シリアは観光で訪れたことがあるが、僅か30年前は穏健な民族で平和そのものであった。アレッポ城は最も古い城として町ごと歴史遺産に指定されていた。
スークで買ったオメガの懐中時計は今でも私の宝物である。値切り始めたら、10ほども人が集まってわいわいガヤガヤというわけであった。そのスークは、2011年のアラブの春で焼け落ち、アレッポ城も爆破され影も形もなくなっている。パリュミラの遺跡も見るかげもない。
イスラム国がシリア北部を占拠したのであるが、全てはアメリカのブッシュのイラクへの侵攻で波及した結果である。ブッシュは9.11の報復として、アフガンへそしてイラクへと虚偽の情報(大量破壊兵器の所持)を理由に攻撃したことによる、アラブ世界の破壊に始まる。
シリアではここ数日、武装組織「タハリール・アル=シャーム」(統合前の名称は「ヌスラ戦線」)による占領が進んでいる。アレッポなど北部一帯がこの組織の統制下に入った。そのまま南下してアサドを追い出した。
「タハリール・アル=シャーム」は国際テロ組織「アルカイダ」のシリア支部で、「ヌスラ戦線」を母体としている。シリア政府は捕虜兵や民間人に対する拷問など、2012年から現在までに数多くの戦争犯罪を犯している。アサドの強権政治が政権崩壊で明らかになっている。
多くの国民が不法に投獄され、拷問なども行われていたこともわかってきている。自由にダマスカス周辺に行けるようになったり、囚人が刑務所から出たりと、一旦は解放という言葉が正しいようにも見える。しかし、世界各国からテロ指定を受けたりした政権は、上図のようなモザイク的に権力が分散して思惑が交差する現状にある。
イスラエルはこの混乱に乗じて、国際法に触れるであろう480発のミサイルを発射して、アサドの軍事施設を80%破壊し、ゴラン高原も占拠した。
ネタニアフはシリアに政治的に介入しないとエールを送っている。十分介入した後である。アメリカは9.11の首謀者のビン・ラディンをかつて支援していたこともある。テロ集団とレッテルを張っても、平気で支援することなどやるであろう。政権交代の時期もあって様子見るとトランプは発言している。
深刻なのはロシアである。新参者のロシアは中東での大きな拠点を失った。そればかりではなく、アフリカへの入口と唯一の安全な不凍港を失い、EUの後塵を拝することになってしまった。
シリアは今後大きな政治的混乱を当分続けることになるだろう。
中東の政治的混乱は先ずは石油が大量に見つたこと、1916年イギリスとフランスとロシアによるサイクスピコ条約で、アラブ諸国を分断したこととイスラエルの建国を促したこと。そして1948年パレスチナの地にイスラエルが独立したことである。そしてブッシュのイラク侵攻である。
中東地域は過去も現在も、欧米諸国にいいように混乱させられた現実を、未だにひずっているのである。