木曽川のダム湖を渡る太多線の列車を撮影し、美濃川合駅前車両博物館もといJRC保存候補車両放置会場 (最近大幅に整理されてしまったとか……T_T) を見物したあとは、そのままだだっ広い街外れの大通り (?) を北上し、「古井農協前」バス停から東濃鉄道・美濃太田駅前~八百津間のバス(八百津線)に乗車しました。
それでもって、八百津と聞いてピーンと来る方は自ずと名鉄ヲタ。そう、八百津では名鉄八百津線代替バス(YAOバス)に乗車し、広見線末端部の明智まで出ようという計算であります。今回 (といっても約10ヶ月前……^^;) の中京圏周遊にあたっては、個人的に従来縁がなかった東濃地区の濃いぃスポット攻略を重点に置いていたのですが、八百津線代替バスを探訪ルートに組み入れるにあたり、単純に鉄道だけを乗り継いで可児から入ろうとすると結構乗り換えが多く面倒なところ、一日数本ある美濃太田からのバスを利用すれば、多少の待ち時間はあるものの変化に富んだ周遊が出来るのです。というわけで、美濃川合界隈から八百津までの約40分間、春の雨に煙る山間の田園風景の美を愛でながら、途中から貸切状態となったエアロミディに揺られていますと、突然ちょっとした小都会 (?) が開け、終点の八百津ファミリーセンターに到着~。なお「ファミリーセンター」と銘打ってある以上、如何にもありがちな小規模SCで昼食を調達できるのだろうと期待していたところ、実は合同庁舎の類……(滝汗)。というわけで、空きっ腹は継続です (@_@)。
それはさておき、暇つぶしとして周囲に立っている幟や、「人道の丘」という、田舎町にしては唐突な雰囲気の行先を掲げたコミュニティバスを眺めていると……ここ八百津は第二次大戦中にユダヤ人のナチズムからの脱出を助けた在リトアニア日本大使館員・杉原千畝の出身地であることを知り、思わず1000「へぇ~!」状態! かつては東濃地区の商業の一中心として栄えたことを偲ばせる旧市街中心部の見事な商店群といい、八百津からさらに山奥の狭隘路へと分け入るコミュニティバスといい、いずれゆっくり訪ねてみたいところですが、何時になるのやら。
そんなことを思案していると、バスターミナルとは別のところにある東濃鉄道バス車庫から、如何にも年式が古そうなエアロミディが「明智駅」と表示して参上! 二段窓・中折り戸・木製の床など……思わず嬉しさで頬が緩むスペックがてんこ盛りではないですか! (^O^) しかし……前ドア脇の銘板を見てみますと1990年製ということで、余り先は長くないのでしょうか。なお、途中行き違った明智→八百津便は新しめな西工ボディでしたので、名鉄八百津線代替バスが必ずこのタイプで来るというわけではありません、悪しからず。
八百津を又しても貸切状態で出発した明智行は、かつての八百津線ルートになるべく忠実に沿うべく、主要道を外れてしばらく狭隘気味な道を走ります。とくに、兼山の集落を通過する際には結構スリリングな展開に♪ 一方、大変恥ずかしながら、存続当時の名鉄八百津線には乗ったことがないため (80年代前半、中学生になるかならぬか……という頃合いで名鉄に興味を抱いた当初、八百津線=戦前製800形単行の聖地!ということで「是非行きたい!」願望が炸裂したものですが、間もなくキハ10に置き換えられ……当時気動車ヲタ度は皆無に近かった釣掛マニア少年は完全に意気消沈。鉄活動復帰の頃に気が付いてみれば一足先に路線廃止……)、ヲタシートに座ってかつての路盤を探してもほんの僅かな区間しか確認出来なかったのですが、それだけ既に草木に埋もれつつあるということなのでしょう……。
代替バスが行く道は、途中から2車線の一般道に合流し、明智駅の手前で再び駅前に入るためにクネクネとした道に入って無事到着~。無人化されて閉鎖され、建物だけが残る明智駅舎とバスの組み合わせを撮ろうとしたものの、数人の客を降ろしたバスはすぐに回送として発車~(滝汗)。というわけで、揖斐線黒野駅なき今、如何にも古き良き名鉄の分岐駅らしい明智駅が雨に濡れて「強者どもが夢の跡」な雰囲気 (季節は春ですが) を醸している中、6000系の到着を待ったのでした。
今回乗った美濃太田~八百津便は真ん中のエアロミディでした♪