日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

頬をツネってみたくなる、そんなハガキが舞い込みました。

2014-11-20 20:52:47 | 私の雑感あれこれ
夕暮れ時の郵便受けに入っていた1枚の喪中はがき。
年賀欠礼の喪中はがきが届き始めるのが今頃の季節から。きちんと保存しておかないと、と差出人を見、文面に目をやると…、驚き。

ー誕生後80日の生涯でしたーとある。
差出人は、かつての絵の仲間。

末っ子が同級生だったこともあり、彼女の家で幾度かティータイムを楽しんだ間柄でした。
そして、彼女は最初の子供を死産した経験を口にしました。産後の病院で自分だけが赤ん坊がいなくて寂しかったと。
どちらかというと、カラっとしたタイプの彼女なのだけれど、そんな辛い経験をしているのだ、と私は聞き役でした。その後、同じく女の子がピッタリ1年後の同じ日に生まれて、幸せ家族。その子は生まれ変わりのような気がする、とも話していました。
その女の子がこの葉書の、出産したお母さん。彼女はおばあちゃんの立場です。

去年の2月。わが娘の初めての赤ちゃんが、重症仮死で救急車で専門病院のNICUに運ばれるという経験をしました。出血多量の娘は、そのまま出産した個人病院に3週間入院。
点滴でむくんだ表情で、「次々と赤ちゃんは生まれているはずなのに、お医者さんの配慮なのだろうか。赤ちゃんの泣き声が、あまり聞こえない。なるべく私の部屋の周りを避けてくださっているみたい」と言っていたのを忘れない。

産んだのに、赤ちゃんに会えない寂しさ、
ましてや、死産だったと語った彼女の辛さ、話を聞いた当時の私は、相槌をうっていたけれど、ちっともわかっていやしなかった。

娘の出産以後、なんどもなんども、「彼女の体験ばなしのいかに重たいものだったか」と思い返していました。

それなのに、また、彼女は、またもや80日で赤ちゃんを失う体験をしているなんて、世の中は非情です。
ウチの孫は、1ヶ月半で退院となったけれど、80日では、NICUからの退院はなかったのだろうか。笑顔と愛嬌を、と文面にあるから、元気なひと時もあったのだろうか、とも思いはめぐります。

仕方がない、乗り越えていくしかない、のだけれど、

まだ、生後すぐ何本もの管に繋がれていた頃、はじめてのMRIとCTの検査結果の娘からの連絡を待っていた時の、時間の進行が遅くて、息をするのもしんどかったあの日のことは記憶から離れない。

彼女の家族も、キツイ体験、辛い時間を過ごしたことが想像されて、まさか、二度も、とつい、頬をつねってみたくなる。



幸いにも、ウチの場合、おじいちゃんの作ったサツマイモを送ったら、「今食べています」と昨日写メールが来た。
ありがたい。


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もうひとつの介護施設。

2014-11-20 06:58:23 | 私の雑感あれこれ
先日、特別養護老人ホームのことを記事にしました。
その日、もう一つも見学しました。
これは、同様の特別養護老人ホームに付設で今年の春から開所になった、デイケアのみの施設です。
同じような施設をふたつ見ると思っていましたが、現地でようやく少し違うと気づきました。この町の古参の老人ホームに隣接したこじんまりした平屋の建屋に案内されました。
「認知症高齢者に限って受け付けているデイケア」とのこと。
昭和のそれも戦後の郷愁を感じてもらえるように、外形は大正村、昭和村の様相です。
庭には、井戸があったり、畑があったり、土間に置かれた竃も年季が入っています。
定員12名。
スタッフ6名。
まだ、通所者は定員に満たないようで、利用希望者がありましたらどうぞ…、ということです。
勿論、朝晩の送迎もあります。
認知症高齢者対応とのことで、プログラムにも細やかな配慮がなされています。

すごい!
こんな施設が町にできていたんだ、とびっくりでした。
好きで認知症になっているわけではないから、お気の毒です。
その家族も大変なのだろうと思います。
そして、公費でこんな恵まれた施設を維持していくのに、どれだけ出費しているのかも、実は気になりました。
12人の定員にスタッフ6人。人件費だけでも重い。
認知症レベルもいろいろだから、それぐらいが必要なのでしょう。

なんと、恵まれた時代になったことよ、
と思います。

今、今日を快適に過ごせるのは、整った社会制度が機能しているから。
健康でいるものは税金払おう!
結局はそこですね。
さしづめ、介護保険料を納めること(65歳になって、早々に納付書が届きました)、でしょうか。

介護関係に従事している人が格段に増えた、というのは、社会が急展開して福祉の充実を訴え出してきたから、なのですね。⇒ よく耳にする文句ですが、改めて、実感。

戦後の復興、インフラ充実の時代はコンクリート関連従事者が膨大だった日本。
私たちは、そんなものだと思って育ってきたけれど、あれは日本の特殊さ、と聞いたことがあります。
たまたまコンクリートだった、社会が変化して、労働者のボリュームが介護絡みへと移動しているのだと、つくづく目の当たりにしました。

板壁に貼り付けられていた、「オロナイン」や「キンチョール」のブリキ看板はネットで競り落として入手したのです、と語っていた担当者。
あ~、公費が…、と思わないでもありません。苦笑



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