地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

北京の秘境炭鉱鉄道 (4) 終点・木城澗駅

2005-12-18 11:02:43 | 中国の鉄道


 北京西部の山峡奥深く分け入った小火車は、沿線最大の駅・大台を発車して石炭出荷施設のベルトコンベアの下をくぐって行きますと、いよいよ終点の木城澗 (Muchengjian ムーチョンジエン) へ向かってさらなる急勾配を登って行きます。その遅さたるや、4kmの距離 (96年版全国時刻表まで掲載されていたものによる) を走るのに15~6分! そしていよいよ険しい峰々が折り重なるように連なり、谷は深くなって行きますが、そこに広がるのは一層ディープな1960年代 (?) ワールド。新緑の季節は時間が止まった桃源郷のような夢の景色が広がるのかも知れませんし、逆にこれからの季節に雪が降ったらそれこそこの世の果てのような雰囲気になるのかも知れません。極寒の北○鮮潜入映像を思い出すような……そんな感じです (^^;)。
 そんな景色に圧倒されている間に、午前9時、列車はダラダラと減速して木城澗駅に到着しました。ここは、北京南からの直通列車が走っていた頃の名残で長いホームを持ち、石炭列車にも対応する長~い機回し線も持っていますが、当然客車1両の編成では持て余し状態です。
 さっそく駅構内で激写を開始したところ、私の姿に気付いた若い駅員が近づいてきて「こんにちは。旅行でお越しですか? ここはご覧の通り炭鉱施設しかないもので、外へ出るのはオススメできないんですけど……え? もうこの列車に乗ってお帰りで? なら良かった」と宣って再び事務室へ戻ってしまいました。中国のこの手の場所であちらから「ニーハオ」と言って近づいて来て、ミョーに丁重な物腰で話しかけてくるというのは普通まずあり得ないことなので (^^;;)「ななな何事だ!」と思ったのですが、首からぶら下げたデジ一眼、それに出張鉄の都合上着ていたスーツ+黒い革靴という私のカッコを目にして「高級幹部か記者か何かに違いないので失礼のないようにしなければ……(汗)」と思ったのかも知れません (^^;;)。
 それはさておき、ホームは事実上生活道路も同然で、ヤマから帰ってきた鉱夫のオッチャンたちが真っ黒な顔と手で「お前さんのカメラすごいねぇ~。いくら? ○元! うへぇ高い!」と言いながら私のカメラに触って楽しんでおりました (まあどうせカメラは屋外で使って汚れるためにあると思っていますので、良いのですけど)。
 彼らは如何にも暖かそうな服装をしているのですが、私は手袋を持って来るのを忘れましたので、とにかく寒さがツラい! 北京市内の最低気温が零下10度……ということは、山岳地帯では零下10数度以下なわけで、さらに北風が激しく吹いていましたので体感温度は零下30度近い状態でした。カメラを握る手は瞬く間に感覚を失って行き、機回し中のDLと客車が並ぶ決定的シーン (↑) を撮るときにはほぼ指先の感覚がなく、ただ力任せにシャッターボタンに圧力をかけるという感じでした (いや~凍傷寸前でアブナイ ^^;)。



 機回し線を通過したDLはいったん上り本線に入ったあと、ゆっくりと接近して客車と連結、いよいよ門頭溝への帰り支度が整いました。到着後この間約10分。いや~とにかく寒かった……。買ったばかりの手ぶれ補正レンズでなければ、手が凍えきって震えまくり、もう絶対失敗作になっていたと思います (@o@)。そして、大急ぎで客車内に戻ったところ、あれほど冷凍庫のようだと思っていた車内が安らぎの花園のように思えてくるから不思議です (^^;)。
 一応、すぐ後ろに見える施設が木城澗の貯炭施設で、画像からは分かりませんがこの中にも2本の線路が引き込まれています。そして、時折ホッパービンが開いて貨車に石炭を落とし込むごとに「ザザーッ」という音がして、黄色と灰色を混ぜたような塵がモウモウと舞い上がります (画面左上にうっすらと見えてます)。そういうときは風下にいないのが無難かも知れません。
 何はともあれ、実は生まれて初めて現役で出炭している炭鉱の鉄道に乗った私にとって、この木城澗までの道中は新鮮な発見……というか懐古趣味的なオドロキの連続でした。将来も北京に一番近い産業遺産鉄道として客扱いを続けてくれればなぁ……と思いつつ、小さなヤマの駅を後にしたのでした。