先日、新たに面識を得た取引先の若い方が新潟県長岡市出身ということで、「をを〜何と!越○会総本山ですねぇ〜!」などとヨイショ発言してみたところ、返ってきた反応は意外や意外、「○山会って何ですか……?」。
う〜む、今どきの若者はもう角さん全盛の時代を知らぬのか……。あるいは、その後の角さんファミリーの栄枯盛衰も事ここに至れりといったところでしょうか。「いやそのあれだ、越○交通なんてのは角サンファミリーの最重要中核利権企業じゃないですか」と補足したところ、「なるほどそうなんですね〜」と何処吹く風。平成も31年3月31日で終わることが仄見えてきた中、いよいよ昭和は遥か遠くなりにけりでしょうか。そんなことをつらつら考えながら、自分も若さに努めながらも覆うべくもないほどヲッサン化の道まっしぐらな昭和92年の秋でございます。
越○会という存在が既に風化してしまった以上、その威力を以て全面的に上越新幹線の計画が進み、旧国も猛烈な勢いで置き換えられて行った1970年代ははるか彼方。まさにそのために大量製造された115系1000番台が次から次へと力尽きて行くのもやむを得ないことなのかも知れません。
だからこそ、新潟支社も湘南色・旧国赤黄塗装・青赤帯新潟色の復活という企画を次から次へと繰り出し、来たるべき完全引退のはなむけとしているのでしょうけど、今や基本的に新潟駅にいる限り、これらの復活色を効率良く撮ろうという目論見は全く上手く行きません。去る8月、甥っ子を連れて新潟エリア国鉄型三昧日帰り旅に出掛けたところ、ラッシュアワーにおける料金不要電車の出入りはほぼE129系への置き換えが完了し、朝8時頃から10時前まで粘った中で撮影出来た115系はこの1本のみ……。このほか営業運転に入っていたのを見かけたのは、11時台に新潟に着く信越線快速のみ……(3連に客が集中して車内はカオスでした)。そして期待の赤黄塗装は、早朝からひたすら車庫の片隅でパンタを下げて寝ているばかりでした。既に新潟では、115系に狙いを定めても極めて効率の悪い状態となっていると考えて差し支えないでしょう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます