岸田のバイデン参りの、今こそ日米安保体制をを冷静に、基本的視点から捉えるべきである。青年法律家協会創立70周年記念集会の資料を
戦争法(安保法制=平和安全法制整備法及び国際平和支援法)が、ロクな審議もなく強行可決(2015年9月)されたが、国民の熱が下がるころを見計らって出されたのが、安保三文書である。ほとぼりが冷めることに登場した岸田は、安保三文書(国漢全保障戦略、防衛整備計画、国家防衛戦略)を一昨年12月に出してきた。
これは日米安全保障条約を決定的に軍事同盟に格上げしたものであるといえる。この文書は、中国と北朝鮮とロシアを仮想敵国としたものである。
この三国を敵国と設定しなければ成立しないがために、安倍晋三から一貫して、話し合いも交渉も一切することはない。北朝鮮(DPRK)がミサイル発射すれば、日本海側の小学校では座布団を頭に抱え机下にもぐらせる言葉でやらす。最も危険な原子力発電所は何の対策もせずにである。
これまで「敵基地攻撃能力」としていた文言を「反撃能力」に替え、敵のミサイル発射基地などをたたく「反撃能力」保有を明記している。これは誰が見ても、防衛などではない。北朝鮮の動きを見ればわかるが、基地などないか移動することで、この設定は意味がなくなる。敵基地を先制攻撃したら、敵は白旗上げてくれるというのが、この文書の希望する所である。
その逆に辺野古基地がいい例であるが、格好のターゲットになる。巨大な辺野古基地はAIが発達した現在未来、倉庫以外の意味を持たない。ミサイル基地も戦略的に無意味であるし、ミサイルの防御は不可能のレベルである。
それらを担保しているのが、「核の傘」理論である。つまり日本が攻撃された場合に、その国をアメリカが核で攻撃してくれるというものである。上記の仮想敵国の3国は全て核保有国である。核は一発でもあれば充分である。それらすべてを破壊することも確保することは不可能である。ましてや日本には、この仮想敵国に向けて、ズラッと原発を並べている。核攻撃でなくてもいいのである。
日本はアメリカの同意なし第三国へ出兵も攻撃も出来ないし協力も得ることが出来ない(第2条)。しかもアメリアは日本への軍事蹄防衛義務は明記されてはいない。議会の朗誦を得なければならない。直ちに出動できるNATOとは異なる。
核の傘理論は、ドラマの世界のことであって虚構である。 中国は今や2000以上のミサイル、北朝鮮も300以上のミサイルを所有している。戦争法を通した集団は、これに対抗するために、もっと軍事費が必要だ、もっと兵器が必要だ、もっと軍事教育が必要だと言いだす出すだろう。
もっとも滑稽なのは、国家安全保障戦略の冒頭に、「先進民主主義国は・・・法の支配と言った普遍的価値を擁護し・・・」の件である。よくもまあ、自民党がどの面下げて言えたものかと思う。
日米関係を軍事的に高めようというのが、今期のフィリッピンを巻き込んだ会談である。世界の軍事競争の中に日本も参入するというのが、安保三文書以降の日本政府の選択である。岸田の訪米はその確認といえる。
近隣諸国と政治的交渉したり文化的交流を重ねて友好関係を保つことが、憲法の精神である。交渉など一切なく、挑発を続けて軍事競争の坩堝に嵌る愚かな行為は憲法に反するばかりか、税金の大いなる無駄遣いである。