熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

情報革命と人類の未来・・・東大・朝日シンポジューム

2006年11月20日 | 政治・経済・社会
   東大の安田講堂で開かれた東大・朝日の「情報革命と人間の未来」だが、トップクラスの学長達が集合した極めて知的水準の高いシンポジュームで実に面白かった。
   小宮山宏東大総長
   シー・チョーン・フォン・シンガポール大学長
   宮原秀夫阪大総長
   郷通子お茶の水大学長
   オフラ・キューブラー・スイス工大チューリッヒ校学長 
   ロベルト・ペッチェイUCLA副学長
   以上のような俊英が、繰り広げる「知の拠点サミット」であるから、興味深くない筈がない。

   今回のシンポジュームで問題になった一つに、IT革命における人間性の喪失の問題や、コミュニケーションは本来FACE TO FACEの血の通ったものであるべきだと言う点に有ったような気がしたので、まず、そのあたりから整理してみたい。
   郷学長の若い恋人達のITを介した恋愛が話題になって、学殖豊かな学長達がインターネットのラブレターについて薀蓄を傾け論陣を張ったのである。

   阪大の宮原秀夫総長が、「IT革命の光と陰」で、陰の部分に光を当ててもっと血の通った人間的なITであることを提言していた。(今年は、無味乾燥なパソコンで作成した年賀状を止めて、自筆で出したい年賀状だけだそう、と仰る。)
   情報爆発時代に入って、インターネットの二つの潮流、すなわち
   ①Amazon、Google等による個人情報の活用による、ユーザー囲い込みによる新たなビジネスの展開
   ②ブログ、ソーシャルネットワーキングサービスやWikipediaの情報共有ツールによる新しい知のコミュニティの創生
   が支配的となっている。
   しかし、このようなものが知のコミュニケーションの創生になるのかと冒頭から疑問を呈する。
   IT革命のお陰で、現代人の知的活動のうち、30%が情報検索に費やされてしまっている。その上、システムが不十分なために、検索時の50%以上もがまともな情報に辿り着けていないと言う。
   また、情報のランキングシステムによって大衆迎合型の多数意見が勝利を占めて、少数派意見や貴重な意見などが無視される弊害が起きているとも言う。
   IT革命は、民主主義にとって良いことなのかどうかと言うことは、アメリカの叡智シュレジンガーも提示していて、場合によっては、人類の幸せを根底から揺さぶる危険性さえ持っている。

   果たして、情報の選択において、情報フィルターリング、カスタマイズ、パーソナル化、コンテキストウェアネスなど本当に必要なのかどうか、そんなものに縛られたくない、機械に任せたくない、と言う切実な疑問も提起されている。

   ところが、面白いことに、Googleで研究調査している時に、システムが不十分ゆえに思わぬ事実や文献にヒットし、パーソナル化され、工学、更に情報ネットワークばかりの文献ばかりあさっていると、このような体験は絶対不可能で、殆ど関係のないと思われる論文やページから啓発されることも多く、その方が効果が大きいこともある。
   言い換えれば、知的活動には、ノイズが必要で、このような知的ジャンプを生む。知的活動には、余裕、或いはフレキシビリティが必要なのである。

   また、羽生名人の高速道路渋滞論を引いて、Googleを含めて、情報検索は知的活動の創造性を阻害しているのではないかと説く。
   コンピューターの発展によって将棋の勉強の効率が上がって2級くらいには直ぐなるがそれから伸び悩む。インターネットは、情報を収集する為には格段に効率化したが、真に創造性を喚起するものではない、むしろ阻害しているかも知れない、と言う。
   従って、宮原学長は、現在のGoogle程度にノイズが乗っている方が知的活動には丁度良いのではないかと言うのである。

   ITに総て任せる訳に行かないのは当然だが、ITが知的活動を支援する為には、完全無欠ではなくて、自分自身でモノを考えさせ、創造性とオリジナリティを喚起するような仕掛けなり工夫を、そして、適度に人の知的活動を迷路のように路頭に迷わせるような余裕なり遊びを繰り込むことが必要だと言うことであろうか。

   話は跳ぶが、現代人は、ワープロやワードのお陰で、漢字が覚えられずメモが取れなくなった、英米人もマトモナ単語が綴れなくなった、と嘆いているが、IT革命は、経済社会のみならず、根底から、これまでの文化文明を覆す起爆力をも持っている。
   人類の未来は、前門のトラ・環境問題だけではなく、後門のオオカミ・IT技術革命からも自分の生み出した科学技術の発展進化から挑戦を受けているのである。
   日本の学長達はIT革命に比較的悲観的であったが、欧米の学長達は、IT革命やインターネット社会は、既に起こってしまったことだから、この現実を受け入れてその上で人類の未来を考えようではないか、と言っていたのが興味深かった。
   
   
   
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