お母さん、心配してる?
ある本で読んだのだけれど、と娘は語る。
二つの選択で迷っている時、そのひとつはハンディというかリスクがあり、もうひとつがそうでない場合、それはリスクのある場合を選ぶ、とその人は書いていた、と。
なぜかというと、選択肢としてその二つを並べたということは、二つの内容的を比べるとリスクのあるほうが、より魅力的という判断が既になされているということなのだから・・・。
うーん。そういわれてみれば、そうだね。
でも、今の私は、なにも心配はしていないし、全然迷うことなく決めてたことだから。
そういって、このお母さんの心配に付き合ってくれている。
昨日の新聞で教育者蔭山○○氏の記事が目に留まった。
「私はよく、考えがぶれないひ人ですね」といわれるけれど、振返って考えてみると、若い頃読んだ三木清の人生論ノートの「幸福について」の章の影響があるのかもしれません云々・・・と。
いま手元に新聞がないので、引用はできないけれど、もう一度人生論ノートを読み直してみようと思う。
確かに、娘の選択は、若さから来る大胆さにあふれているけれど、夢もあるし、将来振返っても、私はぶれていなかったと、多分彼女はそう思うだろう。
あっ、彼女は選択に迷ったのではなく、ダントツに決まり、そんな言い方をしていた。
ある本で読んだのだけれど、と娘は語る。
二つの選択で迷っている時、そのひとつはハンディというかリスクがあり、もうひとつがそうでない場合、それはリスクのある場合を選ぶ、とその人は書いていた、と。
なぜかというと、選択肢としてその二つを並べたということは、二つの内容的を比べるとリスクのあるほうが、より魅力的という判断が既になされているということなのだから・・・。
うーん。そういわれてみれば、そうだね。
でも、今の私は、なにも心配はしていないし、全然迷うことなく決めてたことだから。
そういって、このお母さんの心配に付き合ってくれている。
昨日の新聞で教育者蔭山○○氏の記事が目に留まった。
「私はよく、考えがぶれないひ人ですね」といわれるけれど、振返って考えてみると、若い頃読んだ三木清の人生論ノートの「幸福について」の章の影響があるのかもしれません云々・・・と。
いま手元に新聞がないので、引用はできないけれど、もう一度人生論ノートを読み直してみようと思う。
確かに、娘の選択は、若さから来る大胆さにあふれているけれど、夢もあるし、将来振返っても、私はぶれていなかったと、多分彼女はそう思うだろう。
あっ、彼女は選択に迷ったのではなく、ダントツに決まり、そんな言い方をしていた。