日本ではだれもが、太平洋戦争は1945年(昭和20年)8月15日正午の、天皇の玉音放送で終わったと思っている。国民に向けた、現人神と奉った天皇の声を一般国民が初めて聞いた8月15日は、大きなインパクトがありこれは日本国民の認識としては致し方ないところがある。
しかし、この日の天皇の放送は、7月26日に示されたツダム宣言を受諾したというだけのものでしかない。ポツダムはドイツのベルリン郊外の地名であるが、この場を提供しほとんどを仕切っていた、スターリンのソビエトはこの宣言に加わっていまない。ポツダム宣言は、アメリカとイギリスそれに中国(蒋介石の中華民国)の三国の日本への15条からなる宣言である。ソビエトとは不可侵条約の期限が10カ月も残っていたので参加してない。スターリンは日本の連合国との終戦の調停統制を否定するでもなく、だらだらと時間を稼いでいたのである。半年前のヤルタ会談では、参戦をする密約をしていたのであるが、長崎に原爆が投下されるまでスターリンは参戦を待っていたのである。
日本はジュネーブに、ポツダム宣言の受諾を打電しているが、ソビエトのスターリンには黙殺した。スターリンは終戦後の極東での失地回復が最も大きな問題だったのである。そのためにソビエトは8月9日に宣戦布告しているのである。
日本人の多くの方が8月15日を終戦の日と思っているのは、ソビエトに終戦の仲介を依頼する誤った選択をやり続けた、官僚と軍部の失態を隠すものと言える。
世界的には太平洋戦争(第二次世界大戦)の終戦、日本の降伏は、9月2日の東京湾上で戦艦ミズリー号での降伏調印の日となっている。当然のことである。この18日間は、スターリンにとって計画通りに動けたまたとない期間でもある。満州(現中国東北部)に樺太(現サハリン)千島列島へと囚人で固めた無謀な兵隊を送り続けることができた。
日本政府(官僚)は、ソビエトは終戦後侵攻してきたと主張しつづけることで、終戦前後の無数の誤判断隠すことにした。8月15日を終戦記念日にすることは、ソビエトに対する間違った判断を国民に知られたくないための、極めて重要なパフフォーマンスなのである。
鈴木貫太郎など日本政府が本気で信頼していたソビエト、スターリンに狡猾に戦後振る舞われたのであるが、ソビエトの参戦などヤルタの密約内容などを一部の官僚や軍部が承知しながらも、メンツを優先したため終戦記念日は動かせないのである。
日本製の終戦記念日8月15日を、世界基準の9月2日に代えることによって、終戦の判断を誤った日本をもう一度思い起こすべきである。終戦記念日を世界基準の9月2日にするべきである。
しかし、この日の天皇の放送は、7月26日に示されたツダム宣言を受諾したというだけのものでしかない。ポツダムはドイツのベルリン郊外の地名であるが、この場を提供しほとんどを仕切っていた、スターリンのソビエトはこの宣言に加わっていまない。ポツダム宣言は、アメリカとイギリスそれに中国(蒋介石の中華民国)の三国の日本への15条からなる宣言である。ソビエトとは不可侵条約の期限が10カ月も残っていたので参加してない。スターリンは日本の連合国との終戦の調停統制を否定するでもなく、だらだらと時間を稼いでいたのである。半年前のヤルタ会談では、参戦をする密約をしていたのであるが、長崎に原爆が投下されるまでスターリンは参戦を待っていたのである。
日本はジュネーブに、ポツダム宣言の受諾を打電しているが、ソビエトのスターリンには黙殺した。スターリンは終戦後の極東での失地回復が最も大きな問題だったのである。そのためにソビエトは8月9日に宣戦布告しているのである。
日本人の多くの方が8月15日を終戦の日と思っているのは、ソビエトに終戦の仲介を依頼する誤った選択をやり続けた、官僚と軍部の失態を隠すものと言える。
世界的には太平洋戦争(第二次世界大戦)の終戦、日本の降伏は、9月2日の東京湾上で戦艦ミズリー号での降伏調印の日となっている。当然のことである。この18日間は、スターリンにとって計画通りに動けたまたとない期間でもある。満州(現中国東北部)に樺太(現サハリン)千島列島へと囚人で固めた無謀な兵隊を送り続けることができた。
日本政府(官僚)は、ソビエトは終戦後侵攻してきたと主張しつづけることで、終戦前後の無数の誤判断隠すことにした。8月15日を終戦記念日にすることは、ソビエトに対する間違った判断を国民に知られたくないための、極めて重要なパフフォーマンスなのである。
鈴木貫太郎など日本政府が本気で信頼していたソビエト、スターリンに狡猾に戦後振る舞われたのであるが、ソビエトの参戦などヤルタの密約内容などを一部の官僚や軍部が承知しながらも、メンツを優先したため終戦記念日は動かせないのである。
日本製の終戦記念日8月15日を、世界基準の9月2日に代えることによって、終戦の判断を誤った日本をもう一度思い起こすべきである。終戦記念日を世界基準の9月2日にするべきである。