そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

長崎市長が72年目の原爆投下の日の平和宣言で、核禁止条約へ参加を訴えるが、安倍晋三は知らん顔

2017-08-09 | 平和
長崎は今日(9日)原爆が投下されてから72年を迎えた。長崎市の平和公園で、市主催の「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれ、原爆投下時刻の午前11時2分に参列した市民ら約5400が黙とうした。田上富久市長は平和宣言で、国連で7月に採択された核兵器禁止条約を「被爆者が積み重ねた努力が形になった」と高く評価し、一方で条約に加わらない日本政府に「唯一の戦争被爆国として、一日も早い参加を」と強く迫った。 
田上市長は、核禁止条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼んで歓迎。核保有国と核の傘の下にある国に、安全保障を核に頼ることのないよう求めた。日本政府には「憲法の平和理念と非核三原則厳守を世界に発信して」との注文も付けた。
福島第一原発事故で放射線の脅威にさらされた福島にも7年続けて言及し、「被災者を応援する」と述べた。田上市長の挨拶は世界唯一の被爆国日本の、しごく当然のことばかりである。
安倍晋三は広島同様に挨拶で、核兵器禁止条約には触れなかった。広島の記者会見では、核保有国と非保有国で話し合うことが重要で、核なき世界を目指すと述べた。具体的な内容はないもない。記者からアメリカが核を使用した場合に、日本も問われることにならないかとの質問に、条約に参加していないので問われることはないと、妙な回答をしている。核兵器の非人道性こそが問われるべきなのであって、立場としてのことを念頭に、建前で日本が言い逃れする言葉を探すべきではない。
非核三原則法令化についての質問にはその必要性を否定した。要するに、いつの日か(安倍晋三の希望に沿って)核兵器を持つことになろう時のための、今の回答と姿勢であるといえる。
長崎に投下された原爆は、浦上天主堂の上空で炸裂した。焼け跡から涙を出しているようなマリア像が取り出された。アメリカは、浦上天主堂を長崎市民が原爆の象徴にすることを拒み、天主堂を破壊した。やむなく代わりに、右腕を天に、左腕を水平にのばした、「平和記念像」が建設された。教会に投下したと非難されるのをアメリカは嫌ったのである。像はこれでいいが、原爆の悲惨さは広島の原爆ドームの比ではないく、何も伝わってこない。アメリカが原爆投下の正当性を主張した結果と言える。
核兵器禁止条約も同様に、被爆国のことなどまったく考えもしない強者の論理でしかない。安倍晋三はその僕(しもべ)でしかなく、爆心地で挨拶する資格などないのである。
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「武力が世界平和を作り出す」と、怖ろしい言葉を吐いたペンス

2017-04-19 | 平和
来日中のペンス副大統領が、「アメリカは、武力が世界平和を作り出していることを知っている」と述べた。とても恐ろしい限りである。アメリカの政権のトップなら、嘘でもあるいは心情だけでもいいから、仕方ないからとでも言ってもらいたかった。それすらない。
現在の中東の混乱は、あたかもイスラムが悪いように流言飛語を流し、それまでは曲がりなりにも平穏であった記憶すら、大衆から奪い去ろうとするペンスの発言である。
ブッシュのアメリカは、大量破壊兵器の存在を理由に、国連は査察で確認できないとアメリカ武力侵攻を認めない国連決議をしたが無視して、イラク戦争を始めたことが、その後の中東の混乱、イスラムの抵抗にあって、今日に至っているのである。大量破壊兵器がなかったので、中東の民主化を命題に切り替えた。1945年の日本を手本にせよとまで言ってのけた。実際アメリカが中東で支持する国家のサウジアラビアやドバイなどは王政の専制国家である。アメリカが忌み嫌うイラクやイランやシリアは、形だけとはいえ選挙で選らばれ民主国家の要件は満たしている。アメリカの軍事侵攻は、平和でもなく民主化でもない。
選挙期間中にトランプ候補は、「アメリカは世界の警察にならない」と断言した。少々無理筋でもトランプは公約、選挙期間中のことは実行している。実現していないことの方が多いのもトランプらしいが、ここにきて支持率低下回復を目指したともあるし、軍事産業の門前に下ったともいえる、シリアの空爆を実行した。空爆の軍事的効果は殆どないが、政治的インパクトは計り知れなく、世界を震撼させた。このトランプのとった行動は、ブッシュのイラク侵攻と全く同じである。今になって、シリア軍が空爆したISの施設が塩素系の化学兵器貯蔵庫で、化学物資の流出はそこから起きていたことが判明している。かなり時間差があって、化学物質の被害が起きていることもそのためと思われている。戦地ではどんなことでも、自らに有利な情報に改ざんすることは常態である。
トランプは、ブッシュの犯した失敗、戦争への大罪を教訓化していない。武力で平和を作り出すことができない。当分黙らせることはできる。武力で抑えられた人たちが黙っているのは、押さえられている間だけである。武力は継続しなければならないし、更新しさらには高めていかなければならない。
ペンスの来日ではっきりしたことがある。これまでの国家間の交渉は、貿易は貿易、軍事は軍事として行われていたが、トランプは経済と軍事もからめることもあるというのである。この姿勢に、ペンスの言葉を重ね合わせれば、アメリカファーストの意味が見えてくる。トランプはアメリカの利益のためなら何でもやるというのである。政治経験がないだけ、トランプは恐怖の存在と言える。
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三笠宮崇仁氏を悼む

2016-11-02 | 平和
三笠宮崇仁氏が先月末に亡くなられた。100歳という大往生であった。三人の息子に先立たれる不運の親王でもあった。
私は学校で教えてもらえなかったシルクロード・中東の歴史に興味を持っていて、30年ほど日本オリエント学会の会員として末席を穢していた。本ブログで中東のことをことさら書くのは、いくつかの現地を知り、いささか中東の歴史にも詳しいからである。
三笠宮氏は1954年の日本オリエント学会発足当時からの会長であった。飾り物のや名誉会長というのではなく、全く学者として会長の座を務められてこられた。
会に自著の印税を基金として、「三笠宮オリエント学術賞」が設けられ、若手研究者の発掘と支援を行われていた。

三笠宮氏は皇族でありながら、戦時中には名前を伏せてまで中国戦線に参加し、『聖戦』の実態を知り強く憂えて、戦時中から警告を発している。軍の規律が乱れ、中国戦地での殺戮を危惧し、南京事件の実態も把握していた。帰国後、戦争を終わらすべくクーデターを画策していたともいわれている。国はこの頃の三笠宮の行動も報告も、すべて危険思想と封印した。
先日、稲田朋美防衛大臣が、「神武天皇の偉業を継承しなければならない」とバカな発言をしたが、三笠宮氏は早くから学者として神武天皇の存在を否定していた。紀元節の復活を否定してもいた。末っ子の気ままさもあったのであろうが、皇室では極めて特異な存在でもあったが、一つのモデルとしての意味はあったと思われる。
自らもスポーツマンであったが、息子たちはさばけたスポーツマンであった。子ども三人は男性であったが、お孫さんは全員女性であった。継承者はいない。百合子様をたてた愛妻家であったことも知られている。三笠宮氏は息子を全て看取ってから、天寿を全うされた。ご冥福を祈りたい。
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平和活動を行っている吉永小百合さんら3名が表彰された

2016-10-29 | 平和
スターツコーポレーション(株)代表取締役会長兼・村石久二氏が理事長を務める(一財)澄和は、このほど「第1回澄和Futurist賞」を決定、27日3名の表彰を行った。
同財団は2015年3月に設立、平穏安泰な世の中と、あらゆる生物とのできる限りの共存の実現に寄与することを目的に、顕彰事業をはじめとするさまざまな活動を行なっている。
澄和フューチャーイスト(Fururist)賞は、「人の和」や「自然との調和」など平和な未来への強い思いを持ち、市民目線で活動している個人または団体を応援するため設けているものとされている。
第1回の受賞者に選ばれたのは、吉永小百合(女優)、中山きく(元・青春を語る会代表、沖縄県那覇市在住)、無言館(戦没画学生美術館、長野県上田市、館主・窪島 誠一郎氏)の3者であった。
吉永小百合さんは、1986年から30年間にわたりボランティアで「爆詩の朗読」を続けている活動が評価されたそうである。中山氏は、太平洋・沖縄戦に白梅女子学徒隊として従軍看護に当たった体験を語り継ぐ取り組みを長年続けてこられた。そして無言館は、館主の窪島氏が戦争で命を落とした画学生の遺作や遺品を収集し、97年に約700点を展示して開設した。私も父を戦争で亡くしたが、上田の無言感を見てきている。画学生という、未来へ意思を伝える手段を持った学生の、悲鳴に似た訴えが胸を打つ。そうした平和への活動が評価された。父と同じ場所で亡くなった画学生の絵の前に立った時には、涙をこらえることができなかった。
3方とも敗戦国日本の負の遺産として、平和の大切さ戦争の悲惨さを継続的に訴え続けてこられた。戦争で亡くなった若者たちに、悲鳴を伝えている。こうしたボランティアの平和活動を高く評価したいものである。
私たちの青春のシンボル、吉永小百合さんが受賞されたことは、彼女の影響力などを考えるととても嬉しいことである。彼女が原爆詩をCDにしたのですぐさま購入した。幼い子供の声、被爆した市民の目線の体験詩を読むだけであるが、原爆の悲惨さを十分伝えてくれる。彼女の「いつまでも戦後」という言葉を受け止めたい。別海九条の会でも、NHKの原爆詩を読む彼女の番組を鑑賞している。いつの日か、ご本人を呼べないかと思っている。

核被爆国でありながら祖父の教えに従い、戦前の軍国主義を賛同・称賛しひたすら軍事国家に向かって歩く、安倍晋三とは大違いである。積極的平和主義という言葉に隠して、立憲主義を否定し、武器開発や輸出を奨励し、福祉予算を抑えてまで防衛予算を増大させる。積極的核武装主義者を防衛大臣に据える。核兵器禁止条約に反対する。PKO5原則を無視して派兵をしようとする。この男は銃口の向こうに、血の通った人間がいることさえ実感できないのである。
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「終戦の日」に思うこと

2016-08-15 | 平和
日本ではポツダム宣言を受け入れ、天皇が国民にそれを公表した日を終戦の日としている。8月15日の正午の天皇の玉音放送は、国民に敗戦を実感させるにまたとないものであった。日本国民のほとんどがこの日を世界的にも終戦の日ととなっていると思っている。国民感情として至極当然のことである。
しかし、第二次世界大戦と言われる戦争が正式に終結するのには、この18日後の9月2日の東京湾上の戦艦ミズリー号での調印を待たなければならない。ポツダム宣言を出したのは、アメリカとイギリスと中国である。とりわけ8月9日に不可侵条約を破棄して宣戦布告したソビエトはこの中に入っていない。同じ年の2月にヤルタの地、そしてポツダムの地を提供し会談の準備をした、スターリンのソビエトはこの中に入っていない。ソビエトは、この18日間に満州の地と千島列島と樺太に兵を進めた。周到に準備されたスターリンのシナリオである。
多くの連合国は9月2日を対日戦勝記念日としている。日本の官僚は戦争終結の判断を誤った。官僚とは外交官だけではなく軍隊、とりわけ陸軍である。8月15日を終戦の日とする見解は、官僚の過ちを覆い隠すものである。ポツダム宣言受諾だけではすべてに国に敗戦通告をしたことにはならない。
スターリンは日本に米英との講和の仲介がありうるように振る舞い、ヤルタの密約として千島列島とサハリンを領土とし、北海道の半分の割譲を申し出ていたのである。戦争が外交の結果であるなら、社会主義体制は誠に都合がいい体制である。独裁者が独断で行うことができる。日本の官僚はスターリンの術中にまんまと嵌まったのである。

日本国民はこの大戦で公式には320万人の命を失っている。そしかし、200万人近くを敗戦がほぼ決まっている、1945年(昭和20年)に失っている。戦争の犠牲というにはあまりにも、官僚の判断能力の欠如と言える。ヤルタ会談でのソビエトの参戦表明を知りながら隠していた陸軍が、情報をドイツ降伏直後(5月)にでも鈴木貫太郎首相に進言していれば、沖縄の悲劇も原爆投下も数千の空襲も北方領土問題も残留孤児問題もシベリヤ抑留もなかった。8月15日を終戦の日とするのは、軍部のそうした失政を覆い隠すものである。

本日の終戦の日に、現天皇は「深い反省」により「再び繰り返されないように強く望みます」と訴えている。この数年は南方の戦地などの慰霊の旅を精力的に続けていた。天皇は体制側にいた立場として、贖罪の旅を続けていたといえる。生前退位の希望もその一区切りと推察される。
そして天皇の言葉は明らかに、現安倍政権への不戦へのメッセージでもある。安倍晋三が戦争が起きないようにと、今年も過去には触れず弔辞を述べたが、空々しいにもほどがある。
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大橋巨泉がこの10年間訴えていた戦争への道

2016-07-20 | 平和
大橋巨泉氏が亡くなった。メディアに登場したころは、読売テレビ系の11PM(イレブンピーエム)という、深夜番組の司会としてだった。女性の裸を登場させる、東京と大阪で交互に放送する、子供だった私たちにとって、大人のエロ番組として不謹慎な男と思っていた。巨泉は競馬や麻雀やゴルフなども提供する遊び人の男と思っていた。
話には筋が通っていて、クイズダービーや世界まるごとHOWマッチは、考えられた知的な番組と言えるし、視聴率も30%前後と高いものであった。本人はジャズ評論家とか競馬評論家を気取っていたが、基本的には人生を楽しむ男と言える。身勝手ともいえる男であった。
国会議員を少しやったころから、政治的な発言を聞くようになった。そしてこの小泉政権以降の10年は、戦前に酷似していると戦争を僅かに体験する世代として警告し続けてていた。これは永六輔や愛川欣也や菅原文太や野坂昭如や小沢一郎などに同じことが言える。様々な形で、戦争へ歩む姿に警告を発していた。特に安倍晋三という、稀代の右翼思想の持ち主が首相に就いてから強く危機を訴え続けた。週刊誌に書き綴る文章は危機感を強く訴え、安保法案が通った後は死んでも死にきれないと言っていた。
昭和一ケタ世代が危機を感じているのは、国民が知らず知らずに戦争に加担していった過程を見ているからである。この過程が現在の安倍晋三の手法そっくりなのである。安倍晋三は祖父の、開戦時の閣僚でA級戦犯の岸信介の思いをすっかり受け継いでいる。あの戦争は下手な対応をやったから、”負けた”のであると信じている。戦争が悪かったのではなく、敗戦国になったから、日本はアメリカから憲法を押し付けられたと信じている。素人が10日で作った恥ずかしい憲法とも言い放っている。国家の最高権力者でありながら、ろくに読んでいないこともわかっている。
国家は戦争に行けとは言わない。国家は国を守れてというのである。国はあなたたちを守る。敵国(他国)は侵略を企てている。国家は国民を守る。そのためにあなたたちは銃を持てというのである。武器を持って国を守れというのである。
この論理は敵国も同様である。正義は双方に存在する。この100年間、自衛以外の戦争は存在しない。自衛の理由がなければ、でっち上げるのである。戦争は人殺しで、銃口の向こうにも正義のために戦う人間がいて、家庭や社会や山や川も存在する。それらのすべてを破壊せよとは、国は言わない。国は国家を守れというのである。国益という魔法の言葉を使う現在がそうである。
大橋巨泉は、安倍晋三を「法衣の下に鎧を隠している男である」と断じていた。戦争を知る昭和一ケタ世代は、戦争を嗅ぎ取る能力に長けていた。ともに早稲田を中退した、永六輔と晩年は意気投合して戦争への道を嗅ぎ取っていた。
大橋巨泉の警告と彼の死は戦争への歩みが、ヒタヒタを迫っていることを感じざるを得ないのである。
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IMAGINE all the people Living life in peace の再読を

2016-06-29 | 平和
Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...

想像してごらん 天国なんてないんだと
ほら、簡単でしょう?
下に地獄なんてないし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんなが
ただ今を生きているって...

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace

想像してごらん 国なんてないんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって...

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one

彼方は僕のことを夢見る人と言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんなつながって
きっと世界はひとつになるんだ

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world

想像してごらん 何ももっていないって
あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うんだって...

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんなつながって
そして世界はきっとひとつになるんだ ...

ビートルズが来日して50年なる。私たちがそれまで抱いていた音楽の権威も定型もそしてレコード会社も、ビートルズ以前と以後では全く異なってきた。権威や判例の踏襲から抜けて、個人の感性や個別の生き方などが問われるようになった。そして国際化、ボーダレスが問われ、それがネット社会になって進行している。ビートルズをリアルタイムで聞いた、第一世代にとって彼らの登場は衝撃的であった。世界を音楽が変えあらゆるものがグローバル化したのである。
ところがこれに逆行しているのが、政治の世界である。国家主義や国益を軸にして国民を扇情するのである。トランプの出現や英国のEU脱退、それに安倍晋三のような極右翼の登場である。
そういう方々には、上のジョン・レノンのイマジンをよく読んでもらいたい。この曲はアメリカで、9・11同時多発テロの後放送禁止されている。
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オバマの広島訪問を評価する

2016-05-27 | 平和
オバマ大統領が任期切れ筑前になって、ようやく被爆地広島を訪れた。就任早々チェコのプラハで、「アメリカは核を使用した最初の国として、行動を起こす責任がある」として、核なき社会の実現を訴えた。世間知らずの経験不足の大統領の演説であったが、核兵器の廃絶を訴えたことは高く評価されて、ノーベル平和賞まで授与された。やりすぎの感はあるが、それほどアメリカ大統領の宣言としては高く注目されるものであった。
その後はクリミアなどがネックになって、ロシアとは核軍縮交渉の進展はなく、二期目の任期も終わるころになって、ようやく広島を訪れた。
広島の演説は、総論が得意なオバマにとって内容のあるものとなっている。オバマの7年半の任期中での行動などは、決してノーベル平和賞に値するのではなかった。
今日の被爆者とのやり取りは目を見つめての会話など好意的であったし、被爆者たちを現時点で納得させるものであった以上は、高く評価されていいものと思われる。
続く安倍晋三の、核兵器なき社会への第一歩になるとは、日本の核武装の必要性を説いていた本心を隠した言葉には、決して騙されてはならない。オバマの被爆者との会話の最中も、打ち切りを促していた態度と相まって容認できるものではない。
オバマの広島訪問は、被爆地を世界へ大きく発信されることになる。そうした意味でもオバマの被爆地訪問は評価したいと思う。
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パフォーマンスであっても評価はしておきたい

2016-04-11 | 平和
広島市で開かれている主要7カ国(G7)外相会合に出席した各国外相が今日(11日)平和記念公園を訪れた。公園内の広島平和記念資料館(原爆資料館)を訪問し、原爆死没者慰霊碑に献花した。核保有国の米英仏の現職外相による公園訪問は初めてとのことである。
とりわけ原爆を投下した当事国アメリカは、公式には原爆によって終戦をやめることができたという姿勢を崩していな。つまり必要であったということから、要職にあるものは広島をほとんど訪れていない。3年ほど前に、アメリカ大使が初めて8月6日に音ず得ている程度である。
アメリカ以外にもイギリスやフランスなど、核保有国が献花したことはパフォーマンスであっても評価したい。少なくとも、「核兵器のない世界」実現への言葉ば出てきている。G7外相たちへ当初に盛り込まれていなかった、予定外の平和記念公園訪問である。

前日に元ウルグアイの大統領のホセ・ムヒカ氏も平和記念公園を訪れている。自書の出版記念で来日したが、ムヒカ氏の強い希望で広島訪問が実現した。ムヒカ氏は見学後、「倫理がない科学は、考えられないような悪の道具になる。歴史は、人間が同じ石でつまずく唯一の動物と教えている。私たちはそれを学んだだろうか」などと記帳。館内を案内した志賀賢治館長に「科学者が悲惨な結果を招くと知りながら原爆が落とされ、心が痛みます」と述べた。
公費で成り行きで献花することになった。G7のお歴々とは雲泥の差である。
アメリカは決して謝罪はしていない。沈鬱なお歴々の表情を殆どの報道が省いている。オバマは就任早々の年前に、唯一の核兵器使用国家として反省し、脱核兵器をするとか言っていた。これでオバマはノーベル平和賞を受賞した。お笑いであるが、ここにきて多少脱原発が姿を現した。
ケリーは戦争は最後の手段にするべきだとか述べ、各国外相も大きな影響を与えたようである。あえて言わせてもらうなら、こうした行為こそが、積極的平和主義に他ならない。強力な兵器を披歴して、抑止力が高まったということが平和につながらないことは歴史が証明している。日本はこうした形で平和を訴えることができる、軍隊を持たない世界唯一の国家であることを、安倍晋三は放棄しようとしているのである。
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天皇のフィリッピン訪問を歓迎する

2016-01-25 | 平和
天皇が明日から、国交正常化60周年を記念して4日間フィリッピンを公式訪問する。天皇はフィリッピン国民に甚大な被害をもたらした先の大戦の反省を、暮れに表明している。天皇の何度もの戦地への慰霊訪問は、安倍晋三が日本を右傾化させることへに抵抗のようにも見える。このところ、ことあるごとに戦争の風化を嘆いている言葉からうかがえる。

私の父はフィリッピンで戦死した。正確には行軍についていけなくなって自害したのであるが、母の存命中の35年程前と昨年厚労省の慰霊団の一員として、フリッピンのセブ島に二度訪れた。この間にフィリッピンは大きく変わった。車と人が増えて、戦跡が極端に少なくなっていた。戦争は遠くなったと実感する。35年前には、父の戦友たちが地図を描いてくれたが、何一つ変わっていなかった。
昨年訪れて知ったことがある。江戸時代末期から、沖縄の人たちが麻の栽培技術を導入して現地の人たちに貢献したことである。国家権力が介入する前であり、琉球人への感謝の碑などが残されていた。日本名の地名などがたくさん確認できた。
フィリッピンでは、日本関係者は50万人以上亡くなっている。戦地としては最大の犠牲者数である。フィリッピンの人たちは100万人以上が亡くなっている。特にマニラの市街戦は凄惨を極めたが、あまり多く日本で語られることはない。
日本はフィリッピンを大東亜共栄圏のモデル地にしようとした。アメリカからの解放を強調していた。実際には軍政をひいて支配した。その間に幾多のフィリッピン人を虐殺したり虐待したり強姦を重ねていた。フィリッピンによる対日戦犯裁判では151人の被告のうち、137人が有罪となりそのうち79名に視界が下されている。極めて厳しい判決内容が、日本軍の藩財政を物語っている。
フィリッピンは中国や韓国ほどのナショナリズムは強くなく、冷戦構造の中で西側についたこともあり、政治的判断で日本を責めるような行動はとっていない。そのことをいいことに日本は、フィリッピンでの蛮行などに蓋をしてきた。
天皇の二度目の訪問は、こうしたことへの一定の配慮のもとに行わることになる。こうしたけじめこそ政府が、国家がやらねばならないことである。臭いものに蓋をしたり、都合のよいところだけをつまんだ歴史感を披歴する、安倍晋三のナショナリズムなど陳腐な思想など何の意味もない。
フリッピンは歓迎ムードではないが、それとてこうした地道な戦没者への慰霊などの積み重ねが、新たな二国間の関係を開くであろう。
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平和にチャンスを

2015-12-19 | 平和
平和には生き残る
微かなチャンスがある

君には人々を幸福にする
温かい手がある

君には裕に暮らせる人々を
抱きしめる広い胸がある

君には人々を狂気にさせない
知恵と知性がある

君には人々の不幸に涙する
黒く大きな瞳がある

君には子供たちが明日を語る
穏やかな時間がある

君には見知らぬ人同士を
笑顔で語らせる力がある

君は何処に行ったと迷って
探す日がそこまで来ている

平和には生き残る権利がある


北海道新聞に投稿して反故になった詩です。
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風化される原爆の記憶

2015-08-06 | 平和
今日は広島に核爆弾が投下された日である。あれから70年も経つ。今日の鎮魂の日は、広島市長が平和宣言をするのが恒例になっている。初めての平和宣言は、1947年駐留軍の監視のもと行われた、平和祭で浜井真三市長が行った。駐留軍の監視の下、処分覚悟で原子爆弾の文言を宣言に入れた。お咎めはなかったのは、終戦のためには原子爆弾の投下は必要だったとの文言を入れたからである。
その後朝鮮戦争時には、原爆投下が現実味を帯びていたこともあり宣言は中止された。日本国内では、原爆反対の運動が社会党系と共産党系それに創価学会系と分裂し、原子力の平和利用に利用されたりと、広島市長の平和宣言は変遷を受けながらも連綿とひき続けられ、世界に反核兵器のメッセージを発信してきた。

今年の松井一実市長の平和宣言は、時の政権安倍に抗することのないように配慮されたものとなってしまった。2020年までの核兵器廃絶と核兵器禁止条約の交渉開始に向けて取り組むことを誓ったが、安保法制等の国内問題には触れることなく、「ヒロシマまどうしてくれ(元の姿にしてくれ)」とそっけないないようになってしまっている。
安倍信三は昨年、嫌々朗読したのが見え見えで長崎と同じ文章を読み上げたが、今年は広島は水の都だとかなんとか述べて、ちょっとした違いを示している。
進駐軍の監視下の元に始まった広島市長の平和宣言であるが、結局はアメリカ支配に配慮するようなないようになってしまっているのである。

今年被爆者の平均年齢が80歳を越えたそうである。広島県下の小中学校は、夏休み中であって8月6日は登校日と決まって全校生徒が黙とうをしていたが、それもなくなってきた。風化させるなと言いながら、現実には時の権力者が新たな戦の準備に余念がない中、元官僚の松井市長は現政権にはほとんど黙した態度を見せた。

BS日テレで深夜、広島放送テレビが過去に放送した、100本を超える被ばくドキュメンタリーの一部を放送している。3本ほど見たが、1965年ころからの古いフィルムであるが、まだまだ被爆者たちは健在で記憶も新鮮さがある。こうした生々しいドキュメンタリーの再放送を、どうして深夜にやるのであろうか。しかもBS放送と来ては、多くの国民の目に触れる機会を削いでしまっていることになる。
HDDに落として見ているが、良い番組であるだけに、残念で仕方ない。あと一週間ほど深夜3時ころから放送される。
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ベトナム戦争敗北から40年経ってまだ懲りないアメリカ

2015-04-29 | 平和
明日(4月30日)は、サイゴンが陥落してベトナム戦争が終結してから、40年の節目になる日である。あの戦争何だったのか、名誉ある撤退を模索したアメリカは、この戦争の敗北を”教訓”にもしていない。米ソ対立を軸にした、冷戦構造の中、中国、北朝鮮。北ベトナムと次々と共産化することを恐れる、ドミノ理論の恐怖がアメリカを駆り立てた戦争であった。
超大国がアジアの貧国に敗北した戦争である。当時のアメリカ側の報道を改めてみていると、全ての敵を”コミニスト(共産主義者)”と呼んでいる。背景には、直前に行われたアメリカ国内のレッドパージがある。ソビエトや中国を研究する学者などすべてを放逐したので、冷静で精密な判断ができなかったのである。すべては共産主義が悪いという論理である。
戦況が不利になりアメリカは、北ベトナムに和平交渉を申し入れた。これもかなりの紆余曲折があり、北ベトナムはアメリカの撤退を主張し南の政権そのものを認めなかった。
3年以上に亘った、北ベトナム政権のレ・ドクトとアメリカのキッシンジャー大統領補佐官との秘密交渉は、アメリカの強行姿勢で潰れることになる。協定を無視してアメリカはラインバーガー・Ⅱ作戦と称する、北爆が行われたのである。10年分の爆弾が投じられた。
結局アメリカは、サイゴンの武力的な陥落を待つことになった。アメリカは、『名誉ある撤退』を模索し続けたが、かなわなかったのである。北ベトナムの提示以外に解決方法がなかったことを知る機会を、アメリカは持つことがなかった。レ・ドクトはアメリカの反戦運動をはじめとする、世界的なアメリカ非難の声が高まるのを見ていたのである。
アメリカはその後も、世界の各地で紛争や戦闘を繰り返すことになる。アフガニスタンとイラクに攻め入って、同じような泥沼に陥っている。正規軍以外の抵抗をテロと呼ぶようになったが、テロは武力では制圧できない。世界最強のアメリカには打つ手がないことを、40年前のベトナム戦争の敗北から学ばなければならなかった。

ノーベル賞委員会は、キッシンジャーとレ・ドクトに、ノーベル平和賞授与を決めたが、レ・ドクトは侵略者と犠牲者を並列評価することに異議を唱え、受賞を拒否した。レ・ドクトはノーベル平和賞を拒否した唯一の人物である。

現在に目をやれば、出来もしないし取り組みもしなかった核廃絶の虚言で、恥ずかしげもなくノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領であるが、本日会談している日本の総理の祖父も、非核三原則なる虚偽による受賞をしている。真にお似合いのお二人の会談であるといえる。
レ・ドクトを見習え!それができなければ平和賞は返上するべきである。
そして、ノーベル平和受賞者のオバマは、世界の何処にでも出かけて戦闘できるように前のめりの、積極的平和主義の安倍首相を称賛する。集団的自衛権以前の、極めて低レベルな日米首脳会談と言える。
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なかにし礼の『平和の申し子たちへ!』

2015-03-28 | 平和
平和の申し子たちへ!』
泣きながら抵抗を始めよう

2014年7月1日火曜日
集団的自衛権が閣議決定された
この日 日本の誇るべき
たったひとつの宝物
平和憲法は粉砕された
つまり君たち若者もまた
圧殺されたのである
こんな憲法違反にたいして
最高裁はなんの文句も言わない
かくして君たちの日本は
その長い歴史の中の
どんな時代よりも禍々しい
暗黒時代へともどっていく
そしてまたあの
醜悪と愚劣 残酷と恐怖の
戦争が始まるだろう
ああ、若き友たちよ!
巨大な歯車がひとたびぐらっと
回りはじめたら最後
君もその中に巻き込まれる
いやがおうでも巻き込まれる
国のため?大義のため?
そんなもののために
君は銃で人を狙えるのか
君は銃剣で人を刺せるのか
君は人々の上に爆弾を落とせるのか
若き友たちよ!
君は戦場に行ってはならない
なぜなら君は戦争に向いてないから
世界史上類例のない
69年間も平和がつづいた
理想の国に生まれたんだもの
平和しか知らないんだ
平和の申し子なんだ
平和こそが君の故郷であり
生活であり存在理由なんだ
平和ぼけ? なんとでも言わしておけ
戦争なんか真っ平ごめんだ
人殺しどころか喧嘩もしたくない
たとえ国家といえども
俺の人生にかまわないでくれ
俺は臆病なんだ
俺は弱虫なんだ
卑怯者? そうかもしれない
しかし俺は平和が好きなんだ
それのどこが悪い?
弱くあることも
勇気のいることなんだぜ
そう言って胸をはれば
なにか清々しい風が吹くじゃないか
怖れるものはなにもない
愛する平和の申し子たちよ
この世に生まれた時
君は命の歓喜の産声をあげた
君の命よりも大切なものはない
生き抜かなければならない
死んではならない
が 殺してもいけない
だから今こそ!
もっともか弱きものとして
産声をあげる赤児のように
泣きながら抵抗を始めよう
泣きながら抵抗をしつづけるのだ
泣くことを一生やめてはならない
平和のために!

なかにし礼

今日はなかにし礼の誌を紹介する。満州からの引揚者の若者に向けた、真摯な誌である。安倍政権はこの国の形を変えようとしている。真摯な平和への目が試されている。ガンの闘病中である彼に敬意をこめて、この詩を紹介する。
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どんどん増えていく安倍軍事費

2015-01-27 | 平和

かつては防衛予算は、国内GDPの1%という論議があった。何の根拠があるわけでもない。与野党が軍事予算の増加を抑制する意味で、申し合せた結果と言える。憲法の精神がどこかで生きていたのであろう。
ところが今の安倍政権は、思ったことを簡単に決めてそのための雑音を簡単に切り離して、直線的に突き進むのである。経済対策に取り組むような姿勢をながら、安全保障と称する、軍事拡大を様々な手口を用いてやっている。上グラフが如実に物語っている。
(クリックすると大きくなります)
この国は財政破たんしている国である。財政の立て直しに、消費増税を国民に訴えた。好意的な国民でも、こんなに軍事費を増やすのかと驚くはずである。社会補償はどうなった。財政再建は何処に行った。
国会も始まったが、集団的自衛権容認のための関連法案が矢継ぎ早に出てくることであろう。あんなに騒がれたオスプレイを、5機も購入するようである。沖縄の予算は削られたが、辺野古基地の新設へのお金はたんまり用意している。
安倍政権はいよいよ馬脚を現した。
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羅臼港

春誓い羅臼港