戦争は自衛のために行なわれる。子どもの喧嘩がその良い例である。
「だってフセちゃんが先に殴ったんだモノ」
「殴ってなんかないょーだ、ジョーちゃんが先に手出しただよー」
「フセちゃんが殴ったの隠してるよ。僕知ってるモン」
「隠してなんかないよ、ジョーちゃんが僕のもの盗ろうとしたからだよ」
「盗ってなんかないよー」
「僕知ってるモン、ジョーちゃんが僕の近所の子いじめてるの」
「だってフセちゃんの友達は不良ばっかりだモン」
「近所の子友達でないよー。ジョーちゃんが、勝手に不良と思ってるだけだよ、皆善いやつばかりだヨー」
「この前だってフセちゃん、隣んちにかっぱらいに入ったんだよ」
「あそこは前は僕んちのものだったモン。先にかっぱらったのはフセちゃんのお友達だモン」
「こんな悪いことするフセちゃん、学校で問題になってるよー」
「学校だって、お友達だって、お金持ちのジョーちゃんの言うことから聞くモン」
「フセちゃんが乱暴なことするからだよー。持っちゃ駄目って言われてるの持っててモン」
「持ってないモン。黙って僕の机の中見たのジョーちゃんだモン」
「みんなフセちゃんおかしいって言ってるモン」
「みんなってだれサ。そんなこと言うのジョーちゃんのお友達ばかりでしょ」
「とにかくフセちゃん、いけないことばかりするんだよー。みんなの代わりに殴ってやったんだ」
結局、二人とも自衛のために喧嘩(戦争)をしていると言い張るのです。
集団的自衛権とは喧嘩をするための理屈でしかないのです。