日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

米原万理さんの訃報を聞きながら

2006-06-08 07:29:03 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
先月新聞で、米原万理さんの訃報を目にとめながら、ここ何日か慌しく過ごしていて書けず、今日ブログに。
と、断ってみても、たいしたことを書くほどの中味も持ち合わせていません(笑い)。
私が読んだのは「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」と「オリガ・モリゾウナの反語法」の2冊だけ。
彼女、結構ユーモア路線の本も書いていらっしゃるというのだけれど、私が読む量が多いほうでないこともあり、この2冊。
両方とも★★★★★。

「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」
彼女の体験してきた、1960年頃のプラハの町を想像しながら読んだものです。彼女と同い年で、私も、その頃まだ先進国ではなかった日本の木造校舎の小学生だったから。
ベルリンの壁が崩れてからは、鉄のカーテンはどこかへいってしまったけれど、私達が学んでいた頃は、ソ連とそれを取り巻く東欧社会は、西側諸国と対峙するも共産圏として、教えられていました。その中に過ごしていた彼女の少女時代。私たち多数者側から見たら、彼女の日常は独特です。その体験を子供の目で伸びやかに、人を個性をもったひとり一人として捕らえられており、読みながらワクワク感を味わったものです。白い都(当時のユーゴスラビア)のヤースナさんは、まだお元気なのでしょうか。米原さんの死は多分連絡が行っているでしょうね。あの壁はもうないのですから。

「オリガ・モリゾウナの反語法」
彼女のはじめてのフィクションと、銘打ってあるけれど、これも迫力満点。というか、スターリン時代の鉄のカーテンで、漏れてこなかった共産圏の人々の送っていた厳しい現実の物語化です。
私たちはナチスの行為を知っているけれど、スターリンの時代は特に興味がない人にはそれほど知られてはいません。強制収容所送りになった女性が、何とか命を永らえて、行方知らずの姉妹の名をかたり、過去に口を閉ざして生き通す強さ、東欧生活を送った彼女が書かなくてはならないソビエトだったのでしょうね。
余談ですが、北ベトナムの指導者ホーチミンも、彼の本名でなくて、死んだ友人の名前だったと聞いたことがあります。
諜報活動が手厳しい最中、ギリギリのところで生き延びてきた人たちにとって、名前よりもなによりも、落命しないための手立てだったのですね。

さて米原さんのこと。テレビにも登場していらっしゃったとかですが、残念なことに余り、そこでの彼女は知りません。父上が社会主義者(共産党の国会議員)の理論家ご夫婦の家庭だったことと、あと妹さんが井上ひさし夫人だということなど、少ししか知りません。
これからボチボチ彼女の他の本も読んでいきたいものですが、もう故人になってしまっているかと思うと、「ちょっと、早すぎるわよ」と、文句を言いたくなりそうです。

そして、彼女の訃報に接したとき、もうひとりの人を思いました。
「ゆっくり東京女子マラソン」の故干刈あがたさんです。
彼女の本も2、3冊程度しか読んでいません。
なんで、連想したのだろう(多分脈絡などないのに本当の個人的な癖です)。
きっと、私の中で、アンテナが反応していたのでしょう。
彼女らが、これから「どんな風に生きていくか」知りたかった人たちだったからと。

コメント
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