そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

憲法25条を考える

2009-05-05 | 市場経済

憲法記念日の3日の新聞に「9条、25条の実現を”戦争を止め人間らしく生きたい”」という、一面の意見広告が出たのをご覧になったであろうか。全国一斉に、9条の会などが中心になって、改憲派へのけん制の意見広告でもある。

憲法9条ばかりが目立つが、我が国の憲法の優れたもう一つが“生存権”をうたった、25条である。即ち、「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とするものである。憲法25条は、人間の生存権を大きく取り上げた条文である。

新しい憲法制定に伴い、生存権の明文化を強く主張したのが、憲法学者の森戸辰男である。ワイマール憲法を学んでいた森戸は、生存権こそ必要であると、ほとんど彼の主張だけで25条ができたほどである。こうした意味でも、25条は純粋に日本人が作ったものである。

25条を受けて、生活保護法が作られた。生存権を危うくされた国民を救うために作られた法律である。今流行りのセフティーネットと言われるものの一つであろうか。

この生存権がいま、規制緩和を受けて存在が危うくなっている。非正規雇用を大量に生み出す構造を作り上げた小泉改革は、生活保護法も聖域なき改革と大ナタをふるい、結果としてこの国の国民の生存権を危うくしたのである。

貧困を個人的な“怠惰”の枠の中に閉じ込め、個人の問題にしてしまう風潮が、この国の素地としてある。小泉改革は、巧みにそれを利用したのである。貧困を、個人の中に閉じ込めることで、リストカットや秋葉原事件のような噴出部分が露呈するのである。それでは社会の持つ欠点を、閉ざすことになってしまうのである。

貧困を生みだすことは、ひいては社会的に大きな負担を負うことになる。効率優先の市場原理主義あるいは新自由主義は、中長期的に見ると極めて非効率なシステムである。様々な社会保険や税負担を偏在し、国民から労働を奪うからである。更にその人たちを支えなければならないからである。小泉はそれをも外したのである。

新自由主義は、極めて一部の成功者が、社会的な負担を負うことになる。成功者は、その負担すら拒むべく自らに有利は税体系や法律を作り上げようと画策する。それがさらなる貧困を生み、生存権を奪うことになる。格差がさらに広がる。

日本の失業者の70%は雇用(失業)保険も受給していないし、生活保護すら受けていないないのである。世界第2位の経済大国の国民は、貧困であるが故の生存権すら補償されていない状況にある。憲法25条が生かされていないのである。

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再度雇用を考える

2009-01-15 | 市場経済

終身雇用と年功序列による給与体系が問題視されることは、とりわけ公務員(官僚)批判のターゲットにされることは、少なからず理由があった。護送船団方式も多くの問題があり、日本のお役所と大企業の強力な結びつきの、根源になっていた。さらにこれに政治家が加わることで、ゴールデントライアングルと言われている。

この延長として、雇用関係の見直しと年功序列がやり玉にあがる背景の中で、派遣社員の必要性が「柔軟な雇用関係」として登場した。雇用関係については下記のサイトから、ほとんで無断で引用したので参考にしていただきたい。

ここで問われるのは、雇用者の社会的責任(CSR)である。直接・常時雇用できない理由のある場合に限り、パートや臨時雇用するべきなのである。

工事現場に医師が必要な場合であったり、企業内で養成できないような極めて特殊な技術者を必要とする場合に限る、派遣労働の枠を、好きな時に働ける雇用の柔軟性とか市場原理といううたい文句で外してしまったのである。規制改革とやらである。

今急浮上する「ワークシェアリング」は、給与を減らして雇用を確保しようとするものとされているが、現実には賃金を抑えるための雇用者側の論理でしかない。

身障者や主婦などが、生活スタイルの中で働ける時間だけ働く、正規雇用関係を引き合いに出しているが、ワークシェアリングとは似て非なるものである。それでも構わないというほどの現実があることは認めなければならないが、労働者は追い詰められる一方である。

「五十嵐仁著「労働再規制-反転の構図を読みとく」(ちくま新書)より引用

雇用の基本は、直接・常時雇用である。基本的には、使用者が雇用責任を取ることができる直接雇用で、働きたいだけ働ける期間の定めのない雇用でなければならない。しかし、仕事の繁閑や専門性の関係で、一時的臨時的に雇用者を増やさなければならない場合や専門の技術者などを雇用する必要性が出てくる。こうして、一時的で部分的な業務を担当するパート労働者や派遣社員が登場する。しかし、それはあくまでも例外的なものであり、決して典型とされてはならない。これが、パートや派遣労働者の問題を考える基本的視点である。」http://igajin.blog.so-net.ne.jp/

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派遣法は誰のため

2009-01-08 | 市場経済

どう見ても地震などの災害後の炊き出しに見える、年越し派遣村が大賑わいである。もちろんこれは天災などではなく、小泉・竹中改革路線が生み出した人災である。

大手電機会社に勤める友人が、大阪の本社を離れ北海道に5年ほど転勤して来た。20年ほど前の話である。転勤前には、同じ課にほんの数パーセントの「ハケン」社員がいた。本社に帰ってみると、それが30%近くになっていたそうである。

自分より年上の立派な社員でも20代の若僧でも、みな同じ日給8000円ほどである。いかな55り優秀な人材もいたが、派遣される会社が一年で交代させる。労働組合は作れない。使う方が個人指名できないが、優秀な人材は指摘するといったん辞めた後でまた来る。

雇用関係は会社同士の間でなされる。派遣されてきた社員は、現実に勤めている会社には雇用関係はなく、文句はいえない。不満があると馘首(すげ替え)されるだけである。友人は、この 制度は日本を壊すと断じた。

1985年に労働派遣法が成立したが、この間に企業は人件費を大幅に削減できたために、内部留保に努める余裕がしっかりできたのである。派遣法は、企業家たちにとって厄介な労働組合法を飛び越える、福音の法律であった。

日本が壊れるには少々時間がかかったが、企業が潤い労働者たちがさまよう姿の原点はここにあった。

民主党は方針転換をして、共産党や社民党や国民新党との協議に入った。派遣法の廃案を提示するようである。今年中には、民主党を中心にした政府ができる。どんな内容になるのか注目したい。

しかし、もうすこし都会の橋の下や公園で暮らすホームレスや派遣村に目をやるのではなく、日本中を見渡してもらいた。この国の田舎には、400を超える限界集落がある。資源も手段も立派にある農地が放棄されようとしている。派遣ではなく担い手として、彼らをここにもってこれないのだろうか。

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新自由主義の破綻 その4

2008-10-20 | 市場経済

サブプライムローンの破綻から、1年が経過した。マーケット(市場)がすべてを決定する、政府は小さくなければならないとする、新自由主義者ブッシュにとっては見つめるしか、手はなかったのである。

ブッシュは暴力大統領のイメージが強いが(それはそれで良いが)、彼はれっきとした新自由主義者である。小泉・竹中路線も同様である。彼らにとって、弱者は市場の厄介者なのである。

サブプライムローン破綻が起き長期化しても、弱者は社会の底辺に落ち着くべきとブッシュは無策を通した。やがて、リーマンブラザーズの破綻に至り、それこそ市場は不信用から金融危機を招いたのである。

今回やっと世界各国の要請に渋々、公的資金の投入に踏み切ったのである。多極化に向かう中でも、世界経済におけるアメリカの位置はいまだに大きいものがある。

サブプライムの問題は、看過するほど小さくはなく市場に修復能力がなかったのであるが、何よりもこの時点で手を打つべきだったのである。その時点で救済手段を行っていた場合の、数万倍の公的資金の投入になったいわれている。

今回の金融危機は、明らかに新自由主義者たちが、イラク戦争の経済的な負担に苦慮する中で起きた、弱者切り捨てに起因するものである。やがて金融恐慌に至る可能性も残っている。

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汚染米の本質が論議されていない

2008-09-16 | 市場経済

汚染米が公然と流通したことで、世間は今大騒ぎである。農業には門外漢の太田農水大臣が、「大した量でないから、ジタバタ騒がない」と言ったりしたり、政務次官が「農水省に責任080916はない」と、まことにのんびりした無責任な連中の発言である。

かつては、主食のお米を流通させるにはそれなりの評価が必要であった。小泉・竹中の構造改革は、もうけ主義の連中の参入を許してしまった。食物を市場経済に委ねたのである。経済至上主義者には格好の儲け話である。それでも、流通に関与した300社の名前を公表するようなので、これは評価したいと思う。

しかしながら、ことの本質はそうではない。健全な形の輸入品であれば、汚染米や腐敗したりしたものは、輸出国へ返還されているはずである。なぜ返すことができなかったのか。

一つは、ミニマムアクセスでどうしても輸入しなければならない「お米」だからである。何としても買わなければならないからである。突き返したところで、同量を輸入しなければならない。

しかもそれを管理するのが、農水省というお役所である。輸出国へ突き返すよりも、国内処理の方が安易で波風が立たなくて済む。処理してくれるところがあれば、ありがたいという感情まで働いたようにも思える。

国内の流通した汚染米などで、三笠フーズは10倍もの値段にして売っていると、報道は彼らが儲けたことに熱心であるが、市場価格を下回る値段で売ると、出所が追及されかねないので、これは当然の行為である。儲けたことが悪いのではない。

ミニマムアクセスで、どうしても輸入しなければならないお米に、ロクなものがあるわけでない。本来であれば、これを機にお米の国内消費の在り方などを問う論議になって欲しいところである。ミニマムアクセスが不要だとどうしてだれも発言しないのだろう。国内生産でまかなうようにするべきだという方向に論議が行かない。

食の安全には、国内自給を高めることが最も本質に関わる論議となる。食の安全を、不正防止の、取り締まり方だけで論議するのはどう考えてもおかしなことである。

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誰でもいいから雇う

2008-07-27 | 市場経済

かつては、企業などが人を雇う時には、筆記試験でふるい落とし面接で人材を評価して決めたものである。当社はあなたを必要としていると、嘘でもいいからおだてに乗せられて雇用されたものである。

今でもそうした企業がないとは思わないが、少なくとも不特定就労が常態の派遣会社にとっては結局は「誰でもいいから」雇用するのである。体力があって仕事が欲しい人物であれば、誰でもいいから雇うことになる。

バブルがはじけた後に、政府は企業の保護育成をすることで景気の浮揚を狙った。結局は、企業の業績は伸び景気は回復した。数字上の問題である。物価が下がった企業業績が上がった、景気は回復した。7年間も好景気が続いた。

この、戦後最大の好景気を庶民は実感していない。賃金が上がらなかったからである。その一方で、やけに儲けた企業と労働者に生じ、それを「格差」と呼んだのである。

企業収益が上がりながらも、労働者に還元しないのを、何故「搾取」と表現せずに、格差と呼ぶのかはわからないが、市場経済主義では当然このようなことが起きる。ここにいる労働者は「誰でもいい」人たちである。

小林多喜二の「蟹工船」が、若者たちに読まれる現状は、まさしく企業が搾取している状況だと いえる。多喜二は、人々の怒りの矛先の持って行き方を示していた。労働者の団結と、企業のSippo搾取を暴くことである。

ところが現代の若者たちは、その怒りの矛先を、不特定の他人の「誰でもいい」人として、路上で見つけて刃を突き立てる。騒いでもらうことで初めて、居場所のなかった誰でもよかったところから抜けて、自分の居場所を確認するのである。

通り魔事件は、誰でも良かったと発言するのは、自らが誰でもよかったと、社会の評価されたからに他ならない。

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そりゃ競争社会の生み出した産物ダロ

2008-06-10 | 市場経済

今回の秋葉原の通り魔事件を、いち早くほとんどリアルタイムで報道したメディアは、NHKでもなければTBSでないようである。アメリカのCNNテレビが驚きをもって報道していたらしい。02_2 銃規制の厳しい日本で、アメリカ以上の無差別殺人事件があったと報道している。

日本のメディアは、日曜日の馬鹿げたタレントのバラエティー番組が満載の時間である。誰もやらせの視聴率を稼げる番組を打ち切らなかったようである。CNNが報道専門の番組であることを、差し引いてもなんだか釈然としない。

その後の報道も、殺害された人たちへの同情や、犯人のその日の異常な行動と携帯ブログの公開などばかりである。

この男のブログを見ると、絶望的な境遇の「派遣社員」という身分を、やはり「敗者」と位置付けている。かつては、このような境遇の社会の底辺に位置する人たちを、無産者階級(プロレ01_2 タリアート)と呼び、労働者として団結して雇用者や社会に立ち向かう戦いがあった。

勝てなくても、何らかのはけ口があったのである。少なくとも、労働改善や僅かな賃金アップなどは勝ちえたものである。

今や労組の組織率は20%少々らしい。食料の自給率に連動しているわけではないが、この二つのデータは何故かしら、類似の動きを見せている。食料問題にも見られるように、その20%の中身も心もとない。

一部ではあるが、この男のブログを見ると、叫びをあげているのが分かるが、解決の方法を持たなかったのである。あるいは、小林多喜二の時代のように頑強な体制への反発力も今の若者にはない。

彼らには、正当な理由もなく解雇されることや、合意ない労働時間の延長も労働基準法に違反することをほとんど知らされていない。知っていたとしても、組織化されない個人では何の手だてもない。

非正規雇用者たちが、この国の企業を支えている。非正規雇用者たちが、バブル以降の不況時代から企業の収益を回復させた。むろん彼らには賞賛の言葉もなければ、対価に見合う賃金も支払われることもなかった。

この種の事件は、小泉・竹中による新自由主義を理念に描く連中の、競争原理を最大の原理とする新自由主義にもとづく「カイカク」が生み出した産物である。

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食料のこと考えてください

2007-11-16 | 市場経済

食料自給率がどうしてこんなに低いのか、日本の政治家たちは真剣に考えようとしていない。あるいは、食糧の本質と実態を理解していない。一般国民も、食糧自給率を高めなければならないと、観念的には多くの人が思っているようではある。

しかし、現実には食料の本質を理解する姿がそこにはなく、結局は価格に反映された、結果55だけを見るだけのようである。

今回民主党の提案した「所得補償制度」は、一考に値する。しかしながら、政局にでっち上げ られ、自民党からはその資金となる1兆円をどこから捻出するのかとか、1兆円では足りないだとか、お金の論議に終始している。

そもそも、自給率が下がったのはお金の問題である。人が毎日食べなければならない、なければ生きてゆくことができない食料を、一般商品と同等に金銭評価したことが間違いなのである。

だから自民党にお金の話を持ちかけられて、お金の話で民主党が返答することがそもそもの間違いである。この、所得補償制度も実行されたところで、大きな問題がいく度も起きることであろう。仕事しない農家と、創意工夫している農家を峻別するのは難しいことや、農業のもつ多面的機能の評価などで、いきなりつまずくことになるであろう。それでも、農業のためには具体的で緊急な補助が必要なのである。

農業従事者の半数が65歳以上になって、三千数百の限界集落のうち10%ほどが、5年で消滅しようとしている。食料の自給率を維持するのに、論議の余地も時間もこの国にはない。すでに、多くの食料生産機能がマヒ状態に直面している。具体的で緊急な対策が求められている。

お金の問題や政治的得点を高めるための論議を行っている場合ではない。そうした低レベルの論議をすることが、すでに農業の自給率を念頭に置かない考えと言える。

食糧を自給しない国家は、独立国ではない。すでに日本は、バイオエタノールに飼料用穀物を回され、大豆やコーンの高騰にも毅然とした態度すら取れない国家に成り下がってしまっているのである。拙書参照ください。

そりゃないよ獣医さん―酪農の現場から食と農を問うそりゃないよ獣医さん―酪農の現場から食と農を問う
発売日:2005-10

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昨日のコメントの方へ

2007-10-14 | 市場経済

昨日の当ブログにコメントをいただいた、匿名の方へ一言。(昨日の記事「家畜にもいたわりを」のコメントの欄をクリックして読んでください)

この方は、大変家畜のことや食糧のことを憂いておられるようで、その考え方には大いに賛同いたします。このコメントは、輸入穀物がカビなどに汚染される危険性を訴えておられます。それに、政府や国民一般が無関心なことを訴えられています。

私は、輸入穀物が汚染されていることなど、当然のことだと思っています。だからこそ、食糧は自給するべきなのです。家畜Photo_2の飼料も同じだと思っています。特に、日本をはじめとする先進国の家畜は、人と競合する穀物を大量に与えています。日本のニワトリは(採卵鶏とブロイラー)は、日本人1億2千万人の人とほぼ同量の穀物を食べています。これが世界の穀物市 場を支えて、貧国の人間から食料を奪う結果になっています。

基本的に家畜は、人が食べることのできない草や残飯や雑穀などを与えて、人が食べられる肉や乳や卵を生産させるものでしょう。近代化は畜産の世界では、アメリカの穀物を大量に購入し給与するシステムのことを言います。

輸出する方も、市場経済にのっとって販売することになる。決して安定的に他国に給与することなどないと、考えるべきでしょう。今回の、アメリカの政策的にコーン(トウモロコシ)のエタノール生産の転換がいい例でしょう。アメリカにとっては、日本の家畜より自国のエネルギー生産を優先させるこtなど当たり前のことなのです。

もう少し引いて考えると、穀物を人に与えず家畜に与え、さらには車に与えると言うのです。これは倫理的に容認されることなのでしょうか?

我が国が、選択した畜産の近代化そのものが問われるべきなのです。食品の安全性は輸入されることで保障の枠がはずされたと考えるべきで、カビがあって病気になることなど当然のことでないでしょうか。

日本には動物の飼料については、明確な法律はありません。家畜が生産した、肉や卵や乳には規制があります。食品としての規制です。話は少し外れんが、犬や猫の餌は病牛で死んだ肉を加工して与えていますが、何の法にも触れることはありません。時折、ドッグフードを食べているタレントなどがいますが、生産過程を知っている者にとっては、口すら付けられません。

今回のご指摘は家畜の飼料のことに限っていますが、人間の食料も同じことだと思います。今回は、異常とも思えるメガ大国中国の経済成長のバッシングが目的なのでしょう、中国食品がターゲットになっています。

輸入食品(家畜も人も)が安全なわけがないと考えるべきでしょう。地域の疲弊と格差によって、高齢化社会の農村が崩壊しています。日本の食料自給率が30%を切るのは時間の問題でしょう。

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そりゃ偽装でないのかい?

2007-07-26 | 市場経済

香川県丸亀市の学校給食に、豪州産牛肉を国産と偽って納入して、不正競争防止法違反(原産地偽装表示)の疑いで精肉卸売業者などが家宅捜索を受けた。牛肉トレーサビリティー法に違反する疑いがあるとして、農林水産省中国四国農政局が今月是正勧告していた。 と報道されている。

オーストラリア産の牛肉を、国産として販売していたのである。が、それならば、その香川県で販売されている「讃岐う001_10どん」の原料の、80%ほどは輸入の小麦を使っている。この場合の、讃岐うどんは偽装とは言われないのだろうか?

日本は鶏卵の自給率は、85%ほどである。その鶏の餌のほぼ100%は、輸入飼料である。これで、鶏卵は自給しているとするには、偽装でないのだろうか?ブロイラーも豚肉も牛肉も牛乳も同じである。

府県で売られている「北海道牛乳」には、ほぼ全部に太陽の下で青草を食べている乳牛の、のんびりした風景が描かれている。こうした、放牧牛から搾られる北海道の牛乳は10%もあるだろうか。ほとんどが、輸入穀物を与えて牛舎の 中で搾乳されている。これは、偽装でないのだろうか?

もうすでに、輸入飼料に依存する北海道牛乳と府県の牛乳には、差がほとんどない。先日テレビで、関東の高原で搾った牛乳を、ノーテンキなタレントが飲んでいた。あぁやっぱりうまいなどと言っていたが、私はそこの牛たちが、中国産の草とSisido_1アメリカ産の穀物で飼育管理されているのを見逃さなかった。これで、高原牛乳とか言っていたが、おかしな話である。これは偽装でないのだろうか?

そもそもが、牛乳も卵も健康食品である。ところがこれを生産する、鶏も乳牛も効率を最大限追求され、発病寸前で生産している。いわば半病状態で生産された、健康食は偽装でないのだろうか?

今回問題になった、オーストラリアからは「WAGYU」と銘うった、100%日本の和牛のDNAをもった牛肉がもうすぐ輸入される。日本の和牛を輸入して同じように育てたのであるが、こちらの方が、偽装のレベルはうんと低い。

高々数百キロの牛肉を偽ったぐらいで騒ぐなら、もっと本質的なところで「偽装」論議をしてもらいたいものである。

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家畜の食料自給率は

2007-07-21 | 市場経済

Photo_139日本の食料自給率は40%ほどといわれている。これはカロリー基準での話である。穀物の自給率は25%ほどである。穀物の自給率をわかりやすく説明するために、やや簡素化して説明をいたします。我が国はおおむね4000万トン足らずの穀物を消費している。

我が国が自給する穀物とは米であるが、800万トン程度になっている。輸入する穀物の3000万トンのうち、2000万トンを家畜が食べている。とりわけ、鶏が半分量の1000万トンを食べている。残りを豚と牛が食べている。

鶏の食料(飼料)自給率は0%である。豚は5%程度、肉牛は10%程度、乳牛でも30%程度であ070614_2ろう。北海道の東の我々のところでも40%を切っていると思われる。

「北海道牛乳」のパッケージには青草を食べる、写真のような放牧風景が必ず描かれているが、そ うした農家は急速に減少している。北海道牛乳と府県の牛乳の間に、ほとんど差がない現実にある。

食糧危機になると、日本人が真っ先に犠牲になるといわれているが、それは正確ではない。真っ先に犠牲になるのは、日本の家畜であり畜産農家である。

地球上で10億人が飢餓状態にあるといわれているが、先進国の家畜はそうした国の人間から間接的に奪った形で、大量の穀物を生産効率を上げるために給与されている。家畜の診療をする獣医師は、極限まで効率を求められた肥満状態の家畜との戦いになる。

日本に安価な穀物を大量に送り続けるアメリカとは、安全保障関係にあり安定的にあるいは優先的に購入させてもらっていると・・・思っていた。ところが、飼料用穀物をバイオ燃料生産に向けるとアメリカが言い出したのである。5年後には、輸出する飼料用穀物は無くなると、報告されている。

食料を自給できない国家は独立国家ではない。日本は、今また自給率を下げるために、オーストラリアに車を売り込む条約の交渉にさなかにある。情けない国である。

拙書参照ください。 そりゃないよ獣医さん―酪農の現場から食と農を問う

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そりゃ企業がだれのためなのか?

2007-07-20 | 市場経済

ニッポン放送株をめぐり証券取引法違反(インサイダー取引)の罪に問われた村上世彰が、東京地裁から懲役2年、罰金300万円の実刑判決をうけた。追徴金は、検察側が求めていた通り、インサイダー事件での過去最高額を大きく超える約11億4900万円を言い渡した。

Photo_1377億円の保釈金を払って、即日本人は抗告した。何の反省もない。「お金儲けして悪いんですか?」と発言する この男は、もうこの商売は止めた。小説でも書く、などと世の中を相当甘く見ている。

この事件はホリエモン事件とその後のTOB騒動などと併せて、日本の企業の在り方を真剣に考えさせてくれるきっかけわ与えてくれた。企業は「労働者」「社会的目的・貢献」それと「資本家」からなっている。

企業乗っ取りを行う連中は、乗っ取り企業にビジョンを持っているわけではない。大量の株をお金の力で買い込み、上手くいけば会社を乗っ取り、下手しても大量の買い占めで上がった株をポンと売ればいいのである。その差額が、彼らの儲けになる。この村上世彰は、ニッポン放送株で20億円儲けたのである。55_14

この男の言動から、企業の社会的な責任・貢献など全く眼中にないことが分かる。企業は資本家のためだけにあると思っている。市場原理とは、資本家のための弱肉強食の論理である。

そこには、労働者の存在もなければ、企業がさし示さなければならない社会的な存在意義や理念が何もない。企業が どのような製品を何の目的で生産し社会に貢献するのか、どのように労働者の生活を守り権利を擁護するのかなどの理念など微塵もない。

これが小泉純一郎が目指し竹中平蔵が口角泡を飛ばして説明していた市場原理である。昨年の暮、官舎に女を囲って首になった男に至っては、大企業の大幅減税で市場は活性化すると豪語していた。企業が設ければ国民は豊かになるとほざいていたが、現実には派遣社員で埋め尽くされた社会には、貧困者を増産させる結果になっている。

市場原理の真っ先の犠牲になったのが、農業である。農業は追い込まれながらも、社会的な貢献に加えて環境保全にも大きくかかわっている。農民は、年々目減りする収益に耐えながら、食糧生産にいそしんでいる。市場原理主義者に彼ら農民の爪の垢でも飲ませたいものである。

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そりゃハッテントジョウコクだからか?

2007-07-12 | 市場経済

日本は中国から大量の食品を輸入してる。とりわけ、鮮度が求められる、野菜や加工食品はかなりの量が周辺食から輸入されている。金額にして、アメリカに迫るほどになっている食料が中国から輸入されています。

その中国の食品に含まれる、異常物質が次々と報道されている。今まで報道がなかっただけで、なぜ突如報道するようになったのか、勘ぐりたいところではある。が、今日のテレビ報道では、肉まんに段ボールを苛性ソ ーダで溶かして混入させているのを見ると、失笑さえしてしまう。乳牛に、廃品の段ボールの与えることを勧めていた、飼料栄養学者がいたことを思い出す。因みに、コノガクシャは「肉骨粉」給与を推奨していた、アメリカ飼料穀物販売業者の提灯持ちであった。

机上の効率だけで、飼料(食糧)を計算するとこのようなことが平然と行われる。安全性などがここでは問われ3m_vehicles_is_good_and_bad_news03_1ることがない。経済効率は、売れればいいもの、利潤が上がればいいものだけを市場に出すことになる。

猫がチャットフードを食って死んだことがとっかかりだったかもしれない。中国政府は急遽言Photo_135い訳の会見をしている。「我が国は発展途上国で管理が行き届かなかった。こうした食品は輸出しません」と発言していた。すると国内で消費することになるのだろうか、発展途上国だということと食品 が安全でなくてもいいということは、全く別のことである。

食料は人が生きていくためになくてはならないものである。食料は自国で賄うことが独立国家の前提である。国家が自国民の健康と安全を守るためには欠かせないことである。

食糧自給率を高めることを 明言できない為政者には、独立国家のとしての尊厳を語る資格などない。他国への食糧依存を高めることを、安全保障という言葉で言い包めるのは詭弁である。

食料に市場原理を持ち込んだり、安全保障の傘の下に置くことがおかしいのである。現に、アメリカは日本の家畜より自国の、バイオエネルギー生産に補助まで出して優先させている。

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そりゃどんどんでるわ

2007-06-26 | 市場経済

01_9 苫小牧の食品加工会社「ミートホープ」が、色んなことをやってくれたようである。コロッケは物まねかと思っていたが、偽装していたとは食肉業界の品性のなさを露呈した感がある。ばれそうになった時には、事故として保険金すら受けていたようである。

肉を混ぜ合わせる機械で「創意工夫賞」を、受けていたことに対して、ブラックユーモア賞を厚生労働省にやりたい気分でもある。

今回の事件を受けて、全国一斉の検査をすることになったが、結果が見物である。相当55_7 数の商品の偽装が発覚することになるだろう。

湯沸かし器で、一社が責められていたが結局は、相当数の商品が同じような状態であったのが、発覚した。保険事業でも同じような広がりを見た。今回も類似のような結果が予想される。

市場経済最優先の現在のような体制では、こうした企業は後を断つことがないと思われる。何でも良いからとりあえず、安価なものを作り上げて外側だけの商品を作り出すのである。

農産物でも同じことが言われる。とりわけ、大量の穀物を給与されて生産される、我が国の畜産製品の卵、肉、乳製品は家畜の命を引き替えにした代償として得られたものである。本来の畜産製品の姿とは思えない。22日の朝日新聞で、こうした矛盾を取り上げ記事にしてもらった。

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今こそ本当の畜産の姿を示すとき

2007-06-19 | 市場経済

001_8 飼料用の穀物(コーン・トウモロコシ)が高騰している。飼料用の穀物が高くなることは、これまでも何度もあったことである。しかしながら、今度は事情が全く異なる。

今までは、買い付けや干ばつなどで異常な高値になったりしたものである。こうしたことの対策として、畜産農家は農協などを通じて「安定基金」を積んでいる。激変緩和のためである。それも、あと2年ほどで底を尽きそうである。

今回の、コーンの高騰はアメリカのバイオ燃料への急激な移行によるものである。現在エタノール蒸留所が100少々稼働しているが、計画も含めて60近くのもの蒸留所が2,3年で稼働することになっている。政府の補助がこの背景にある。

昨年まで、エタノールが400万ガロン生産していたがこれらが稼働するようになると、1900万ガロン生産体制になる。それらが達成されると、アメリカ中西部のアイオワ、イリノイ、ミネソタ、ミズーリー州などでは、輸出用のコーンはなくなると報告している。(Staying Home:Institute forAgriculture and Trade Policy 2006.12.)

アメリカのコーン由来の、エタノールのエネルギー効率は1.3倍しかない。計算によるとマイナス(0以下)とする学者もいる。ブラジルのサトウウキビ由来のエタノールのエネルギ_sippo ー効率が8.0倍であるのに比較すると、これが政策的な動きであることが解る。

家畜用のコーンは今年になって、20%程度上がっている。昨年から見ると、30%も高騰している。前述のように、これは不作や騰貴的要素のものでない。当分は、待てば下がるものでもない。

日本をはじめとする、先進国では消費穀物の半分以上を家畜が食べている。こうした異常な形態が緩和されるなら歓迎されることではあるが、飢餓にある人間を傍目に家畜に穀物を与えることが倫理的に問題であろうが、家畜どころか車に食わせることは、更に問題であると思われる。

今こそ、畜産加工業から本当の姿の畜産に戻るチャンスである。

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