日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

お堀の向こう側からのメッセージ

2005-04-18 22:18:09 | 私の雑感あれこれ
去年社会人になったばかりの娘と勤め先の建物をぐるりと一回りしてから、葉桜の官庁街を抜け皇居のお堀を歩いたのは丁度今ごろだった。
4月中旬春爛漫、お堀端には小さな花が咲き誇り見事な景観が目の前に広がっていた。
2月にパリロンドンの母娘旅をしたばかりだったこともあり、娘は「皇居は宮殿でしょ。日本の宮殿もすごいね。ベルサイユやバッキンガムとは違った風格だね。すごーい」と言いながら、沢山の人が行き交う皇居前広場まで歩いた。

今日の新聞に皇居にお住まいの紀宮さまの誕生日を伝える記事があった。
結婚を控えて皇女としての最後の誕生日と言うこともあってか、例年より紙面が広い。
宮様の回答文書の中は、母親を気遣う思い出溢れている。
「皇后さまは耐えがたいお疲れとお悲しみの中で…
誰を責めることなくご自分の弱さを省みられながら、ひたすら生きておられた…
皇后さまが経てこられた道には沢山の悲しみがあり、誰に頼ることなくご自身で癒されるしかないものであったと思いますし…」と。

なんと切々と母親を語られるのだろう。暖かい家庭と伝えながら、(皇后さまは)未だに癒えない痛みも持っておられるのではないかと察する娘心。

皇后さまの言葉として「誰もが弱い自分というものを恥ずかしく思いながら、それでも絶望しないで生きている。そうした姿をお互い認め合いながら、懐かしみあい、励ましあっていくことができれば…」と引用なさっている。

お堀の向こうの松の林に囲まれた宮殿から発せられた母を思う女宮様のメッセージが新聞に載った。
古来宮殿からのメッセージがどんなものなのかは知らないが、日本の女宮様のメッセージは心にしみる。




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黄色い帽子

2005-04-18 07:14:29 | 子育ての周辺
4月は真新しい黄色い帽子が目に付く季節。
お昼の休憩で外へ出た時に、ぴかぴかのランドセルを背負った黄色い帽子姿を見るとドキッとしたものだ。
「ただいま」「お帰り」という言葉が飛び交っているのだろうなと想像しながら、ひとりカギを開けている娘を思っていた。
「私はね、毎日家に帰ると大きい声で『ただいまー』って言うんだよ。そうすると、もし泥棒がいたとしても、逃げていってくれるかと思って」と、ぽつんと言ったのは鍵っ子になってから3年目の頃。
判っていても誰もいない家に帰る寂しさ、不安。普通に暮らしていると親はうっかりしていても、当人にとっては毎日のことだったのだ。
土砂降りの雨に濡れて帰った時、近所の娘の友達のお母さんが、「うちの娘のもので着替えさせたけど、あれだけ濡れてちゃ、1年生自分で着替えられないね」と、「どんなに濡れていたか絞らないで置いた『ほらっ!』」でも、その目は暖かかった。
風邪で学校を休んでも家でひとり寝かせて出勤。電話の呼び出し音3回鳴らすとお母さん。どの子供ともそう取り決めて、他からの電話と区別した。

黄色い帽子にドキッとしなくなってもう大分になる。
今も当時の私と同じような思いの母親達はいるんだろうなと思う。
そんな時期も遠い昔となって子供らは巣立っていった。
今、大変の最中にいるお母さんになにか出来ることはないだろうかと考える。
頑張っているお母さんを暖かく眺めていること。
応援を頼まれると勿論出来る範囲で引き受けたい。声をかけてください(但し週日は仕事で地元にはいないから無理かな)。
子供が大学生になった頃、濡れた下着の件でうれしかったことを話題にしたら、手助けしてくれた彼女すっかり忘れていました。彼女も自宅隣接の事務所で仕事をしている税理士さん。
「いっちゃあなんだけど、お宅は共働きなのに、子供いい子に育ったね」こんな言葉も、時には耳に入ってきます。こんな言い方では他意がなくとも、グサリです。
両方やるって、大変です。でも、両方の喜びもあるからめげないでねと、若いお母さんに伝えたい。
夫婦で育てているという自覚は勿論だけど、こまごましたこといっぱいある(あった)からね。
コメント (3)
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