そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

風化される原爆の記憶

2015-08-06 | 平和
今日は広島に核爆弾が投下された日である。あれから70年も経つ。今日の鎮魂の日は、広島市長が平和宣言をするのが恒例になっている。初めての平和宣言は、1947年駐留軍の監視のもと行われた、平和祭で浜井真三市長が行った。駐留軍の監視の下、処分覚悟で原子爆弾の文言を宣言に入れた。お咎めはなかったのは、終戦のためには原子爆弾の投下は必要だったとの文言を入れたからである。
その後朝鮮戦争時には、原爆投下が現実味を帯びていたこともあり宣言は中止された。日本国内では、原爆反対の運動が社会党系と共産党系それに創価学会系と分裂し、原子力の平和利用に利用されたりと、広島市長の平和宣言は変遷を受けながらも連綿とひき続けられ、世界に反核兵器のメッセージを発信してきた。

今年の松井一実市長の平和宣言は、時の政権安倍に抗することのないように配慮されたものとなってしまった。2020年までの核兵器廃絶と核兵器禁止条約の交渉開始に向けて取り組むことを誓ったが、安保法制等の国内問題には触れることなく、「ヒロシマまどうしてくれ(元の姿にしてくれ)」とそっけないないようになってしまっている。
安倍信三は昨年、嫌々朗読したのが見え見えで長崎と同じ文章を読み上げたが、今年は広島は水の都だとかなんとか述べて、ちょっとした違いを示している。
進駐軍の監視下の元に始まった広島市長の平和宣言であるが、結局はアメリカ支配に配慮するようなないようになってしまっているのである。

今年被爆者の平均年齢が80歳を越えたそうである。広島県下の小中学校は、夏休み中であって8月6日は登校日と決まって全校生徒が黙とうをしていたが、それもなくなってきた。風化させるなと言いながら、現実には時の権力者が新たな戦の準備に余念がない中、元官僚の松井市長は現政権にはほとんど黙した態度を見せた。

BS日テレで深夜、広島放送テレビが過去に放送した、100本を超える被ばくドキュメンタリーの一部を放送している。3本ほど見たが、1965年ころからの古いフィルムであるが、まだまだ被爆者たちは健在で記憶も新鮮さがある。こうした生々しいドキュメンタリーの再放送を、どうして深夜にやるのであろうか。しかもBS放送と来ては、多くの国民の目に触れる機会を削いでしまっていることになる。
HDDに落として見ているが、良い番組であるだけに、残念で仕方ない。あと一週間ほど深夜3時ころから放送される。

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