あらゆる生物は進化し新たな環境に適応して生き延びて現在に地球上を彩っている。適応しなかった種は現存していない。この進化は均一に低方向に変化してい来たのではない。多くの要因があるが、もっと大きな縛りで見るとその抑圧要因、不利な因子であるが、レジリエンス(Resilience 弾性:弾き返す力:復元力)といわれるものが、新たな展開を促しているのである。勿論回復どころかそのまま潰れるものもある。レジリエンスが選択したともいえるし、
家畜を育成の段階でとても衛生的に飼養管理することを指導者は支持する。私たち獣医師も同様である。風邪や下痢の原因になるからと指摘する。ところが、屋根だけのふきっ晒しの育成舎で育てられた子牛は、あまり大きくはならないだろうし乳牛であれば乳量も期待できないが、なんといっても抗病力があり強い親牛に育ち長く生きてくれることを私たちは経験的に知っている。
イギリスの研究者は家畜に接触する機会の多い酪農家の子供に、アレルギー疾患が極めて少ないと報告している。寄生虫学者の藤田紘一郎博士は、腸管の寄生虫が多いほど感染病に強くやアレルギーなどにならないと述べている。いずれも寒冷感作や病原菌などに恒常的に接触するというレジリエンスが強くさせているのである。
レジリエンスはヒトの世界では心理学にも用いられ、かつてのストレスという言葉に置き換えられつつある。人類学では大きな局面と思われる事象はレジリエンスと説明され、ホモサピエンスは大きなステップとして進化を加速することになる。
COVID-16、新型コロナが世界を席巻しているが、これは人類史上にこれから先幾度もあるであろうレジリエンスの一つと呼んでいいと思われる。人々が経済活動の効率を求めて、築き上げてきた社会への警告である。私のように田舎に住んでいれば、一度に10人以上を目にすることはまずないし、外食もほとんどすることもない。今回のことで改めて知ったことがある。都会の人たちは家庭内で食事をすることがほとんどないことである。ほぼ毎日外食をしていることが驚きである。食に関する感性の低下が無関心を呼び、食料自給率を下げるバックグラウンドになっているのかと思われる。
経済活動とウイルス対策を対比する愚かな作為は論外である。経済の効率の追求が、人々を田舎から都会に集中させて、一次産業を疲弊させた結果が現代社会である。新型コロナウイルスはそうした人々への警告である。そうした経済効率を解り易く示してくれるのが、採卵鶏の飼養形態である。密どころか動くことも許されず、夜昼も季節感も遮断された空間で知らされず、与えられた餌を食べ卵を産むだけの、なんという効率化であるか。こんな養鶏場の一つが昨年暮れに、鳥インフルエンザに侵された。すべての鶏、30万羽の殺処分が決まった。正月明けまでかかっているが、こうした鶏を生命がある動物と捉えることにない、経済効率主義への報復ともいえる。
効率を求め都会へ人を集めた資本主義、とりわけ新自由主義こそが新型コロナの横暴を許しているのである。更には、多種多様の移動機器を開発し、気候や風土季節とは無関係に移動し、人間の我儘と満足のために菌を世界の隅々まで届けてしまうのである。
余談であるが、新型コロナによって起きたキレイキレイは、新たに抗病力の減少を加速さすことになるだろう。とりわけアレルギー体質は間違いなく深刻になり数を増やすことになるであろう。
レジリエンスはウイルスの側にも当てはまるロジックであることも忘れてはならない。金銭的効率の追求があたかも真理のごとく掲げることを今一度見直さなければならないだろう。新型コロナの警告は、経済効率至上主義への警告であることを理解しなければ、この難局をレジリエンスとし得ないことになる。
田舎の人間が外食しないのは単純に食べる
お店が少なく、営業時間も短いからでしょう。
そもそも都会は交通網が発達しており、遅くまで
仕事が出来る環境にあり、近くに飲食店やコンビニが
あります。
食への関心が薄いというよりも、仕事が忙しくて余裕がないといった方が近いかと思います。
もちろん、畜産農家も忙しいのですが、職場と自宅がかなり近いため自宅で食べることのほうが多いかと。