日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

2007年問題。こんな話

2006-06-18 09:40:53 | 社会問題
2007年問題。

離婚の際に夫の年金が妻にも分割となる話。

30年以上も夫婦で暮らしてきたのに、専業主婦が離婚したら、年金は働いていた夫のもの。妻は国民年金だけ。
こんな不公平を是正しようとして、2007年から、夫の年金分割が認められるようになります。

わたしの周りにも、そのときを待っている人がいないではありません。
法律相談でも、熟年者の離婚相談では、このことは伝えるそうです。

この解決方法は、かつてより前進した。
―― のかも知れません。

でも、すっきりしないのです。
便法のように思えるのです。

当事者にとっては、今後の生活がかかっているから、まさしく死活問題ですけれど、既に50歳を越えた人たちに、今からどうとはいえないけれど…。

彼女達は言います。
自分の役割として、子育てと家事をしっかりしてきたのに、夫は脱サラで収入が不安定になって…。
一生懸命、夫の親にも気を遣い、妻や母、嫁としてやってきたのに…、自分のやってきたことは評価されない、なんだったの…と。

どれもこれも、彼女達の本音なのでしょう。
その本音は、突き詰めていいものか、いけないものか、戸惑うところがあります。
女性には「自分の生活を保障してくれる場」として、結婚を捉えているところがあります。
長く受け継がれた「暗黙の了解」。
それが、大黒柱に自信とやりがいを与え、情緒的にも、経済効率もいいのでしょう。
でも、ひとつ狂うと、ひとりとひとりになり、相手に配慮する余裕がなくなる。
彼女達はドライになり、30年間が「?」になってしまう。

結婚しても、自分で収入を得続ける女性が増えていることは、これらの先輩女性達が他山の石になっているのではないでしょうか。

精一杯、生きようとすることは同じでも、収入の道が途絶えてしまうと、相手の配慮の加減が気になってしまう。
気になるということは、相手を拘束すること。
家事労働で協力しているようでいて、それは拘束していることにつながらないでしょうか。
正負・白黒・100対0、そんなはっきり正誤をつけられる問題ではないけれど、この不安定要素を抱えているから、若い女性達の結婚が晩婚化し、少子化傾向が続くのだと、ぼんやりと、そんなことを思ったりします。

「自立して生きなさい」なんて、学校では教えてくれても、実際に女性が自立して暮らしていこうとしたら、花まる印の理解ある伴侶に恵まれない限り、何かを犠牲にしなくては実現できないのです。

ただ、もぐらたたきのように当面の問題解決ばかりでは、少子化問題解決なならないでしょうね。
若い世代が、2007年問題で熟年離婚する親達を見れば見るほど。

ひとつ思い出しました。
母から聞いた話です。
高校3年の進路指導のときに、私の担任の先生からこう説得されたそうです。
「仮に、旦那さんがなくなったらどうするの、そんなときでも働いていけるように、大学に行っておかないと…」
私は年若い未熟者だったけれど、ところどころで何人もの先生の助言に出会っていたのだと、そう思います。









コメント
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