テレビでは今日は北海道から北陸にかけて吹雪いていると報じている。
ウチの地方は、風は冷たいものの青空。朝と午後に1時間余りずつ庭仕事。
ようやく、目途が立った。(前にも同じ表現したかしら?なんども反芻しているもので、ついつい、ほっとしている気分が出てきます)
孫へのプレゼントを買うためにおもちゃ売り場に縁がある人になっています。苦笑
ウン十年ぶりの印象。
プラスチック玩具が、わが子を育てていたころよりも、概して安く感じます。
きっと、製造コストが研究されていて、海外生産可能なものは安価な労働力の下で作られているのでしょう。
よく似たおもちゃも健在です。以前はもっと値が張ったはずなのに、汎用品として廉価。
でも、お値打ち価格ばかりじゃありません。
祖父母からのプレゼントを想定しているものは、立派な価格設定されているように見受けます。さすが~!
リカちゃん人形つながりで、女の子用のおもちゃ売り場の感想を書きます。
いわゆるシリーズものというのか、リカちゃん人形、こえだちゃんと木のお家シリーズ、シルバニアファミリーシリーズ、うさこちゃんシリーズ、ミッフィーの絵柄など、私が幼子を育てていた昭和50年代頃のメンバーが生き残っているのです。
びっくり、というか、おもちゃ業界、新たな売れ筋を考えるのを放棄して、2匹目のドジョウ狙いばかりしているんだ、というのが、何十年もご無沙汰していた後の初印象です。
そりゃそうでしょう。生まれてからの1歳児~4歳児の成育する段階で湧く好奇心に流行なんてないのですから。
子どもにはブランドの価値は分からない。それを買う親の方は、傍系のお人形さんより、主流の(売れ筋の)おもちゃにしておこう、という発想が沸く。
でも、十年一日では飽きられる(購買者である親に)。だから、ちょこっと趣を変えてみたり、工夫がされてチョイスしてもらおうと陳列棚に並んでいるのです。
これがかわいいのだ、という刷り込みが、幼い子に与えられ始めるスタート。
2頭身のウサギだったり、8頭身の栗毛でおめめばっちりの女の子だったり。
それにしても、30年以上もブランドイメージを保持しつつ存在し続けているって、企業努力すごいですね。新しいものがバンと出てくると面白いのに、、、とまったくの外野なので、無責任に思ったりします。
そういえば、私の幼いころは(50~60年前)はありませんでしたよ。街におもちゃ屋さんがなかった。テレビもなかった。だから、お祭りの縁日の屋台としてやってくるおもちゃ屋さんでセルロイドの人形を買ってもらえるのがどれほど嬉しかったか。
それでも、子どもは育ちます。あっはは
ということは、おもちゃって、子どものためにあるのではなく、おもちゃ屋さんのためにあるのだろうか、とそんな風にも考えてしまう天邪鬼です。
※ 大学入試問題「こくご」では、リカちゃん人形の商品形態の移り変わりを論じていた。幼い子どもの需要品としてのおもちゃが必要に迫られて変化下のではなく、買い手(親)の購買欲をいかに継続させていくか考えての変化なのに、そのことについてはなんも書かれていなかった。そっか、書き手にとって、そもそもおもちゃを需要するのは大人だという発想だからなのかしら。
ウチの地方は、風は冷たいものの青空。朝と午後に1時間余りずつ庭仕事。
ようやく、目途が立った。(前にも同じ表現したかしら?なんども反芻しているもので、ついつい、ほっとしている気分が出てきます)
孫へのプレゼントを買うためにおもちゃ売り場に縁がある人になっています。苦笑
ウン十年ぶりの印象。
プラスチック玩具が、わが子を育てていたころよりも、概して安く感じます。
きっと、製造コストが研究されていて、海外生産可能なものは安価な労働力の下で作られているのでしょう。
よく似たおもちゃも健在です。以前はもっと値が張ったはずなのに、汎用品として廉価。
でも、お値打ち価格ばかりじゃありません。
祖父母からのプレゼントを想定しているものは、立派な価格設定されているように見受けます。さすが~!
リカちゃん人形つながりで、女の子用のおもちゃ売り場の感想を書きます。
いわゆるシリーズものというのか、リカちゃん人形、こえだちゃんと木のお家シリーズ、シルバニアファミリーシリーズ、うさこちゃんシリーズ、ミッフィーの絵柄など、私が幼子を育てていた昭和50年代頃のメンバーが生き残っているのです。
びっくり、というか、おもちゃ業界、新たな売れ筋を考えるのを放棄して、2匹目のドジョウ狙いばかりしているんだ、というのが、何十年もご無沙汰していた後の初印象です。
そりゃそうでしょう。生まれてからの1歳児~4歳児の成育する段階で湧く好奇心に流行なんてないのですから。
子どもにはブランドの価値は分からない。それを買う親の方は、傍系のお人形さんより、主流の(売れ筋の)おもちゃにしておこう、という発想が沸く。
でも、十年一日では飽きられる(購買者である親に)。だから、ちょこっと趣を変えてみたり、工夫がされてチョイスしてもらおうと陳列棚に並んでいるのです。
これがかわいいのだ、という刷り込みが、幼い子に与えられ始めるスタート。
2頭身のウサギだったり、8頭身の栗毛でおめめばっちりの女の子だったり。
それにしても、30年以上もブランドイメージを保持しつつ存在し続けているって、企業努力すごいですね。新しいものがバンと出てくると面白いのに、、、とまったくの外野なので、無責任に思ったりします。
そういえば、私の幼いころは(50~60年前)はありませんでしたよ。街におもちゃ屋さんがなかった。テレビもなかった。だから、お祭りの縁日の屋台としてやってくるおもちゃ屋さんでセルロイドの人形を買ってもらえるのがどれほど嬉しかったか。
それでも、子どもは育ちます。あっはは
ということは、おもちゃって、子どものためにあるのではなく、おもちゃ屋さんのためにあるのだろうか、とそんな風にも考えてしまう天邪鬼です。
※ 大学入試問題「こくご」では、リカちゃん人形の商品形態の移り変わりを論じていた。幼い子どもの需要品としてのおもちゃが必要に迫られて変化下のではなく、買い手(親)の購買欲をいかに継続させていくか考えての変化なのに、そのことについてはなんも書かれていなかった。そっか、書き手にとって、そもそもおもちゃを需要するのは大人だという発想だからなのかしら。