熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ひなまつりは春の到来を告げる

2024年03月05日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   毎年、2月の下旬に近づくと、雛人形を出して、和室に飾る。本格的な春の到来である。
   1979年にブラジルから帰国して、翌春、長女のために買ったので、もう、40年以上も我が家で春を迎えているのだが、殆ど新鮮さを保ったままでビクともしていない。
   主は、長女から次女へ、そして、次女の長女、我が孫娘に代わって、3代目だが、住処は東京、埼玉、千葉、神奈川と転々としている。オランダ、イギリスへは持って行けなかったが、寮の管理人が8年間大切に管理してくれたので非常に感謝している。

   もう、ぼつぼつ、倉庫からだして飾り付けるのが大変になったので、今回は、孫娘の父親に任せた。
   殆ど問題はなかったのだが、細かいことを言うと、大鼓と小鼓があべこべになっていた。これは、知らない人には無縁だが、能狂言に通いつめていた私だから気になったのであろう。
   桃の花の季節ではないので、わが庭に咲いているサクランボの花で代用した。

   ひな祭りの日には、近所のケーキ屋さんで、ひな人形をあしらったデコレーションケーキを買ってきて祝う。
   恒例になっているのは、次女家族親子4人が、ひな人形の周りに並んだり、ケーキを囲んでの定点写真を撮ることである。
   特に、子供たちの成長ぶりが良く分かって、印象深い記録になっている。

   さて、余談だが、イギリスの知人アブラハムズ夫人に、病気回復と更なる健康を祈って、妻と孫娘が、一所懸命に千羽鶴を折って、送った。
   1988年から93年まで、公私ともに親しく付き合ってきた友人だが、あれから、もう40年、
   主人のジムは逝って既に3年、もう一人の友人マイクも昨年亡くなり、老婦人たちだけが残っていて、イギリスがドンドン遠くなっていく感じでさびしい。
   ところで、今回、面白いと思ったのは、郵便局が国際郵便の発送システムを電子化して、「国際郵便マイページサービス」をはじめて、パソコンでプリントアウトした送り状などを持って行かないとダメになったことである。
   習熟すれば何でもなく便利で重宝なのだが、とにかく、パソコン操作から問題で、家内の事務代行を行ったが、老年にはどんどん難しい世の中になって行く。
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椿トムタム、バレンタインデー咲く

2024年03月03日 | わが庭の歳時記
   暖かい春のような日が続いているので、また、わが庭の椿が咲き出した。
   最初の1輪だけだが、鎌倉に来て庭うえした椿は、大きくても2㍍前後の小木なので、椿の庭と言った風格はまだない。

   しかし、園芸品種なので、ヤブツバキとは違った変った姿形をしているので存在感がある。
   トムタムは、白覆輪の千重咲きのピンクの椿で、蘂がないので、幸い鵯が寄りつかない。
   

   バレンタインデーは、これも千重咲きの赤い大輪の椿で、葉も大きくてしっかりとした椿である。
   バラのような雰囲気を持った、如何にも洋風の花で、シンプルな小花の侘助好みの日本人にはどうであろうか。
   
   

   クリスマスローズが、ようやく、大きく繁茂して、花を持ち上げてきた。
   
   
   
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椿エレガンス・シュプリーム咲き始める

2024年03月02日 | わが庭の歳時記
   遅ればせながら、少しずつ、わが庭の椿も咲き始めてきた。まだ、1輪2輪だが、咲き始めると嬉しくなる。
   門扉の裏のピンク加茂本阿弥は、いち早く咲き続けているのだが、開花するとすぐに鵯が来て蘂と花弁を食いちぎってしまうので、写真にならない。
   やっと、直前に追い払って取ったのが下記の写真、
   何故か今年は鎌倉山にリスや小鳥のエサがなかったのか、わが庭の木の実という実は悉くなくなってしまっている。
   

   半坪庭に主木として植えているエレガンス・シュプリームが華麗な花を咲かせた。
   この枝を挿し木した挿し木苗が2~3本あるのだが、まだ蕾は固い。
   先に咲いた仙人卜半と良く似た花姿だが、花弁化した蘂の唐子咲きが面白い。
   
   
   

   今回、嬉しかったのは、実生苗に綺麗な花が咲いたことである。
   まだ、20㎝ほどの小苗で、2つ蕾を付けて、その1輪が咲いたのだが、白覆輪なので、玉之浦の系統であろう。
   この系統で種を取って蒔いたのはタマグリッターズしかないので、その実生苗の1本だと思うのだが、親木と違って、花弁が、淡い美しい桃色で、実に優雅なのである。
   全開していないので、蘂がどうなっているのか花姿は分からないが、貴重な新種なのであろうから、木に負担にならないように、このまま、摘花して苗木を生かそうと思っている。
   
   
   
   
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トーマス・K. マクロウ著「シュンペーター伝: 革新による経済発展の預言者の生涯」

2024年03月01日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本の原題は、
   PROPHET OF INNOVATION: Joseph Schumpeter and Creative Destruction
   イノベーションの予言者:ジョセフ・シュンペーターと創造的破壊

   京都の学生時代に、授業とは関係なく、経済成長と景気循環に興味を持って勉強していたので、真っ先に手に取ったのが、シュンペーターの「経済発展の理論」
   そして、「資本主義・社会主義・民主主義」にも手を出したが、今思えば、読んだというか目を通したと言うだけで、良く分かっていたはずがなく、当時出ていたシュンペーター関係の本や解説書などの助けを借りて、ほぼ、シュンペーターの創造的破壊などの核心部分に振れることが出来たのだと思う。
   シュンペーターの著作については、前述の2作に加えて、死後妻エリザベスの尽力で出版された「経済分析の歴史」が主著だが、恥ずかしい話、真面にシュンペーターの著作に挑戦したことが殆どない。これは、スミスやマルクスやケインズなどについても言えることで、原典を読まずに周辺知識だけで分かったような気になって、経済を論じているのに恥じ入ることがある。

   さて、このマクロウの本だが、表題の通り、創造的破壊の理論を確立してイノベーションを予言したシュンペーターの完全なる伝記で、索引と詳細な注記を含めて700㌻以上の大著であり、「景気循環論」をも含めて、膨大な著作についても解説を試みており、偉大な経済学者の生涯のみならず人間シュンペーターを語っていて、非常に啓発的である。
   はじめて、正面切って、シュンペーターに対峙した感じであるが、これまでに理解していた創造的破壊などを根冠としたシュンペーター経済学の理解に誤りがなかったことを確認出来てホッとしている。

   シュンペーターは、創造的破壊を、「資本主義・社会主義・民主主義」で次のように述べている。
   「国内外に於ける新しい市場の開拓と、職人の店や工場からUSステールなどのような大企業組織への発展は、生物学の用語で言えば、工業の突然変異と同じ過程を示している。それは経済構造を内部から休みなく革新している。古い者を不断に破壊しながら、新しい者を不断に創造しているのである。この”創造的破壊”こそ、資本主義にとって本質的な事実である。それが資本主義の存在の仕方であり、すべての資本主義の企業が生きて行かなければならない環境である。」
   殆どすべての企業は、如何に強くて成功していても必ず革新に失敗して、自動車が馬車を、電灯がガス灯を凌駕したように、新しい革新技術で装備したイノベーターの追い上げ参入によって駆逐される。責任ある実業家は、足下から崩れ落ちる地盤の上に立っていて、日々、たちまち変化することが確実な環境下で事業を行っているという教訓を無視すれば命取りとなることを銘記すべきだというのである。
   この記述の中に、既にシュンペーターは、ドラッカーの経営学の核心を暗示し、クリステンセンの「イノベーターのジレンマ」の思想的根拠を示している。

   更に、シュンペーターの偉大なところは、この創造的破壊という革新が、資本主義だけではなく一般的な物質的進歩の牽引力であると洞察していたことである。経済学という学問に一種の創造的破壊を適用したと言われているが、色々な社会現象における進化発展を考えても、創造的破壊現象は機能しており、言い換えれば、トインビーの「チャレンジ&レスポンス」の文明発展論にも相通じる思想でもあり非常に興味深い。
   また、イノベーションを起動する企業家の企業家精神を具体的に「戦略」と結びつけて経営戦略論に言及し、「ベンチャーキャピタル」という言葉をコインしたのもシュンペーターであり、アントレプレナーを論じながら、経営学の基礎を提示していて、経済学者のみならず歴史学者であり社会学者でありギリシャやローマ哲学にも通じていた博識多才の面目躍如である。

   興味深いのは、ケインズが、資本主義の変化に於ける革新の重要な役割を無視すると言う致命的な過ちを犯していたことに鑑み、シュンペーターが、おしむらくも、ケインズから重要なことを学ぶと言うことを一切しなかったことである。
   弱肉強食、盛者必衰、下克上の資本主義の本質が創造的破壊だと、経済格差の拡大をも避け得ぬ現象だと意に介せず、ダイナミズムの極致とも言うべき競争優位の資本主義経済を説き続けていたシュンペーターには、静態的で短期的なマクロ経済の均衡には興味がなかったのであろうか。
   しかし、シュンペーターの代表的弟子のサミュエルソンやトービンなどのノーベル賞学者がケインジアンだというのが面白い。
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