熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

写真展:プノンペンのゴミの山、そして、水俣の肖像

2006年04月14日 | 展覧会・展示会
   今、銀座のキヤノン・ギャラリーで、三留理男氏の「カンボジア 希望の川」展が開かれている。
   サブタイトルが「子供の詩」で、プノンペンのトレンサップ川にフリチンで遊ぶ子供達の屈託のない笑顔が印象的な写真展である。
   とうとうと流れる牧歌的な大河の流れが、悠揚せまらず、実に良い。

   しかし、その横に、煙にくすぶるゴミの山の中を、粗末な身なりの子供達が獲物を漁る姿が生々しい写真が並んでいる。
   少し前に問題を起こしたフィリピンのゴミの山と同じである。
   終戦直後の日本にも、そんな光景があったような気がする。

   トレンサップ川の支流のストン・ミァンチェイにこのゴミの山があり、一日に390トンのゴミが集まり、既に東京ドームの5個分。それが、40度の高温化でメタンガスが出て自然発火して燻っている。
   高温で、異臭が凄いのだが、人々が群れていて、子供達がゴミを漁っている。
   誰もが立ち入り自由のこのゴミの山、謂わば宝の山で、月に50~60ドルの収入になり、工場労働者の賃金と同じぐらい稼げるのだと言う。
   日本ならいざ知らず、貧しいカンボジアに、まともなゴミがあるとは思えないが、それでも、使用できるものはヴェトナムに輸出もされているのだと言う。

   三留氏のカメラの告発の威力は凄い。
   貧困と公害、人間の生活を蝕む悪が同居するこの現実、頭を抱えて考えざるを得ない。

   隣の部屋は、キヤノンのショウルームで、素晴しい製品がディスプレイされていて、魅力的なお嬢さんが優しく製品の説明をしてくれている別世界である。

   一方、同じ東銀座にあるニコン・サロンでは、桑原史成氏の「水俣の肖像―公式確認から半世紀の節目」展が開かれている。
   水俣を撮り続けて45年の桑原氏の何十年も前のモノクロ写真がビッシリ並んでいて、日本の公害行政を鋭く糾弾している。
   ユージン・スミスが、凄い水俣の写真を発表して世界を震撼させたが、桑原氏の写真はもっと日本人の生活と心情の奥を突いた凄い写真で、一枚一枚見ていて胸が詰まる。
   特に、成人を迎えた青少年達の痛々しい晴れ姿が堪らない。

   私には、水俣には思い出があり、学生時代に九州旅行の途中、水俣駅に着いたが、悪臭で堪らなかった。
   途中駅であったのでそのまま通過したが、あんな悪臭の中で、水俣の人が毎日生活しているのなど信じられなかったのを覚えている。

   確かにあの頃の公害はひどかった。阪神間に住んでいたので、良く尼崎に行ったが、黒い煤煙が降って来て洗濯物が黒くなるのが普通であった。
   昔、イギリスの友人が、自分の出たバーミンガムの高校の校歌に煙がもくもくと言う言葉を誇らしく歌っていたと言っていた。
   経済成長のみが人々を幸福にしてくれる、そう思って公害など環境破壊が自分達を死地に追い詰めつつあることを意識できなかったそんな悲しい時代が、ほんの少し前にあったのである。
   その後、イギリスの産業革命の発祥地ブラック・カントリーを訪れたが、まだ、古い産業革命当時の工場や遺跡が残っていた。しかし、規模が小さかったので、環境破壊と言う感じではなかった。
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