結局世間知らずのお嬢様でしかない、安倍晋三の嫁さんの昭惠夫人である。これほどメディアに平然と現れて、好き放題をするファーストレディーは日本では初めてである。特段深い見識があるわけでもなく、知性を感じさせるものなどなにもない。語り口も訥弁であり、とりとめがなくまとまりのない言葉しか吐かない。こうした反知性の言動は、夫の晋三と多くのことで符合する。お似合いである。
昨日は、公然と「どうして騒がれているのか解らない」と、公の場で発言している。だったらなぜ、森戸学園の名誉校長を何故辞任したのか、説明がつかない。
そもそもこの女、判明しているだけでも名誉顧問9件、名誉会長8件、顧問・特別顧問3件、委員長3件、会長・後援会長3件、理事・名誉理事2件、校長・名誉園長2件で計30件、森友学園が入れば31もの名誉職を兼務しているのである。尋常な数字ではない。
これだけ多ければ、本人も区別できないだろう。このノーテンキな女性が、それぞれの団体の意味も中身も把握している訳がない。主に民間の活動団体であるが、名誉職に迎えられる意味というか下心解っているのだろうか?森友学園の教育方針を良いだけ褒め上げた挙句に、頼まれたからやっているに過ぎないというのは辻褄が合わない。要するに何の理念も、安倍昭惠にはないのである。
昨年は沖縄の辺野古基地建設現場に出向き、現地で座り込みなどしている人たちん顰蹙をかっている。世間知らずなので、悪気はないという好意的な捉え方もあろうが、逮捕者も出ているような緊張した現場を、ヘラヘラと見学に来る世間知らずである。物見游山気分で来られた方はたまったものでない。
総理夫人と持ち上げられてさぞかしご満悦であろうが、前言を平気で覆す無神経さが、担ぐ方には便利な存在である。
政府専用機にフリーパスで乗り付け人を5人もつけてもらう『私人』に、たとえ私用時であっても周辺が忖度するのは当たり前である。それを気が付かないお嬢様は、巧みに利用し担ぎ上げられてご満悦なのである。全く迷惑会存在であるが、森友学園の疑惑は金の動きなどなくても、周辺の忖度が引き起こしたのであれば、安倍晋三はその中心的な存在といえる。
昨日は、公然と「どうして騒がれているのか解らない」と、公の場で発言している。だったらなぜ、森戸学園の名誉校長を何故辞任したのか、説明がつかない。
そもそもこの女、判明しているだけでも名誉顧問9件、名誉会長8件、顧問・特別顧問3件、委員長3件、会長・後援会長3件、理事・名誉理事2件、校長・名誉園長2件で計30件、森友学園が入れば31もの名誉職を兼務しているのである。尋常な数字ではない。
これだけ多ければ、本人も区別できないだろう。このノーテンキな女性が、それぞれの団体の意味も中身も把握している訳がない。主に民間の活動団体であるが、名誉職に迎えられる意味というか下心解っているのだろうか?森友学園の教育方針を良いだけ褒め上げた挙句に、頼まれたからやっているに過ぎないというのは辻褄が合わない。要するに何の理念も、安倍昭惠にはないのである。
昨年は沖縄の辺野古基地建設現場に出向き、現地で座り込みなどしている人たちん顰蹙をかっている。世間知らずなので、悪気はないという好意的な捉え方もあろうが、逮捕者も出ているような緊張した現場を、ヘラヘラと見学に来る世間知らずである。物見游山気分で来られた方はたまったものでない。
総理夫人と持ち上げられてさぞかしご満悦であろうが、前言を平気で覆す無神経さが、担ぐ方には便利な存在である。
政府専用機にフリーパスで乗り付け人を5人もつけてもらう『私人』に、たとえ私用時であっても周辺が忖度するのは当たり前である。それを気が付かないお嬢様は、巧みに利用し担ぎ上げられてご満悦なのである。全く迷惑会存在であるが、森友学園の疑惑は金の動きなどなくても、周辺の忖度が引き起こしたのであれば、安倍晋三はその中心的な存在といえる。
ニッポン会議を構成する国会議員は震え上がっているのかな?
名誉なんちゃらは頼まれたから安請け合いしちゃうんでしょうね。政治的な思惑はないでしょうし、興味があるから顔を出すんでしょう。トリックスターですよ。
安倍さんも大変ですね、足引っ張られて。
神話や民間伝承のなかで,トリック (詐術) を駆使するいたずら者として活躍する人物や動物。ときには愚かな失敗をし,みずからを破滅に追いやることもあるが,詐術的知恵や身体的敏捷性をもって神や王など秩序の体現者を愚弄し,世界 (社会) 秩序を混乱・破壊させる。
庶民の方も愚民であり続ける限り、この状況は変わらない。3S政策に気付き否定し、今や権力不正の広告塔役に堕しているマスメデイアや御用報道人らへの鋭い監視や批判を続けることでしか、庶民には日本政治を庶民のための政治へと正す方法はない。何しろ、日本の政治は利権漁りや党利党略に邁進するのみで、庶民のための政治行うまともな政治家など殆ど存在しないのだから。
森友学園が騒動になるより前に、文藝春秋でも、先生と同様の問題視が、書かれていました。