そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

そりゃ建前だろ

2006-10-06 | 市場経済

製薬会社は因果な商売である。何所の製薬会社も”社是”というものがある。特に、日本Photo_29 の大手の製薬会社は、歴史があって動物薬も結構扱ってくれている。それらの会社はの”社是”を何かの機会で、我々も知ることがある。どの会社も、人の健康に寄与することを第一に取り上げている。

ところが、これらの会社は風邪が流行るとすごく儲かる。胃腸薬や健康薬など目でない。結局は、製薬会社はインフルエンザなどが、できればなかなか治らないようで致命的でない風邪が広く長く流行してくれると、大黒字になる。こんな時には社是とは全く反して、社長さんや株主は後ろを向いて口を押さえて肩を震わせながら笑いをこらえているのでないかと思ったりもする。

資本主義社会で儲けることは、人々の幸せにに貢献することであるかもしれない。その逆のことも結構ある。儲からない企業は資本主義社会では存続できない。風邪が人の不幸なら、少なくともマイナス要因であるならそれを食い物にしていることになる。企業は理念では存続できないが、お金を儲けなければ維持できない。

いつしか農業にもこうした営利を求められるようになった。農家が冗漫な経営をやっていて赤字になっても救済する必要はない。が、13回も農薬をまいてつるんとしたきれいなタマネギが高値で売れるても、自家用に丁寧に作られた汚いタマネギは、安値で叩かれる現実はどう理解すれば良いのか。

農家が食料を生産する”農是”(こんな言葉あるかどうか知らないが)に反して、自分たちが食べたくもないものが売れる現実は、儲けることが社会に反することでもあるのである。こうして、日本の農家は次々と止めることになり、正体不明の農産物が市場を席巻するようになったのでないか。

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そりゃジジババ農業だろ

2006-09-30 | 市場経済

現在日本の農家は284万戸ほどである。45年前の1960年には606万戸あったから、Osappu 半数以下になってしまった。終戦直後は750万戸あったから、その3分の1以下になった。農業所得が主収入の、専業農家に限るとたった43万戸程度しかいないのである。

しかも、日本の農業従事者の、58%が65歳以上である。同じくイギリスが7%、フランスが4%であることを思うと、日本の農業が危機的状態であることがわかる。ジジババしかいない農村には廃屋ばかりが目立つ。

自給率を上げると20秒も発言していない新農水大臣の説明に、何の根拠もない。現実がこんな常態で、海外に打って出るなどは無理なのである。極めて少数の農産物が、たまたま上手くいっているだけなのである。それをことさら大きく評価する姿勢からは、農業の再生は窺えない。

農業の本質を放置したままの、金に頼る農業政策が農業に自身と力を失わせた結果、農村・田舎にはジジババしかいなくなったのである。

日本は日照時間も降水量も多く、農業に適した国土を持っているのである。規模が小さいことが、市場経済の規範から逸脱せしめただけである。農業の問題ではない。政治の問題である。

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そりゃ吼えるさ

2006-09-22 | 市場経済

Photo_25 ベネズエラのチャベス大統領が国連で吼えた。演説というより吼えたと表Bush_pressured_to_bomb_iran 現したい。非同盟諸国の決議事項を引っさげて、アメリカのブッシュ大統領を「悪魔」と呼び捨てた。彼自身が、アメリカを支援する政府によって何年も投獄の憂き目にあっている。親の七光りで、ヴェトナム戦争に行かずにすんだ、ブッシュとは全く反対の経歴を持つ。国連の会場でノーム・チョムスキーの本を読めといったのには少々驚いたが、イランのアハマディネジャド大統領もチャベス大統領もアメリカの力の政策が生んだあだ花である。

南北アメリカ大陸は、極めて大きな貧富の格差の中にある。アメリカがお気に入りのDefiant_ahmadinejad_left_says_nobody_can_2政府 を次々と擁立した結果、富が強力な武器を持つ国家に集中したのである。中南米諸国には、アメリカの富を一部受け取る層が、政権を支配して武力による統制が基本的な図式となっている。

私のように、日本の僻地に住んでいると、この図式はそっくりわが国に当て嵌めて考えてしまう。裕福な支配層が、都会とその周辺に集中して国を動かしている。農民の労働価格を極端に押さえ込んだ結果、人件費の安い国もしくは大量に機械的に生産する国に、それらを依存する結果になっている。農村が疲弊する。消え去らんとする集落が農村には無数にある。

田舎が、空気を浄化して水を供給して食べ物を生産し人々の心を癒すシステムを、都会は評価しない。これらの全ては、工業製品と異なりなくてはならないものばかりである。都会の地価と人件費が高騰し、都会の企業ばかりが増収する不自然は、田舎の犠牲に成り立っていることを知ってもらいたい。

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そりゃないゼ、平蔵さん

2006-09-18 | 市場経済

Bigpic_red 竹中平蔵が、議員を辞めるということである。なんともはや、彼らしいというか学者らしい世間知らずで無責任な決断である。国会内での自分の居場所がなくなることを受けての行動であろうが、参院選挙で自民党のトップ当選して議員になったときに、その他の改革にも取り組むなどとの発言が、インチキだったことを自ら証明した。

何より彼が経済は難しく、不確定要素があるために理論通りには行かないものであると発言していた。不確定要素とは、宗教であったり利権争いであったり、時には人々の思惑などで思わぬ事柄に人々が流れてしまうことがあるなどであった。が、これはどれも人間らしいことに他ならない。すなわち、経済学とは非人間的な学問といえる

市場経済といわれる理屈そのものが、非人間的な論理である。人の生き方を考慮することなく「富」が全てを決めるとする考え方が、改革をあらぬ方向に持っていったのでないか。議員辞職でそれすら見極めようとしない、無責任極まりない学者は勝手である。ところで小泉は辞めないのか?

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そりゃ独立国家でないサ

2006-09-04 | 市場経済

”食料を自給しない国家化独立国家ではない”これは、元フランス大統領ドゴールの言葉である。グローバル経済を推し進めようとする側から見ると、古い言葉と一蹴されそうである。しかしながら、独立国家が必要で欠くことができないものを、特定の国家に依存することはが果たして独立国家といえるであろうか?国家間で、一時的蜜月期間があったとしても、利益をどこまでも共有することなどありえない。今回のイランの核開発を巡る動きがその良い例である。アメリカに追随しようとする日本政府が、20%も石油を依存しその開発に多額の投資を行っているイランを、経済制裁などできるわけがない。

人間にとって食料は欠かすことのできないものである。どういった形でも必ず供給されなければならない。しかも人間の生命存続と健康保持のために、量だけでなく質も問われなけらばならない、極めて基本的な「商品」である。効率優先の市場経済からすると、基本的なものというより特殊なものになってしまう。グローバル経済社会は、食料の量も質にも関心がない。あるのは、価格だけである。

この地球上の人口は60億を少し上回ったところであるが、様々な試算の楽観的なところでも80億を養えるか疑問である。食糧危機は必ずやってくる。グローバル経済社会は、遠からず食料を戦略物資とする時代が来る。食料の多くを他国に依存しながら、肥満と食べ物の多くを廃棄する日本がいる位置を確認するべきである。つい60年ほど前まで戦火を戦わせたアメリカを、同盟国などといっていられるのは今だけである。

マージャンの強い知人に「弱きを叩き、強きにには抵抗しないことである」と勝つ極意を教えられたことがある。市場経済とはまさしくこのことである。わが国の食料自給率は実質20%程度である。

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羅臼港

春誓い羅臼港