の八汐を演じる梅玉だが、一番の憎まれ役ながら、何時もの颯爽とした立役とは違った雰囲気、しかし、風格があって悪だけの悪ではない役作りで実に上手い。
   以前に、団十郎と仁左衛門の八汐を観ているが、夫々の役者の個性が出ていて、伽羅先代萩を観る楽しみでもある。
   ところで、沖の井を演じた魁春も素晴しかったが、魁春の沖の井とは共演はあるが、梅玉とはないので、二人の息子を相手に政岡を歌右衛門が演じたらどう思ったであろうかと思うと面白い。

   何時も毒見をして、鶴千代の為に身代わりになって死ぬ覚悟を諭されている千松が、毒入りの饅頭を蹴って殺される。
   栄御前を送り出した藤十郎の政岡は、一人放心状態で佇む。この間が、長い。千松の亡骸に気がつくと、今までの鋼鉄のように忠義一途の忠臣政岡が、独りの母親に変わって千松の亡骸にかけ寄る。
   最初は、出羽奥州五十四郡の国の礎ぞや、出来しゃった、出来しゃったと言っているが、気が高ぶり始め、
「三千世界に子を持った親の心は皆一つ、子の可愛さに毒なもの食うなと云うて叱るのに、毒と見えたら試して死んでくれと云うような胴欲非道な母親がまたとひとりとあるものか。
武士の胤に生まれたは果報か因果かいじらしや、死ぬるを忠義と云う事はいつの世からの習わしぞ」
と必死と千松を抱きしめて天を仰いで号泣する。
藤十郎の顔は涙にかきくれて無茶苦茶になる。
   虚実皮膜、しかし、坂田藤十郎の芸は、それを超越している。
   役にのめり込みながら、客の琴線に触れて引き込む、そんな魔力が備わっているような気がして、何時も当事者のような気になってどっぷりと入り込んでしまう。

   足利家床下の場は、忠臣荒獅子男之助を豪快に演じた吉右衛門、ニヒルで風格のある底なしの悪を演出した幸四郎とも流石で、口上でも、大切な両翼で挨拶をしていた。

   特筆すべきは、栄御前を演じた片岡秀太郎の円熟した風格のある舞台で、坂田藤十郎と関西歌舞伎を支える重要な柱であることを感じさせた。
   扇雀の長男虎之介の初舞台だが、素晴しい最高のスタートとなったことは間違いない。
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1 コメント

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(泣) (ナカアユ)
2008-06-06 01:35:37
泣けました。
ほんと胸に突き刺さるおもいです。

私の友人が淡路島人形浄瑠璃の三味線をやっていて、
『ままたき』のところを素浄瑠璃(といって良いのやら)でやってもらうことになりました。
でも私は全くのシロウトなのでどんなものかと探している内に
ここにたどり着きました。
ままたきの前にこんな哀しいエピソードがあったなんて…

でも、素晴らしい舞台なのでしょうね!!あ~観たい!!!
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