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田上市長は、核禁止条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼んで歓迎。核保有国と核の傘の下にある国に、安全保障を核に頼ることのないよう求めた。日本政府には「憲法の平和理念と非核三原則厳守を世界に発信して」との注文も付けた。
福島第一原発事故で放射線の脅威にさらされた福島にも7年続けて言及し、「被災者を応援する」と述べた。田上市長の挨拶は世界唯一の被爆国日本の、しごく当然のことばかりである。
安倍晋三は広島同様に挨拶で、核兵器禁止条約には触れなかった。広島の記者会見では、核保有国と非保有国で話し合うことが重要で、核なき世界を目指すと述べた。具体的な内容はないもない。記者からアメリカが核を使用した場合に、日本も問われることにならないかとの質問に、条約に参加していないので問われることはないと、妙な回答をしている。核兵器の非人道性こそが問われるべきなのであって、立場としてのことを念頭に、建前で日本が言い逃れする言葉を探すべきではない。
非核三原則法令化についての質問にはその必要性を否定した。要するに、いつの日か(安倍晋三の希望に沿って)核兵器を持つことになろう時のための、今の回答と姿勢であるといえる。
長崎に投下された原爆は、浦上天主堂の上空で炸裂した。焼け跡から涙を出しているようなマリア像が取り出された。アメリカは、浦上天主堂を長崎市民が原爆の象徴にすることを拒み、天主堂を破壊した。やむなく代わりに、右腕を天に、左腕を水平にのばした、「平和記念像」が建設された。教会に投下したと非難されるのをアメリカは嫌ったのである。像はこれでいいが、原爆の悲惨さは広島の原爆ドームの比ではないく、何も伝わってこない。アメリカが原爆投下の正当性を主張した結果と言える。
核兵器禁止条約も同様に、被爆国のことなどまったく考えもしない強者の論理でしかない。安倍晋三はその僕(しもべ)でしかなく、爆心地で挨拶する資格などないのである。