
私たちが景観として眺めていた、スイスの山地での褐色のブラウンスイス種の牛たちが、大きなカウベルを鳴らしながら草を食む酪農風景は消えつつあります。乳価が安く抑えられて、国の保護政策は貿易障害と外されて、酪農家たちは苦悩している。貿易の自由化とは聞こえはいいが、強大な資本を持つものだけが生き残るのが、WTOに象徴される無関税政策である。上の写真は、ろじゅに牛乳を投げ捨て、国民に訴える酪農家。
農業は長年人類がそれぞれの地域で、生きるためにその地の風土に合った農業形態、食料の生産方法を模索し、築き上げてきた結果として残されているものである。それこそが、「持続可能」な農業なのである。毎年毎年成長しなければならない、商工業の2、3次産業とは異なる。
敬愛する農民作家の山下惣一氏が、「去年と同じ今年、今年と同じ来年、それを農業は安定と呼ぶ、商工業ではこれを停滞と呼ぶ」といった。けだし名言である。
100年前まで、日本の人口に占める農民の比率は80%ほどであったから、現代では5%を切っているだろう。国内総生産額では3%に満たない。残りの産業は毎年毎年成長していかなければならない、商工業産業である。経済成長は資本主義の命題だからである。
農業は人類の生存に欠かすことができない、食料を生産する産業である。途絶えることなく、良質の食料を一定量提供しなければ、人類の存在は危うくなる。農業は持続可能が最も大きな命題である。農業を知らない人類が多くなった。あと数年で都会の人口が世界の半数を超えるとのことである。ますます農村離れが進行し、農業の姿を知らない人々で地球がおおわれる。
食料を提供してくれる農民への正当な対価を支払わなければならない。価格にとらわれて食料の本当の姿を見失ってはならない。