
佐倉城址の高台に国立歴史博物館があって、日本の歴史を勉強するには格好の場所で、時には、特別展示に呼応して学術的なセミナーなども開かれており、結構出かけて行くことが多い。
しかし、面白いのは、その背後にある広大な佐倉城址公園で、四季折々に豊かに装いを変えて繰り広げてくれる美しい自然の風景である。
今は、染井吉野などが殆ど葉桜に変わってしまったが、風に誘われて残っている桜の花びらが静かに舞い落ちていて、中々優雅な風情である。
佐倉藩11万石、小さな藩だが藩主は譜代大名で多くの老中を輩出していて、江戸を守る重要な拠点であった。
幕末の藩主・老中堀田正睦は蘭学を奨励して順天堂を開き、ペリー来日後タウンゼント・ハリスと渡り合って日米通商条約交渉に携わるなど中々英邁な君主であったようである。
津田塾大を開いた藩士の娘・津田梅子が幼少ながら米国に留学したのもそんな文明開化した藩の土壌があったからであろう。
しかし、その佐倉城は、明治時代に軍が置かれたので、建物は悉く取り壊されて何も残っていない。
しかし、当時の空掘、水堀、土塁の跡などが優雅な起伏や深い谷を形作っていて森や林にアクセントをつけて中々趣があって良い。
咲き乱れていた染井吉野が殆ど葉桜に変わり、残った花びらがひらひら舞い落ちて地面を真っ白に染めている。
遅咲きの枝垂桜や咲き始めた八重桜が妍を競い始めたが、もう少しすると、普賢象などの八重桜が咲き始めると、広い本丸跡を華やかに飾るであろう。
カラフルに咲いていて目立つのはキクモモとボケの花くらいで、今は、葉桜の薄緑が、芽吹き始めた新緑に映えて、パステルカラー調の空間を作り出して実に明るくて美しい。
歴博駐車場を林に入ると、長い坂道の緑陰のトンネルがあり、その下に姥が池の明るい空間がぽっかりと浮かび上がる。
今は、池面はびっしりと睡蓮の葉で覆われているが花が咲き始めると美しくなる。
右側の開けた田んぼは菖蒲園で、数人の農婦たちが草取りをしている。
どこか、のぞかで懐かしい農村風景が繰り広げられていてほっとする。
再び反対側の緑陰のトンネルを上がると、「くらしの植物園」にでる。
この小さな植物園は、染める、織る・漉く、治す、塗る・燃やす、食べる、道具をつくる、と言った人間生活に必要な身近な植物を栽培している実にユニークな植物園で、季節ごとに花が咲いたり実がなったり紅葉したり変化があって面白いのである。
お姉さん達がサトイモを綺麗に耕した田んぼに植えていたが、この前行った時には色々な瓢箪を収穫していた。
近く始まる「伝統の桜草展」のために咲き始めた色々な品種のサクラソウの鉢が並べられていた。
シーボルトが持ち帰ってライデン大学で栽培されていたシーボルト・チルドレンと言われている里帰りのアケビが実に優雅な濃い紫色の花をびっしりと咲かせていた。
遠くの方から、ウグイスの鳴き声が聞えてくる。
このあたりは住宅地だが、高校と中学校が隣接していて、近くにポツンと市役所がある。
下町の方には、まだ、古い武家屋敷の雰囲気が残っている。
現在は埋め立てられて小さくなってしまった印旛沼がすぐ側にあって、その畔にオランダとの姉妹都市関係もあってオランダ製の風車があり、チューリップ畑が広がっている。
確かオランダには999基風車が残っている筈だが、佐倉の風車も当然それらと同じ本物の風車だが、羽が回っているのを見たことがない。
チューリップで有名なキューケンホフ公園には、風車は一基しかないし、チューリップ畑の広がっているリッセあたりには風車は一基もなかった筈であり、チューリップと風車とは全く関係がない。
風車が沢山あるのはキンデルダイクの19基で、粉弾きに使われている風車に入場できて上れるが、大きな音がして揺れるので、こんな所にどうして人が住めるのか不思議に思ったことがある。
ところで、このキンデルダイクだが、何もない全くの田舎なのだが何処で咸臨丸が作られたのであろうかと不思議に思っている。
風車を見ると3年間のオランダ生活を思い出して懐かしくなる。
しかし、面白いのは、その背後にある広大な佐倉城址公園で、四季折々に豊かに装いを変えて繰り広げてくれる美しい自然の風景である。
今は、染井吉野などが殆ど葉桜に変わってしまったが、風に誘われて残っている桜の花びらが静かに舞い落ちていて、中々優雅な風情である。
佐倉藩11万石、小さな藩だが藩主は譜代大名で多くの老中を輩出していて、江戸を守る重要な拠点であった。
幕末の藩主・老中堀田正睦は蘭学を奨励して順天堂を開き、ペリー来日後タウンゼント・ハリスと渡り合って日米通商条約交渉に携わるなど中々英邁な君主であったようである。
津田塾大を開いた藩士の娘・津田梅子が幼少ながら米国に留学したのもそんな文明開化した藩の土壌があったからであろう。
しかし、その佐倉城は、明治時代に軍が置かれたので、建物は悉く取り壊されて何も残っていない。
しかし、当時の空掘、水堀、土塁の跡などが優雅な起伏や深い谷を形作っていて森や林にアクセントをつけて中々趣があって良い。
咲き乱れていた染井吉野が殆ど葉桜に変わり、残った花びらがひらひら舞い落ちて地面を真っ白に染めている。
遅咲きの枝垂桜や咲き始めた八重桜が妍を競い始めたが、もう少しすると、普賢象などの八重桜が咲き始めると、広い本丸跡を華やかに飾るであろう。
カラフルに咲いていて目立つのはキクモモとボケの花くらいで、今は、葉桜の薄緑が、芽吹き始めた新緑に映えて、パステルカラー調の空間を作り出して実に明るくて美しい。
歴博駐車場を林に入ると、長い坂道の緑陰のトンネルがあり、その下に姥が池の明るい空間がぽっかりと浮かび上がる。
今は、池面はびっしりと睡蓮の葉で覆われているが花が咲き始めると美しくなる。
右側の開けた田んぼは菖蒲園で、数人の農婦たちが草取りをしている。
どこか、のぞかで懐かしい農村風景が繰り広げられていてほっとする。
再び反対側の緑陰のトンネルを上がると、「くらしの植物園」にでる。
この小さな植物園は、染める、織る・漉く、治す、塗る・燃やす、食べる、道具をつくる、と言った人間生活に必要な身近な植物を栽培している実にユニークな植物園で、季節ごとに花が咲いたり実がなったり紅葉したり変化があって面白いのである。
お姉さん達がサトイモを綺麗に耕した田んぼに植えていたが、この前行った時には色々な瓢箪を収穫していた。
近く始まる「伝統の桜草展」のために咲き始めた色々な品種のサクラソウの鉢が並べられていた。
シーボルトが持ち帰ってライデン大学で栽培されていたシーボルト・チルドレンと言われている里帰りのアケビが実に優雅な濃い紫色の花をびっしりと咲かせていた。
遠くの方から、ウグイスの鳴き声が聞えてくる。
このあたりは住宅地だが、高校と中学校が隣接していて、近くにポツンと市役所がある。
下町の方には、まだ、古い武家屋敷の雰囲気が残っている。
現在は埋め立てられて小さくなってしまった印旛沼がすぐ側にあって、その畔にオランダとの姉妹都市関係もあってオランダ製の風車があり、チューリップ畑が広がっている。
確かオランダには999基風車が残っている筈だが、佐倉の風車も当然それらと同じ本物の風車だが、羽が回っているのを見たことがない。
チューリップで有名なキューケンホフ公園には、風車は一基しかないし、チューリップ畑の広がっているリッセあたりには風車は一基もなかった筈であり、チューリップと風車とは全く関係がない。
風車が沢山あるのはキンデルダイクの19基で、粉弾きに使われている風車に入場できて上れるが、大きな音がして揺れるので、こんな所にどうして人が住めるのか不思議に思ったことがある。
ところで、このキンデルダイクだが、何もない全くの田舎なのだが何処で咸臨丸が作られたのであろうかと不思議に思っている。
風車を見ると3年間のオランダ生活を思い出して懐かしくなる。