地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

第八ジャカルタ炎鉄録 (18) メトロ6000・6次車

2017-02-07 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 当ブログではかねてから、電化工事が既に終わったものの電化開業に向けた動きがなかったスルポン=バンテン線・マジャ~ランカスビトゥン間の様子をお伝えして来ましたが、いつもお世話になっておりますパクアン急行様のブログによりますと、ついにランカスビトゥン行き客車鈍行の運用を1本電車に置き換えるかたちで「お試し電化開業のお知らせ」がキタァァッ! 既に客車鈍行は一昨年、そして昨年と二度にわたりお名残乗車をしておりますので (と申しますか、一昨年の時点では、一年後にもう一度お名残乗車をするとは予想していなかったものです ^^;)、まるで常磐線上野口客車鈍行のような存在感のランカス鈍行の消滅は従容として受け止め、今後の電車によるランカスへの往復を今から楽しみにしているところです。マジャ~ランカス間は客レで30分かかる距離に駅が一カ所 (チテラス駅) しかなく、しかも乾いたサバンナのような風景の中の峠越えですし、ランカスの街に入れば複線分の線路用地が確保された中、如何にもバンテン州の田舎町っぽい風景の中を走りますので、そこに日本中古電車がどうハマるのか……(^O^)。



 そんなスルポン=バンテン線の電車、現在は基本的に10連のみということで、205系またはメトロ6000・VVVF車が来ることになっていますが、昨年8月の訪問時にはまだメトロ6000・10連はジャカルタ・デビューを飾っていない段階につき、画像はございません (^^;)。というわけで、メトロ6000系6次車 (33・34F) の画像を貼ることに致します。これらの編成は8連ですので、スルポン線運用には現在入らないのですが……(^^;;;)。
 それにしてもこの2編成、80年代の末に登場した際には、従来の鈍重な雰囲気の (?) 車内とは打って変わって、薄いグリーンとクリーム色を基調としたデザインに驚喜したのを思い出します。まだピッカピカだった90年代前半、今はなき7次車・6135Fも含めてたまに乗りますと「をを~グリーン車来たぜ!今日の運勢は良い!」などというキモいつぶやきを漏らしたものです……(滝汗)。その頃、まさか東京での活躍は20数年に過ぎず、ジャカルタへ渡ることになるとは夢にも思わなかったのは言うまでもありません。しかも1枚目の画像のように、行先表示として八高線っぽい雰囲気の単線路線の終点である「NAMBO」を掲げるようになろうとは……(@o@)。

横川近辺車両めぐり (6) キハ35 901

2017-02-04 00:00:00 | 保存・園内・特殊車両


 むかしは関東以南の温暖地・国鉄非電化ローカル線で「これでもか」というほどDCごちゃ混ぜ編成に組み込まれていたキハ30系列も、いつの間にか保存車を含めて全国的に著しく減ってしまったことを痛感せざるを得ませんが、とりわけキハ35は碓氷峠鉄道文化むらと足尾駅に各1両現存するのみとなっています。「あれほど沢山あった車両が、今やこれしか無いのか!」と絶句する点で、例えば73系電車 (※)とキハ35は存在感が全く同じなのかも知れません……。
 ※……クモヤ90をロクサンに戻したJRCリニア・鉄道館の1両が有名ですが (そういえば、まだ見に行っていない……^^;)、ウィキペディアによると広島県内で保存されていた可部線の1両が片上鉄道・柵原に搬入されて修復中なのだとか! あと、クモニ83は東芝府中にありますが、東芝という会社が果たしてどうなるのか……?



 というわけで、昨年11月に中山道の碓氷峠を歩いたついでに鉄道文化むらに寄り道した際には、たまたま薄曇りだったためキハ35 901を激写しました♪ ドピーカンになってしまっては顔が潰れてしまいますので、過去の訪問時にはなかなか会心のカットが無く、その鬱憤 (?) を晴らした次第です。
 嗚呼キハ35!しかもステンレス! 今やまことに唯一無二の存在としか言いようがありません……。現役時代の途中からタラコ色に塗られ、今もその通りに保存されていますが、例えば台湾のDR2700の一部が正面の黄色を剥がしたのと同じように、このキハ35 901もタラコを剥がしてギンギラギン姿を蘇らせることが出来れば、最高に美しくシブいと思うのですが……。
 そんなことをつらつら思うにつけ、キハ30・35が相模線や八高線で現役だった頃、「とにかくマジでボロくて汚い!」と馬鹿にしきっていたのを恥じ入るばかりです (人間誰でも、昔は無思慮な中坊だったということで……^^;→とはいえ、国鉄末期における相模線や八高線のキハ35が本当に汚かったのは事実です。窓ガラスとか完全に、ボットン厠から吹き付けてきた黄金の色がこびりついていましたし……爆汗)。まぁとりあえずは、KATOから発売されているギンギラギンのキハ35 900を机上で眺めて、そんな青臭い思い出とともにうっとりすることにします (笑)。

関鉄常総線の旧型DCを眺める (16年11月)

2017-02-02 12:00:00 | 地方民鉄 (関鉄系)


 烏山線のキハ40が消えるということは、冷静に考えてみれば関東のJREから国鉄型DCが消えるということであり、しかも最近関鉄キハ101・102は正式に廃車となって某所に引き取られたということで、残る関東の国鉄型DCはひたちなかにキハ205が残るのみとなります (水島臨海のキハ20は間もなく完全引退するとか……)。そして小湊鐵道キハ200といすみ鉄道のキハ52・58、関鉄キハ310・キハ0・竜ヶ崎線キハ532を加えたものが、関東最後の「昭和な現役ディーゼルカー」の陣容ということになりましょう。既に平成も29年。やむを得ない時間の流れでしょうか……。



 というわけで、東京からTXに乗ってひとっ飛びな常総線に、最早朝ラッシュ時専用となった観はありますが、まとまった数でキハ310・キハ0が現存しているのはいよいよ貴重なことだと思われます。そして、キハ101・102が水海道から姿を消した後も、物置代わりとして放置され続けているキハ301……。TX開業による運用数激減の頃からずっと放置されているキハ301が再起することは最早有り得ないでしょうが (TX開業前日、最後の力走をする姿はこちら)、今や「その気になれば車庫のメインステージに引っ張り出すことが可能な」キハ30として大きな価値を持っているように思われます。水島臨海で現役な1両と、美濃太田で放置されている1両、大多喜で動態復活待ちの1両を除けば、横川・足尾・鍛冶屋線 (市原&鍛冶屋) の保存車 (そして関鉄キハ101・102) のいずれも本線とは切れたところにありますので……。まぁ、最早この位置から動くとは思えないのも確かですが。あとは会津鉄道・芦ノ牧温泉のAT-301と、鉄道総研の湘南色か……。本当に減ったものです。

烏山線新旧交代へ・消える関東のキハ40

2017-02-01 00:00:00 | 国鉄型車両


 既に些か旧聞の類となりつつありますが (?)、来月のJRダイヤ改正ではいよいよ、JREの非電化区間における変革が加速するとのこと。男鹿線がJR九州と同じ交流バッテリ車をお試し導入するほか、かねてからEV-E301系がそろりそろりと慣らし運転を行ってきた烏山線では全面的に置き換え決定……。個人的に、EV-E301系はもとよりJREの3扉電車は、4扉車よりも丁寧に作ってあるように見えるのでキライではありませんが (目の錯覚かも知れません ^^;)、キハ40・10両を2連4本に置き換えるということで、従来のようなフレキシブルな編成を組めない中、果たして運用がうまく回るのか心配になります。



 検査と突発的な故障を考慮しますと、通常運用されるのは2本ということになりますが、電車化による大胆なスピードアップの結果、宇都宮~烏山間を直通しても現在3運用で回っているのと同じ本数を維持できるのかどうか (現在のキハ40に合わせた鈍足では、明らかに本気度ゼロな雰囲気が漂いますので、革命的な加減速を烏山線内でも見られるのではないか?と想像しなくもありません)。あるいはそれとも、朝ラッシュ時も含めて宝積寺で乗り換えとするのでしょうか……。ピーク時は2扉車3連が3扉車2連となりますので、座席定員も大幅に減るわけで (50系・12系客車廃車→701系化の流れを思い出します)、なおさら「宝積寺で乗り換えるべし」と客に強いるのかも知れません。全ては、新ダイヤの詳細を載せた時刻表が出れば明らかとなるでしょう。
 とまぁこんな感じで、ドシロートが要らぬ心配をしつつも、個人的には昨年の黄金週間、所謂「葬式」が始まる前に、烏山色キハ40とEV-E301系の並びを撮る機会があって本当に良かったと思うばかりです。タラコやツートンでは、この並びもイマイチ「烏山線新旧交代」っぽくないですし (笑)。既にトミックスの烏山色キハ40はゲットしていますので、あとは鉄コレでEV-E301が発売されること、そして烏山色がヤンゴン環状線に移るのを期待しています (トイレ撤去済みのロングシートなので最適)。