日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

つれづれに思うこと。

2016-05-17 07:38:30 | 私の雑感あれこれ
最近話題になっている(ブログ訪問してくださるの皆様にはどうかしら、マイナー話題かも)AI(人工知能)のさらなる発展が、従来のような形の労働人口を必要としなくなり、失業者がさらに増えていくだろう、という見解。

録画してあった、クローズアップ現代(3月ごろの番組)を見ながら、社会の流れを思う。

1600年頃、資本主義の初期、東インド会社ができて多くの労働者を雇って収益を上げる仕組みができた。生活保護という発想もこのころに生まれてはいるそうです。
蒸気機関が発明され、労働生産性が増して、産業革命という大きな発展につながった。
1929年、ウォール街に端を発した経済不況が多くの失業者を生み出し、政府が仕事を作り出すという意図で、公共事業に力を入れ、インフラが充実させ、かつ労働者の働く場所の拡充という役割を政策として取られるようになった。

国力が付くと、福祉の分野への配慮が段階を追って充実してきたというこれまでなのでしょうか。

以上は、クローズアップ現代の解説の一部です。

で、これからはさらに労働生産性が増し、人工知能が(人手を頼らないで)役割をこなす社会に向かいつつある、ということです。

そういえば、製造業(最近見た例では、お菓子工場、漢方薬工場では、体育館を上回る広い工場の中で動いているのはベルトコンベアー。人は数人しかいませんでした)では、機械がとってかわっています。物流もそうなりつつあります。
とすると、人は「働く必要がなくなる。⇒失業する」のが、多数派になるのでしょうか。

考えてみれば、年金生活者は、「働かなくても食べていける」層だし、主婦と称される人たちは、比較的「働かなくても食べていける」層と言えるかもしれません。

洗濯機(乾燥機付きだったり)、掃除機(ルンバも登場したりして)、着火、消火が一瞬で可能なガスコンロ、冷暖房にはエアコン、と50年前とは様変わり、いわゆる家庭の仕事の省力化は着々と浸透していたのです。
だから、主婦層は週日のランチも絵画鑑賞もカルチャースクールもOKという時代になっていたのです。
これらの享受は年金生活者にも共通していますね。

そして、これからは稼ぎ主であった労働年齢の男性においても、「仕事がない」時代に向かっているということなのです。

「仕事がない」と収入(生活費)に困るという事態になります。⇒生活保護、というかベイシックインカムの保障という方向に行くのでしょうか。スイスではベイシックインカムについて論議が始まっているようです。

成年男性(こういう書き方はいけませんね。正確には「成年男女が」です)が働かないで暮らしていける社会になる、…今の段階では、まだ、それで社会が成り立つのだろうか?という疑問がわきます。
誰がベイシックインカムを実施するコストを担うのか、と。

働いていない人以外の、働いている(収益を上げている)人、組織に課す、税負担割合が大きくなるということでしょう。
働いても、収益を上げても、税金にもっていかれる社会、というわけです。

どれぐらいの負担割合なら、意欲を失うことなく稼動しようとするのか、そこらへんのバランスを考えることになるでしょう。

そして、成年(20歳~65歳)が働かないでも生活していけることが、心地よい生き方なのか、そんなことも考えたりします。

今、不安定な収支に下にある30代、40代の増加が言われています(小耳に入ってくるだけですが)。これが大変なこと、ではなく、当たり前のことになりつつあるような気がします。

時代の大きな流れは、労働者を必要としない人工知能の時代に向かって言っているのですから。


↑ は突っ込みどころの多い雑文でしょうね。
ぼんやり、社会はどこへ向かって言っているのだろう、と思う時に浮かぶことを、メモ書き程度に記してみました。




コメント (5)
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