日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

映画「トンネル」を観る。

2006-01-28 16:15:11 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
ドイツが東西に分かれていた1961年話。
ベルリンも二つに分断され、街の中に鉄条網が現れ、ブロックが積み上げられ始めた頃の実話だそうです。
後になって私たちが知っている壁はもっと堅固になり、東側の建物の窓のすべてが封鎖されることになるのだけれど、61年頃は、次第に分断が厳しくなり始めた頃でしょう。
西への逃避行が見つかり妻と別かれ別かれになった設計士マチスと、偽造パスポートを使って西ベルリンに入れたけれど、妹の家族が気になるハリーが壁の向こうへとつながるトンネルを掘ることを思いつく。秘密を守れる賛同者達が加わり連日のトンネル掘り。
アメリカ人のパスポートを持っている男が東に残った家族との連絡係を務めるが、西側への脱走の情報も東側に漏れてしまう。逃避行に失敗したマチスの妻カルロが生まれてくる子供を取り上げると脅迫されて、任を引き受けてしまったのだ。
トンネルが出来、いいよいよ実行という時、カルロは当局の追跡を惑わそうと、乳母車を押しながら方向違いの船着場へと向かう。
追跡者が船に乗船した人々を検挙しようとする。勿論的外れ。
トンネルから数十名が西ベルリンへの脱走に成功したのだけれど、カルロの姿はない。
建築士はカルロから与った乳飲み子だと差し出される。そしてカルロの協力がなかったら、成功はなかったといわれて…。
実話だという。
60年代にはベルリンの壁の下を10以上のトンネルが掘られたとのこと。
そしてこの映画化されたトンネルは翌62年に東ドイツによって水没したとのテロップも。
その後の1989年の秋に壁は崩壊したのだけれど、多くの命がけの越境を体験し、近くに見聞きしていた人たちの感慨はさぞかしだったと思う。

私がベルリンを訪れたのは、壁の崩壊から10年後のこと。
ベルリンの街のあちこちで建設工事が盛んに行われていました。「今はどこもここも工事中で…、あと10年後にもう一度来てくださいね」とガイドのマジェダさんは言っていたけれど、きっとその頃はこの映画の時代を生きた人は殆どいなくなっているのでしょうね。
私が訪れたときは時はソ連のKGBの官舎や窓がレンガでふさがれた建物らがまだそのまま残っていましたけれど。冷戦の証としてなのか観光用か、境界腺には検問所も残っていました。
ベルリンの壁も残っています。東ドイツのホーネッカー首相とソ連のブレジネフ書記長が抱擁している落書きがあったりして、誰がいたずらしたのでしょうね。

話が長くなりました。
ひとつの国が二つに分断されている国。私の子供の頃は3つだったのだけれど、残念ながらまだひとつだけ残っています。
イムジン河のあっちとこっちでも同じ思いの人たちがいると思うと切ないものです。
確か「イムジン河」という歌は鳥だったら向こうにいけるのにという歌でしたよね。
コメント (4)
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