
5月7日まで、上野の東京国立博物館で「最澄と天台の国宝展」が開かれている。
上野の森のさくらは丁度満開で、観光客でごった返しているが、陽気に騒ぐ人々を尻目に国立博物館へ。しかし、この方も大変な人気で、国宝の六道絵15幅を見るのに列に並んだら30分以上もかかってしまった。
聖衆来迎寺の六道絵で、断片的には結構美術書等で見ているのだが、閻魔大王の裁きの場から、とにかく、纏めてみると凄い地獄絵が並んでいてその凄まじさに圧倒されてしまった。
延暦寺には学生時代に何度か行ったきりで、何十年も行っていないが、若かったので、帰りは延暦寺から山道を坂本まで歩いて電車で宝塚まで帰ったことがある。
したがって、今回この展覧会で見た国宝や重文の展示品は殆ど始めてで、今回は、イヤーホーン・ガイドを借りて丹念に見て回った。
あの信長が焼き討ちにした延暦寺だが、末寺も多く素晴しい宝物が沢山残っている。
後期の展示と言うことで、今回は、国宝の伝教大師・最澄像と曼殊院の黄不動がなかったのが残念であった。
特に、赤、青の国宝のお不動さんは見ているが、前回は、曼殊院で代わりに置かれていた写真パネルしか見ていないので、是非見たかった。4月末頃また出かけて来ようと思っている。
最澄の直筆は勿論、嵯峨天皇や小野道風の書を見てその素晴しさに感激した。
台北の故旧博物館で素晴しい中国の書を沢山見た、あの時の感激が蘇ってきた。
仏像で美しいのは、チケットの図案に使われている横川中堂の本尊の聖観音菩薩像である。
興味を引いたのは、秘仏中の秘仏で50年に一回しか開帳しないと言う善水寺の薬師如来坐像(重文)が煌びやかな勇姿を開陳されていること。
四天王寺の阿弥陀三尊像で、両脇侍が片足を上げて立っているのも、永観堂の見返り観音のように愛嬌があって面白い。
頼朝の菩提を弔う為に運慶・湛慶が彫ったと言う梵天立像・帝釈天立像が、後補とは言え鮮やかに彩色されていて実に美しい。仏像と言うと、何となく地肌の見えた古色蒼然としているのが有難い様に思うが、本来は、極彩色か金色に彩色されていた筈で、それはそれなりに美しい、日本の美は、歌舞伎や能のように煌びやかな極彩色の世界が本来ではないかと思う。
東大寺の法華堂の不空羂索観音の背後にある黒厨子に納められている執金剛神像だが、長い間秘仏だった所為か、残っている彩色の鮮やかさと美しさは格別であり、建立当時の仏像はさぞ光り輝いていたのであろう。
一寸雰囲気が違うが、松島の瑞巌寺にある高村光雲の観音像の美しさに打たれたのを思い出した。
絵画は、肖像画が多かったが、特に、法華経の信者を守ると言われる普賢菩薩が白象の上に端座した綺麗な菩薩像が、緑とオレンジの彩色が鮮やかである。
当然、経本も多く展示されていたが、一字一字が、オレンジとグリーン、そして、金銀で描かれた蓮の花の上に書かれている福島県龍興寺の一字蓮台法華経巻第三が美しかったが、同じ様な経本を弘法大師関連のお寺で見たような気がした。
時間が十分なかったのだが、急いで法隆寺館に行き、特別展「国宝天寿国繡帳と聖徳太子像展」を見た。
あの懐かしい中宮寺の「天寿国繡帳」。若い頃は、良く法隆寺を訪ねて、夢殿の裏の中宮寺を訪れて弥勒菩薩とこの天寿国繡帳を見た。小さな尼寺で、手の届く所に展示されていて良く細部まで見えた。
今回は、7歳の聖徳太子像とともに、東院の絵殿を飾っていたと言う障子絵「国宝聖徳太子絵伝」が10面展示されていた。
絵伝の方は、退色と剥離が酷くてよく分からなかったが、初期の大和絵としては貴重だと言う。
常設展をゆっくり見て、庭に設置されている鶴屋吉信の仮設喫茶でお菓子でも頂こうと思っていたが、スタートが遅かったので、5時になってあたふたと帰ることになってしまった。
この国立博物館であるが、広い館内のあっちこっちに沢山の立派な花木などが植えられていてそれなりに楽しいのだが、今、表慶館が改修工事中で一寸雰囲気を壊しているのが残念である。
上野の森のさくらは丁度満開で、観光客でごった返しているが、陽気に騒ぐ人々を尻目に国立博物館へ。しかし、この方も大変な人気で、国宝の六道絵15幅を見るのに列に並んだら30分以上もかかってしまった。
聖衆来迎寺の六道絵で、断片的には結構美術書等で見ているのだが、閻魔大王の裁きの場から、とにかく、纏めてみると凄い地獄絵が並んでいてその凄まじさに圧倒されてしまった。
延暦寺には学生時代に何度か行ったきりで、何十年も行っていないが、若かったので、帰りは延暦寺から山道を坂本まで歩いて電車で宝塚まで帰ったことがある。
したがって、今回この展覧会で見た国宝や重文の展示品は殆ど始めてで、今回は、イヤーホーン・ガイドを借りて丹念に見て回った。
あの信長が焼き討ちにした延暦寺だが、末寺も多く素晴しい宝物が沢山残っている。
後期の展示と言うことで、今回は、国宝の伝教大師・最澄像と曼殊院の黄不動がなかったのが残念であった。
特に、赤、青の国宝のお不動さんは見ているが、前回は、曼殊院で代わりに置かれていた写真パネルしか見ていないので、是非見たかった。4月末頃また出かけて来ようと思っている。
最澄の直筆は勿論、嵯峨天皇や小野道風の書を見てその素晴しさに感激した。
台北の故旧博物館で素晴しい中国の書を沢山見た、あの時の感激が蘇ってきた。
仏像で美しいのは、チケットの図案に使われている横川中堂の本尊の聖観音菩薩像である。
興味を引いたのは、秘仏中の秘仏で50年に一回しか開帳しないと言う善水寺の薬師如来坐像(重文)が煌びやかな勇姿を開陳されていること。
四天王寺の阿弥陀三尊像で、両脇侍が片足を上げて立っているのも、永観堂の見返り観音のように愛嬌があって面白い。
頼朝の菩提を弔う為に運慶・湛慶が彫ったと言う梵天立像・帝釈天立像が、後補とは言え鮮やかに彩色されていて実に美しい。仏像と言うと、何となく地肌の見えた古色蒼然としているのが有難い様に思うが、本来は、極彩色か金色に彩色されていた筈で、それはそれなりに美しい、日本の美は、歌舞伎や能のように煌びやかな極彩色の世界が本来ではないかと思う。
東大寺の法華堂の不空羂索観音の背後にある黒厨子に納められている執金剛神像だが、長い間秘仏だった所為か、残っている彩色の鮮やかさと美しさは格別であり、建立当時の仏像はさぞ光り輝いていたのであろう。
一寸雰囲気が違うが、松島の瑞巌寺にある高村光雲の観音像の美しさに打たれたのを思い出した。
絵画は、肖像画が多かったが、特に、法華経の信者を守ると言われる普賢菩薩が白象の上に端座した綺麗な菩薩像が、緑とオレンジの彩色が鮮やかである。
当然、経本も多く展示されていたが、一字一字が、オレンジとグリーン、そして、金銀で描かれた蓮の花の上に書かれている福島県龍興寺の一字蓮台法華経巻第三が美しかったが、同じ様な経本を弘法大師関連のお寺で見たような気がした。
時間が十分なかったのだが、急いで法隆寺館に行き、特別展「国宝天寿国繡帳と聖徳太子像展」を見た。
あの懐かしい中宮寺の「天寿国繡帳」。若い頃は、良く法隆寺を訪ねて、夢殿の裏の中宮寺を訪れて弥勒菩薩とこの天寿国繡帳を見た。小さな尼寺で、手の届く所に展示されていて良く細部まで見えた。
今回は、7歳の聖徳太子像とともに、東院の絵殿を飾っていたと言う障子絵「国宝聖徳太子絵伝」が10面展示されていた。
絵伝の方は、退色と剥離が酷くてよく分からなかったが、初期の大和絵としては貴重だと言う。
常設展をゆっくり見て、庭に設置されている鶴屋吉信の仮設喫茶でお菓子でも頂こうと思っていたが、スタートが遅かったので、5時になってあたふたと帰ることになってしまった。
この国立博物館であるが、広い館内のあっちこっちに沢山の立派な花木などが植えられていてそれなりに楽しいのだが、今、表慶館が改修工事中で一寸雰囲気を壊しているのが残念である。
私も一字蓮台法華経に魅力を感じました。