東武公式HPでは東上線のみならず野田線のダイヤ改正も発表されましたが (野田線とは一言も言わずアーパー線と執拗に書くあたり、何か苦笑混じりで泣ける ^^;)、やっぱ最大の注目は大宮~春日部間の急行運転でしょうか。8000系が急行幕で走るのかどうかが気になるところですが (2/12補記:既に七光台8000系の幕が「普通・○○」と種別入りに変更されつつありますので、8000系急行幕が仕込まれているのは確実でしょう♪)、個人的には大和田~岩槻間の直線で釣掛急行がもし走っていたとしたら、果たしてどれだけ飛ばしただろうか……と、思わず遠い目になってしまいます。
というわけで、そんな野田線を走っていた車両の模型として、毎年恒例・東武商事限定鉄コレとして発売された3000系列をアップしてみましょう~。
率直に言って、この車両をめぐっては人気が大きく二分され、欲しい人はゼッタイ欲しく、興味ない人はとことん興味ない……ということだったのではないかと思われます。かつて、野田線や北関東あたりで、一見すると日比谷線直通用2000系と同様ののっぺらな3扉車でありながらも、足回りを見ると千差万別で百鬼夜行の観を呈し、走り出すとまさに動く骨董品の如きデンジャラスな乗り心地であることに激しく感動した経験を持っていれば、手許に置いて激賞せずにはいられないことでしょう。いっぽう、そのような経験を全く持っていなければ、全く華も何もないただのボロでしかなく、恐らく30代半ば以下の世代はほとんど触手が動かなかったのではないかと思われます。
では個人的にはどうだったかと申しますと、何のかの言って3000系列には甘酸っぱく愚かな青春の思い出 (笑) がございます。80年代、半鋼製釣掛車命!な中坊をやっていた頃、消えゆく78系を求めて栃木エリアを訪れたものですが、宇都宮・日光線ローカルの半分以上の列車は3000系列で来るわけでして、撮るのも乗るのもこれに当たればハズレ扱い! しかし、後々で考えてみれば、あの昭和初期の下回りで奮闘する3000系列こそ、メカとしては昭和36・37年製の「超高性能車」7870系よりも断トツで貴重だったのです! そこで、90年代の非鉄時代を経て改めて深く考えてみますと、「目の前の3000系列をちゃんと愛でておかなかった自分は何と大馬鹿者だったのか……」という結論にならざるを得ず、穴があったら入りたい気分です。
というわけで、如何にも青二才だった自分への甘酸っぱい悔恨と、それでも何のかの言って乗って撮ったことの懐かしさも込めて、セイジ旧塗装と現行塗装の両方をゲット致しました♪ そして、3000系列当時の野田線については結局、春日部や大宮で横目にチラリと眺めるだけでしたが、とりあえず見映えのする堂々の野田線6連を仕立ててみることにしました☆ いずれ5070系や、アーパー線仕様の8000系や10030系もゲットし、並べるニンマリとする日が来ること見据えて……(^^;
今回のN化にあたる最大の問題は、インレタをどうするのかということ。以前GMクロポで3000系列が出たときに購入された方は、余りインレタを活用可能でしょう。しかし、「いずれこういうのも鉄コレで出るだろ?」と高をくくっていた愚民の私としては、今頃になってちょうど良いインレタが無いことに気付いてトホホ。7820・8000系用から数字を一つずつ拾うのは発狂モノですし、キレイな見栄えにはならない……。というわけで、いずれインレタのみ再販されることを希望しつつ、当面は同梱の車番ステッカーを貼ることにしました。この結果、車体とステッカーのテカリ具合が異なり、やや見苦しい状態となっていますが、テカリの差を抑えるために半光沢を吹くと、後でインレタを貼るわけには行かなくなりますので、まぁ仕方がなく我慢といったところでしょうか。
あと、正面オデコのマーカーランプは別パーツで、個人で後付けすることになっていますが、このパーツが実に小さく、下手をすると何処かに飛んでいってしまいますので、取り扱いは十分に注意するのが宜しいかと存じます。
こんな感じで完成したのを眺めていますと、思わず「うほっ……ボロい♪」と頬が緩みっぱなしになります。今後は是非、霜取り用の前パンを装備した3070とかも出ないかなぁ~と思うのですが、伝え聞くところでは、やはり今時の若者にはアピールしないためか、そして新旧塗装が同時に出て財布に痛いためか、未だに簡単にゲット可能だとか……。個人的には、3070に更新された5310系の2扉・3扉両バージョンとか、他の戦前製車両とか、是非あれこれ鉄コレ化してくれないものか……と思うのですが、昨今の鉄コレ高騰による「鉄コレ疲れ」現象が蔓延する中では、事業者側も余りにも古すぎる車両を鉄コレ化するのには二の足を踏んでしまうのでしょうか。