プーチンのウクライナ侵略を、真珠湾攻撃に重ねせ理解しようとする知ったかぶりの評論家たち大勢がいる。プーチンは追い込まれてやむなくウクライナに侵攻した。アメリカに追い込まれ、やむなく負けるとわかっていたが、真珠湾攻撃に踏み込んだ日本と同じというのである。
要するにこの手の評論家あるいは学者もどきの人物は、戦争をするための理由を探しているに過ぎない。そして日本の仕掛けた戦争の正当性を探しているに過ぎない。プーチンのやったことは正しい、それは日本のやった戦争も正しかったという論法を導くものでしかない。
「私は8年前からずっと待っていたが何も変わらなかった」とプーチンは述べている。クリミアはなんなく手中にしたが、大統領選にみられるように裏工作を、まるで自国の選挙のようにまるでKGBの工作員のように、命をも奪いかねない陰湿な工作をやっている。
国連憲章2条4項に。『すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。』とある。
日本国憲法9条とほぼ変わらないが、国連憲章多くの所で平和的手段によって交渉するように記載されている。プーチンはそれをやらなかった。人目を憚っての陰の仕掛けしかできないからに他ならない。手っ取り早く権力を得るためには、公然とした論争もやることがない。
民主主義は面倒である。プーチンの手法はすべて否定する。何が民主主義かは論議の絶えないところではあるが、少なくとも情報の公開と透明化であることに異論はない。
プーチンはそんなことに全く興味がない。政敵は全て反国家罪で拘束するか、殺害する。中国にもそうした共通点があるが、彼らは独裁者を好むのは旧体制に慣らされているためか。
プーチンが興味があるのは、大ロシア帝国の復活かソビエト連邦の復活である。ウクライナ侵略に特段高尚な理屈があるわけではない。この前世紀的いや前々世紀的発想は、過去しか語ることのない歴史好きのプーチンの限界である。未来は平和しか語る資格がない。この戦争を終わらせるのはプーチンしかいない。プーチンによるプーチンの戦争だからである。