ヤンゴンで鉄活動をする場合、余程ヤンゴン中央駅から離れたところに宿泊するのでなければ (とゆーか、ヤンゴン中央駅の近くに滞在していなければ非常に鉄活動しづらいと思います)、基本的に一日の活動は駅東側の陸橋を訪れることから始まります。この陸橋の西側には、中央駅の駅舎に回り込まずとも直接通勤列車用のホームに入る連絡口がありますし、しかもこの連絡口には改札がなく、切符はホームの事務室にて購入することになりますので、別に乗ろうというつもりがなくともホーム自体は入り放題。というわけで、乗るにも撮るにもこの陸橋が占める存在感は絶大ですが、とりわけ日本から来た鉄ヲタにとって、この陸橋からは日本中古DCの保守整備を担当しているヤンゴン車両工場の様子が丸見えであるため、一日の鉄活動を始めるにあたってのおみくじ的存在感があるのです (笑)。
そこで滞在初日、午前中に宿に落ち着いたのち早速陸橋に向かったところ……ををっ!これはすごい! 昨年の滞在時には全く見かけなかった日本中古DCがゴロゴロしていました!
とりわけ注目に値するのが、最も良い感じで顔をこちらに向けていたRBE2509! これは名鉄キハ34であり、先日当ブログにて知立&西中金でのカットをアップした車両そのものなのです!! 2509につきましては、RP誌2011年12月号の斉藤幹雄氏レポートにおいて「廃車前提の休車」と記されていましたが、その後2012年6月号ではヤンゴン工場入場中とあり、昨年3月の訪問時にはヤンゴン界隈で見かけませんでしたので、恐らく地方のどこかで活躍したのちヤンゴンに出戻って来たものと思われます。そして、訪問直前に名鉄キハ34の現役時代の画像を仕込んでおいた自分自身の予知夢的能力に、思わず腰を抜かすばかりです (笑)。
いっぽうヤンゴン車両工場の敷地外の側線(ヤンゴン客車区の一部分として、折り返し待ちの客車を留置するスペースとして使用されることもあります)には、RBE5010=東キハ58 1504、RBE2574=四国キハ47 1087、そして車番不明ながら東キハ52の計3両が留置され、しかもどの車両も床下がキレイに整備された状態となっていました♪ このうちRBE5010につきましては、RP誌2011年5月号の斉藤幹雄氏レポートにて「現状不明」とのみ記されており、おそらく地方のどこかに長らく放置されていたのでしょうが、奇跡の復活!ということで、既に塗装もピカピカになっているのは喜ばしい限りです! ミャンマー国鉄が決して荒廃車両の復活を諦めず、補充部品の調達が実現次第こうして少しずつ再起しつつあることを目の当たりにして、思わず感激を禁じ得なかったのでした♪ もう少々後の訪問であれば、もしかするとコンピュータ支線あたりの運用に入る姿を拝めるのかも知れない……と思いますと些か歯ぎしりものです (笑)。またRBE2574につきましても、マンダレー地区への配属直後に不調で離脱し、長らく放置されていたところ、今やこうして目出度くヤンゴンに運ばれて再整備を受けているという次第。塗装は今後恐らく、気動車標準塗装の赤+クリームに変わると思われますが……。
何はともあれ、RBE2509のみならずRBE5010・RBE2574の事例からしても、ミャンマー国鉄としては、一時期多くの車両が不調に喘いでいた日本中古DCに再び生命を吹き込んで後生大事に使って行きたいという願望を強く持っているのであろう……ということを理解した次第です。これもひとえに、経済発展開始によって整備費用面・部品調達面で多少の余裕が生まれたからなのでしょう。そしてこの後の滞在中も、気動車の整備進行と青息吐息の両面を目の当たりにすることになるのですが、詳しくはまた改めて……。
滞在2日目の朝、2574と5010が車両工場側に移動していました。
2574の後ろの車両は車番不明。さらに奥の荒廃した車両は2506 (元名鉄キハ31)。同じキハ30でも明暗が分かれているようです……。
長らくインセインで放置されていたというRBE2545 (松浦) も再整備へ。
北斗星DD51 (恐らく川崎港で放置されていたヤツ) が、インセイン駅西側の廃車置き場 (膨大な数のSLがゴロゴロ) に放置されていました。車内から眺めて思わず「ああっ!」と叫んでしまいそうになりましたが、そういえば以前ミャンマー入りしたDD51及びその二分の一化バージョンもすっかり離脱して久しいようで、結局この北斗星罐がデビューすることはないのでしょうなぁ……。
(15日20時補筆) と思いきや、改めて画像を仔細に眺めてみたところ、キャブの形状がミャンマーの跨線橋対策で変更されているではありませんか!! というわけで、この塗装でミャンマーの大地を走り始める可能性もあり……!