日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

お愛想が不得意なワタシ。

2016-02-06 08:58:35 | 私の雑感あれこれ
ひとり暮らし高齢者と話す機会がある。

その中のヒトコマ。

日差しが柔らか気味の午後、玄関先で。
―彼女「もう、いつ死んでもいいのよ」
笑いながら、である。

―私「そう、もう80歳超までこうして生きてこられたのだから、そうはならなかった人たちも大勢いらっしゃるのを思うと、ラッキーな人生だし、当たりくじを引いているわけだと思うわ。そのことをありがたいと思わなくっちゃ」

―彼女「今のできることがどうしても下降線をたどるのを避けることができないって、情けないものよ」

私も、記憶力や集中力の低下は自覚症状大有りなので、それの過激バージョンがやってくるのだろうか、と想像してみたり。

―彼女「仕方がないね。生きているんだから~」

―私「ひとつでも、ほんのささやかでも、おもしろかったと思える数を増やして日々がつながっていけば。それでいいんじゃない」


「そんなことない、長生きして」とは口から出てこない。
彼女について、そこまで知らないから。
だけど、充実感を味わったほうが生命の力になると思うから、その人の中での楽しいことをつないで日々を送っていってほしいとは思う。⇒屁理屈屋でしょ、私。

自分自身にとっても、それは同じ。
60代の私にできることを、がんばりたい、癖がある。
「目いっぱいやっていると、次の道が開けてくる」そんな考え方が好きなのです。

目いっぱいやっている人の後ろ姿からは、学ぶものがあると考える性質(たち)なので、真似して生きていきたいですね。





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待ち時間。

2016-02-06 08:03:17 | 庭 2月
あくまで我流なのだけれど、バラの剪定・誘引、寒肥入れ、消毒も済んで、今待ち時間のときなのだろうか。
まだ、新芽の動きも微かで、これでいいのだろうか、という思いもよぎる。

あの芽吹きが勢いついて、つやつやした若葉の時を待っています。

そんなとき、園芸店のお花コーナーに足が向くワタシ。
ちょっと時間があるとパチンコ屋にというオヤジ群と傾向が同じかも、と思えてくる。

広い店内は、色とりどりのお花で溢れている。
買ってもらわないと商売が成り立たないのですから、経営者は真剣です。

ヒヤシンスもラナンキュラスも球根を植えたけれど、まだ、芽を出す気配ゼロ。
お店に並んでいる、開花一歩手前まで成長しているヒヤシンスを羨望たっぷりと眺めながら、地中の球根を想う。
ラナンキュラスしかり。でも、ついつい、浮気して、開花みごとなラナンキュラスを購入。地中のラナンキュラスよ、ゴメン。あなたにも期待しているからね。
(バラの時期に咲く、アングロステンマという花苗も一緒に)


まるでバラの妹?  
二月に咲く梅が花(桜)の兄というならば、バラより先に咲く、このラナンキュラスはバラの姉、かしら。うふふ

きっと、今年も見事でしょうね、とお天気の挨拶がわり程度で、みなさん声をかけてくださるけれど、世話主(ワタシ)は、大丈夫だろうか、上手く応えてほしいけれど、という一抹の未確定要素を抱えてはいます。
早いもので5月を迎えるのは4回目です。
上手くいったらお慰み~といった興行師的気分も若干あります。苦笑

あ~、陽光サンサンの春が待ち遠しい。



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