先日開催されたパクアン急行様歓迎の新年会は大盛況のうちに終わったわけですが、それは逆にいえば、パクアン急行様との席が離れていれば会話の量も少なくなってしまうことを意味しているわけで、お互い消化不良を感じておりました。そこで昨日は、パクアン急行様の御実家からすぐ出て来ることが出来る某市のタイ料理店にて、パクアン急行様と私だけの小宴が開催されまして、相当細かくマニアックな内容について約3時間ほど突っ込んだヲタトークが展開されました。その主な内容は、日本およびジャカルタにおける車両転配を占うというものでしたが、とりわけJRE・東急・メトロ・東武における余剰車の動向は、今後のローカル鉄道車両シーンを大きく変える可能性があるだけに、ああでもない、こうでもない……と云々するうちに、あっという間に夜も更けてしまいました (^^;)。
議題の二つ目 (←実はこれの方がもっと重要) は、アジアの鉄道全般における車両の動向と、その背後にある日中両勢力の激しい角逐についてでありますが、その細かい内容を記すと相当の時間を要しますので、一言でぶっちゃけ申しますと……最早ウリナラよりもチャイナの方がはるかにまともな製品を作る!ということに尽きます。
やはりウリナラには、Holec ACというトンデモなく伝説的な前例がありますし、出来たばかりのスカルノハッタ空港内新交通システムも相当な食わせ物とか。売りつけるだけでなく、メンテもきちんと責任をとってこそでしょう……。
というわけで、故障→救援→牽引車という連想ゲームに基づき (笑)、ジャカルタにおける電車故障時の牽引車、またはタンジュンプリオク港で陸揚げされた中古車両をマンガライに回送する際の伴車として用いられている「Djoko Tingkil」をアップしておきます。既にパクアン急行様のブログで紹介されていますが、日本が輸出したキハ40系列のインドネシア版と呼ぶべきDCは、既に全車が旅客営業から退き、とりわけメダン空港鉄道用として改装されながらスマトラには渡らずスマランあたりで使用されていたデラックスな車両も、不本意な境遇のまま離脱して続々と (?) ヘンテコ顔の幹部巡察車に姿を変えているようです。そんな中、この黄色い車両は、本来の顔をジャカルタで身近に楽しむことが出来る存在と言えそうですが、如何せん神出鬼没なのが残念なところです。