そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

どんどん増えていく安倍軍事費

2015-01-27 | 平和

かつては防衛予算は、国内GDPの1%という論議があった。何の根拠があるわけでもない。与野党が軍事予算の増加を抑制する意味で、申し合せた結果と言える。憲法の精神がどこかで生きていたのであろう。
ところが今の安倍政権は、思ったことを簡単に決めてそのための雑音を簡単に切り離して、直線的に突き進むのである。経済対策に取り組むような姿勢をながら、安全保障と称する、軍事拡大を様々な手口を用いてやっている。上グラフが如実に物語っている。
(クリックすると大きくなります)
この国は財政破たんしている国である。財政の立て直しに、消費増税を国民に訴えた。好意的な国民でも、こんなに軍事費を増やすのかと驚くはずである。社会補償はどうなった。財政再建は何処に行った。
国会も始まったが、集団的自衛権容認のための関連法案が矢継ぎ早に出てくることであろう。あんなに騒がれたオスプレイを、5機も購入するようである。沖縄の予算は削られたが、辺野古基地の新設へのお金はたんまり用意している。
安倍政権はいよいよ馬脚を現した。
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メディアが無視した赤い女性たちの訴え

2015-01-20 | 平和
1月17日に赤い約7000人の女性たちが、暴走する安倍政権に抗議し、国会を囲んだ。
上の記事は東京新聞ですが、他のメディアはほとんど無視した状態です。この日は阪神淡路大震災から、20年の報道が圧倒していた。
集団的自衛権行使容認反対や特定秘密保護法の反対や、辺野古に基地反対や原発再稼働反対を訴えていた。主催者のネットからの呼びかけで、それぞれが何らかの赤いものを身に着けて、大きなインパクトがあった。
丁寧に説明すると言いながら、沖縄の民意を無視する、原発は再稼働する、憲法を無視した集団的自衛権行使容認や、消費増税など、女性がいてもたてもいられなくての、行動であろう。それでも安倍政権は突き進む。
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東大よ、お前までもか!

2015-01-16 | 平和
以下は、今日(1月16日)Yahooニュースのコピーである。

 東京大学(浜田純一総長)が禁じてきた軍事研究を解禁したことが15日、分かった。東大関係者が明らかにした。安倍晋三政権が大学の軍事研究の有効活用を目指す国家安全保障戦略を閣議決定していることを踏まえ、政府から毎年800億円規模の交付金を得ている東大が方針転換した。軍事研究を禁じている他大学への運営方針にも影響を与えそうだ。
 東大は昭和34年、42年の評議会で「軍事研究はもちろん、軍事研究として疑われるものも行わない」方針を確認し、全学部で軍事研究を禁じた。さらに東大と東大職員組合が44年、軍事研究と軍からの援助禁止で合意するなど軍事忌避の体質が続いてきた。
 ところが、昨年12月に大学院の情報理工学系研究科のガイドラインを改訂し、「軍事・平和利用の両義性を深く意識し、研究を進める」と明記。軍民両用(デュアルユース)技術研究を容認した。ただ、「成果が非公開となる機密性の高い軍事研究は行わない」と歯止めもかけた。以前は「一切の例外なく、軍事研究を禁止する」としていた。
 東大などによると、評議会は審議機関で、軍事研究の是非など運営方針の決定権は総長にある。総長には審議結果に従う法的な義務はない。それにもかかわらず、東大は評議会での一部の総長らの軍事忌避に関する発言をよりどころに禁止方針を継承してきた。
 東大は解禁理由について「デュアルユース研究は各国の大学で行われている。研究成果の公開性を担保する国際的な動向に沿った形で、ガイドライン改訂を行った」と強調している。
 東大の軍事研究をめぐっては、昨年4月、複数の教授らが平成17年以降、米空軍傘下の団体から研究費名目などで現金を受け取っていたことが判明し、学内の独自ルールに手足を縛られてきた研究者が反旗を翻した。5月には防衛省が、不具合が起きた航空自衛隊輸送機の原因究明のため、大学院教授に調査協力を要請したが、拒否された。

自他とも許す、日本の最高学府の東京大学である。小泉政権の時に、国立大学の経済的自立を推進したはずであるが、国は(安倍政権は)金で大学を釣り、軍事研究をかつて禁じた良心をかなぐり捨てたのである。
安倍晋三はここまでして、軍国化を推し進めようというのである。許しがたい行為である。
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ピカで死んでいった人々

2013-08-15 | 平和

東京空襲を母の背中で体験した記憶は全くないが、広島県の尾道の山村に疎開した幼い記憶は、薄れながらも今も消えることはない。

沢沿いに数件の農家が点在する処が多くあったその村で、「ピカで死んでいった」と噂する人々の声を忘れない。その家の前を通ると、匂った記憶もある。後程つないだ記憶の糸もあるが、村の人々は恐れて近づくこともなかった。

Gennbaku「ピカ」あるいは「ピカドン」と呼ばれていた原子爆弾は、少し知識のある方でも大型爆弾と呼んでいた。子どもたちは単にピカと面白おかしく表現していた。それが原子爆弾であり、核爆発をしたものだとは知る由もなかった。

広島で直接被爆した人もいたかも知れないが、ピカで死んでいった人々の多くはその後の被爆地広島へ援助に行って、被爆した人たちである。なすすべもなく多くの被爆者たちは、自宅で死んでいった。

村の人たちは伝(うつ)ることを恐れ、ほぼ村八分の扱いをしていた。被爆者たちは、多分数年ですべての人が亡くなったと思う。

核兵器の恐ろしさ、世代を超える放射能の恐怖は、当時の開発者も予測はしていなかった。

今日は終戦の日である。

現在わが国の首相の安倍晋三は、核武装論者である。この男は、核兵器を所有する必要性を唱えている。靖国参拝も我慢しているようであるが、核武装論も我慢して口にしていない。アメリカの差し金である。

怖ろしいのは、戦争をできる国家を志向する為政者たちである。

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2011-04-28 21:43:01

2011-04-28 | 平和

 福島原発事故ですっかり失念していたが、沖縄に関して重要な判決が出された。判決結果としては当然のことであるが、集団自決を命じたか命じていないかで争われ、軍は集団自決を結果的に命じていたとする判決であった。

 太平洋戦争の沖縄戦で、住民に集団自決を命じたと著書で110422 虚偽の記述をされ、名誉を傷つけられたとして、旧日本軍の元少佐梅沢裕らが作家の大江健三郎と「沖縄ノート」出版社岩波書店に出版差し止めなどを求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は、集団自決への軍の関与を認定し、請求を棄却した1、2審判決を支持し、原告の上告を棄却する決定をした。

 決定は21日付で、5人の裁判官全員一致の結論。原告の敗訴が確定した。何はともあれ良かったことである。

 しかし、今さらと思われるが「私は命令していない」と言う、旧軍部の身勝手な言い草はこれに止まらない。

 この判決は従軍慰安婦問題にも言えることである。彼女たちに報酬を払ったとか、自分の意思で志願したなどは、一億総火の玉で国民を鼓舞し、戦陣訓で軍人に逃げ場を与えず自決を強要するような背景を作り上げた、政府と軍部に免罪符を与え、戦争を正当化するものである。

 戦後になって「私は言っていない、彼らが勝手に自決した、自由意志で慰安婦になった」と、言い続ける旧軍人関係者、あるいは右翼が存在するのは、この国が戦争を正当に評価して検証していないからである。そのため、上手くいけば勝てたかもしれないとか、アメリカによって引き起こされた戦争であるとか、西欧列強からアジアを守るためとかの、事故正当性が未だにこの国を支配している。 

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戦争遺品は語る

2010-12-05 | 平和

先日、別海9条の会で身内の戦争遺品を持ちよった。ことの起こりは、会員の方のお父様が3trim亡くなられて、遺品を整理していると軍人手帳が見つかりました。極めて保存が良く、大事に保存 されていたのが解ります。会で以前満洲から沖縄に行って、沖縄戦を戦われて生き残った方に、お話をしていただきました。その方の話は、紙芝居にしてあちこちで披露しています。

その方と同じ分隊から満洲へ行かれていたのが、手帖から解りました。そこで軍人手帳を見せたところ、驚き大変感激してもらえました。会員の方は通常だと、捨ててしまったかもしれない遺品を、9条の会に入っているからと世話人会に持ってきてもらったのです。会の存在意義もこうしたところにあるのかと実感したところです。

101127_11syuku 会に3歳の時に出征した兄さんの遺品を持ってこられた方がいて、これが大量の手紙と日章旗への寄せ書きがあったのです。近所の方々が思いのまま書き込まれていました。兄さんは22歳で出征して、中支(現在の中国の中ほど)で戦死されました。出征からちょうど12か月の、昭和16年12月6日、日米開戦の日でした。この間兄さんは、父や母それに弟や妹に大量の手紙を書いています。家族のことばかり案じています。戦局などについては全く触れていませんでした。何処にいるのかも解りません。

当時は長男と言えば後継ぎです。家を何よりも大切にする時代の長男は、今とは比較にならないほどの存在です。良心の悲しみはいかばかりであったことでしょう。全国でこのような悲劇が無数にあったことでしょう。

驚いたのは、友人から父に来た手紙でした。戦死おめでとう書かれてあったのです。兄さんの霊前にこの手紙を捧げてくださいと結んでいました。兄の死を友人がおめでとうと言わなければならない時代だったと、溜息ついた次第でした。寄せ書きには、幼い妹たちの言葉や、生きて帰れとはいえない女性たちの苦しげな文言が並んでいました。日の丸のすぐ下には血痕がありました。

今、北朝鮮などの乱暴な動きに、武力の増強を唱える人たちが少なくありません。戦争を有事と言い変え、相互理解を安全保障とすり替えてしまう欺瞞に満ちています。戦争は人殺しです。時が経れば、こうした人々の感情を引き裂いた戦争をまた考える人たちが出ることも、恐ろしいことです。時が経ると戦争が風化してしまうます。そのためにもこうした作業を絶え間なくやって行こうと思っています。

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戦陣訓が父を殺した

2010-08-16 | 平和

父は苦学して早稲田の夜学を出たそうである。逓信省(後の郵政省)に勤務していた。志願兵ということであるが、実際は上官に促されて兵役についた。通信兵ということで、フィリッピンに行った。赴任地はマニラである。

東京には、長男と二男それに身重の若き妻を残して出兵した。“♪ 勝ってくるぞと勇ましく・・・ ”と、身重の母は玄関先までしか見送ることができなかった。その僅か1週間あとに、三男が生まれた。私である。

赴任地はマニラであった。その時の写真が送られてきたのが残っSyukuている。マニラ市街戦は熾烈を極めた。元々軍人ではない父は、マニラからセブ島に転進した。マニラの2年足らずの生活は楽しかったと、戦友が伝えてくれた。

昭和20年3月にマッカーサーがセブ島に上陸し、日本軍は敗走した。脚気になっていた父は銃弾を全て戦友に託し、自害用の手りゅう弾を動けずに残る3名に一つ渡し、本隊は前進し密林に逃げた。父が3名を代表して決意を述べたそうである。

「生きて虜囚の辱めを受けず」、東条英機が作った”戦陣訓”である。まじめな父は戦陣訓を忠実に守った。本国に愛しい3人の子供と若い妻を残し、どうしてのような判断が出来たのか、いくら考えても今の私には理解できない。それほど戦陣訓は大きな力を持っていた。戦争は正常な判断を人から奪う。

日本軍は、17年6月のミッドゥエー開戦でほぼ敗戦が決定されている。正常な国家の指導者であればこの時点で、敗戦を決定するべきなのである。真珠湾攻撃の僅か8ヶ月後のことである。この戦争を引き延ばせたのは、戦陣訓である。物資がなく兵士には白兵戦を強制された。白兵戦とは銃弾をなくした兵士が、銃剣を突き立て突進する戦いである。バンザイ突撃でもあるが、自殺行為で何の役にも立たない。神風特攻も回天も同じである。それでも戦いで死んだものは兵士の様を見ることができる。その倍を超える兵士が餓死か病死で『戦死』している。ミッドゥエー以降の戦いは全て意味がない戦いであった。

母は「死んだものは良いさ」とよく言っていた。ひもじい育ち盛りの男の子3人を抱えて、お嬢さんとして育てられた三女の母は懸命になりふり構わず働いた。戦争は、私たち平和な家庭から全てを奪った。夏が来るたびに、靖国神社に詣でる愚民を許すことのできない感情で見つめ続けている。

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銃社会に見るアメリカの防衛思想

2010-07-09 | 平和

Photo アメリカのシカゴ市が設けていた銃の所持時禁止に関する条例が、6月28日憲法違反であると連邦最高裁で判断された。同様の判決は2008年に首都ワシントンが設けた銃規制に対しても下されている。これを受けて、リチャード・ディリー市長は、新たな銃規制法案を7月2日に市議会に提出し承認されている。

シカゴ議会が決議した新たな法案とは、一家に一丁の銃を認める、家庭内では世情補完すること、銃の登録をすること、更に銃を持つ場合は4時間の授業を受け1時間の射撃訓練指導を受けること、としている。我々日本からから見ると、至極当然のことである。

アメリカライフル協会などは、銃を持つことは自己防衛のために必要であると、新たな法案に対しても訴える方向でいる。安全は力でしかないというのであろうか。

現在アメリカでは、9000万人が約2億丁の銃を所持しているとされている。届け出の義務がないから当然推測の数字である。現実のはもっと多いかもしれない。更には、毎日80人の人が銃で死亡し、34人の人が殺人の対象になっている。だから、誰もが銃を所持するというのが、アメリカの自己防衛の思想である。

これはそっくり、アメリカの国家の防衛の基本となっている。銃を所持しないから攻撃されるのだ。自らを守るために銃を持つ。それを誰もが行っているのである。これがアメリカの基本思想としての安全保障の考え方である。

力の論理といえるが、シカゴのようなところが次々と出てくることを望むが、銃規制に反対の人たちが圧倒的に多いこともアメリカの現実を表している。

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日本が果たすべき役割

2009-08-07 | 平和

麻生太郎が本音を隠している。広島の原爆の日に、原稿の読み間違いをしながら麻生が挨拶をした。麻生は核武装論者である。日本は核武装が必要であると発言をしている。この男が平和祈念式の挨拶に、こともあろうか非核三原則の堅持を盛り込んでいた。選挙が近いせいであろうが、良いことかもしれない。

090806_2非核三原則は風前の灯である。民主党の鳩山由紀夫は見直す時期だと言っているし、核が持ち込まれていた事実を、複数の外務次官が認めている。核武装論者の麻生が、こともあろう広島で非核三原則を堅持すると公言した。良いことかもしれないが、明らかに選挙目当てのパフォーマンスである。

もう一つ、長年争ってきた原爆被爆者の救済認定書に署名した。良いことかもしれないが、明らかに選挙目当ての行動としか思えない。長年アメリカの根拠のない被爆基準に準拠してきたの に、選挙直前の広島での調印である。選挙目当ての何物でもない。良いことかもしれない。

麻生太郎は、日本最大の右翼団体「日本会議」の、主要メンバーである。国会議員懇談会会090806長を拝命している。その、日本会議がこともあろうに「広島原爆の日」に、田母神の講演を開催している。平和公園の見える会場で、田母神は核兵器の所有をぶち上げると発言している。被爆者の神経を逆なでする行為である。秋葉市長が日程の変更を申し出たが、無視した。

秋葉市長の世界への呼び掛けは格調高いものがあった。オバマ大統領が、核兵器のない世界を目指すと宣言するまさにその時に行われる選挙に、核兵器廃絶を盛り込めない自民党と民主党である。

日本は唯一の被爆国であり、平和憲法を堅持し非核三原則、武器輸出三原則を実践している国家である。核兵器のない世界を目指すために、これほど十分な資格を持った国が他にあるだろうか?

自民党と民主党の一部は、アメリカの核の下にいることを容認する同盟関係に固執する。そして、非核三原則を実質空洞化し、武器輸出三原則をも見直すと言い始めている。世界の動きに逆行する日本である。日本は、平和国家としての役割を今こそ果たすべき時ではないのだろうか。

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沢田研二を讃えたい

2008-12-06 | 平和

沢田研二は小学校、中学校の後輩である。運動神経のいい子で野球が得意だった。公園の端まで球を打ち返していた。いつも一人で遊ぶ子でもあった。

081130_2 その彼が60才を迎えて元気である。日本国憲法9条をたたえる歌を歌っている。自らが作詞し率直に9条(窮状)を讃えている。決してヒットすることのない歌を歌うのは勇気がいるだろう。敵もたくさんできることであろう。芸能人として大きな決断だったであろう。率直に彼の行動を讃えエールを送りたい。

http://jp.youtube.com/watch?v=qla97qdg7G0&feature=related

芸能人は右にも左にも良い顔をしなけらばならにだろう。こうした行動をとる人物は少ない。太田光の、「9条を世界遺産に」はやや屈折したところがるが、ジュリーの歌詞は率直に表現している。

9条こそが、戦死者が命と引き換えに残してくれた宝物だという歌詞がある。国が攻められた時081206 にはどうするのだとか、戦争をしないために軍隊を持つなどというのは前提が矛盾している。戦争をするために軍隊を持つことは近代ではない。交戦力のない軍隊は意味がないからである。日本がこれからも平和を語るために9条はなくてはならないものである。

おりしも昨日、「9条の会」の呼びかけ人でもあった加藤周一さんが亡くなった。小田実さんに次いで二人目となった。やわらかな論調で戦後の文壇を評論されていた医師である。加藤周一さんの冥福を祈り、9条をこれからも掲げて行きたいと思っている。

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名作は不朽である

2008-01-16 | 平和

別海九条の会で、新春映画会と称して「二十四の瞳」を上映した。昭和29年Photo (1954年)の木下恵介監督・制作、高峰秀子主演の50年以上前の、白黒映画である。画面の痛みもあり、音響効果も最悪である。

当地のような田舎で映画会をやっても、せいぜい30名ほどの出席を予測していたが、70名も集まった。何より驚いたのは、10名少々いた小学生とそれ以下の子供たちの誰も退席しなかったことである。映画は、162分と24004 いう長編にもかかわらずである。ぐずる子もいなかった。

映写室から、観客のう様子を覗っていると、悲しい場面になると場内が見事に静寂になることである。それまでは、動いていた観客の頭の揺れが止まり、だれ24002もがスクリーンに見入っているのである。モノクロの痛みの激しい、音の良くない画面を、見入ってくれているのである。

私自信は、小学校時代に見た記憶があり、2年前にBS放送で見て胸を撃たれた作品である。声高な反戦映画ではなく、静かに瀬戸内の島の子供たちの成長と、出兵、戦死、不条理な教え子たちの死亡を淡々と伝える、監督の意思が伝わってくる。

何度も観客の涙を誘うこの作品は、50年の歳月を経ても人々を感動させて余りあるものがあったように思う。名作は不朽なのである。24003

若い世代が、知らず知らずに戦争に引き込まれて行く子供たちの姿を、どのように感じたのか機会を見つけて、聞く機会を持つつもりである。

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こりゃ慰安婦問題と同じだろ

2007-06-23 | 平和

先の戦争で唯一国内の地上戦が行われた、沖縄戦では多数の一般国民が、軍部の強制、あるいは指示で集団自決をした。このことは、明確に教科書に記載して後世に継がPh2007030101668_2 れてきた。

ところがここに来て、何人かのかつての軍人が強制はしていないと言い出した。これを受けて教科書が一斉に「軍部の関与がなかった」と、削除した。これは、従軍慰安婦の存在に軍部は関与していないとする考え方と同じである。

戦争という、異常な状況下にあって、将来不都合と思われることなどに関わる証憑書類など、簡単になくなってしまうものである。不都合な事実は、戦争を正当行為とする為政者にとってない方が都合がいいのである。

戦争を正当化したい為政者とは「阿倍晋三」である。教育の現場に、直接政府の意向が反映されるように、教育3法を成立させもしたし、国民党投票法も可決した。防衛庁を防衛省にしたし、イラクにも兵隊を送れるようにしたし、教科書の不都合な記述も変えたと言Photo_128った具合である。

今回、沖縄の41市町村中の36の議会が、この教科書検定による集団自決の強制がなかったとする記述に、全会一致で反対の意見書を国に提出した。

沖縄県議会も、教科書検定意見の撤回の意見書を政府に提出した。無数の体験者の証言を否定するものだと、と強く反発している。文部科学大臣は、これらの現地の声を無視するとコメントしている。

沖縄は、62年経て2度殺されることになる。

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羅臼港

春誓い羅臼港