もう何度目になるのかしら。
我が家で3人で録画した映画をみます。
最近はNetflixからチョイスします。
今回は、ジェーン・オースチンの『マンスリー・パーク』です。
有料テレビでは、60代が気に入りそうな文芸大作やアカデミー賞作品の名画がいくつもあるのですが、
これに決めました。
『エマ』や『プライドと偏見』などもあるのですが、私としては、これがおすすめ。
その差というか違いは、自分なりにあるのですが、あえて彼女らに解説するつもりはありません。
19世紀前半のイギリス社会です。
上流社会でいかに良い生活を保ち続けるか、の模様が描かれています。
主の仕事は現地人や黒人を使った植民地経営。描かれている社会階層は労働はしなくてもお金が入ってくる階層、貴族とまではいかなくて、ブルジョアだったかな。
黒人女性の奴隷は性の面でも遊ばれる存在。時に混血児も生まれるが、混血時には子孫が残せない(なんという非文明的な!!)というセリフまで入っています。さらりとですから、聞き逃す(見落とす)かも。まったく白人男性が過去にしてきたむごさです。
200年前、19世紀の始まりはまだまだ未開です。
ほんのヒトコマだけれど、物語に織り込もうとしたジェーン・オースチンという女性が気になったきっかけでした。
きちんと違和感を感じる知的女性が主人公です。
彼女の他の作品には、そこまでの啓蒙の目は感じられませんでした。
鑑賞後はランチです。
ピザとパスタのイタリアンに行こうと思います。その手のお店は女性客がほとんどで、一人で行くのもためらわれ、連れが欲しかったので、ここも私の提案です。
で、先ほど、雰囲気違いますが、天草からトコロテンを作りました。明日までには固まっているでしょう。
明日来る友人が、どこかで買ってきたお土産を置いていきました。私のほうが作り慣れているから、と。
2時間ほどの映画鑑賞の時間以外は、おしゃべりの花が咲くことでしょう。
■ つけたし
こんな極東に暮らす凡人の私にまで届く情報。払しょくし、人種差別のない国に向かっているのだというのが誇りの新生アメリカだったのだから、先日のトランプさんの、あいまいな対応に、イエローカードが上がるのでしょうね。レッドカードに向かうのでしょうか。
■ 2回目鑑賞後の感想
1回の鑑賞では見逃していた、と感じたことがあったので、再綴。
冒頭のシーンで、貧しい家庭で育った主人公コニーが、裕福な叔母の家(准男爵の館、マンスリーパーク)に引き取られていく途中、海に浮かんでいる帆船から音が聞こえて、
なに?
と尋ねる。
御者は「黒い荷物でさぁ。船長や船つきのお医者が奥さんたちにお土産に連れてくるんですよ。黒人の奴隷でさぁ」と応える。
コニーは知的好奇心が旺盛で、本を読んだりお話を作ったりする少女。
成長するにしたがって、イギリスの残酷な歴史(エリザベス1世の治世)や、奴隷制度についても読書のレパートリーとしている女性に成長していく。
准男爵である館の主(コニーの伯父)が、植民地の様子を語り、混血児は美人が多くて賢い娘もいるから、今度ひとり(お土産として)召使にすると便利だから連れて来よう、とコニーに話しかける。
コニー。
イギリスに上陸したら奴隷は解放しなくてはいけないのじゃないの?と、さっぱりとこたえるのがコニー。
伯父は、コニーの聡明さは承知しているのだけれど、苦々しくやり過ごす。
将来の相続人である長男のトムに、植民地の仕事を体験させようと連れて行ったけれど、トムは早々に引き揚げてきて、酒まみれ、遊興三昧に散在し、周りは眉をひそめる。
そんなトムが体を悪くして倒れる。
看病の途中で、トムのスケッチ帳をめくると、植民地での白人が黒人奴隷を虐待している様子が描かれていた。何枚かめくっていると、父親(コニーの伯父)のスケッチも、、、。スケッチ帳を見ているコニーに気づいた伯父はスケッチ帳を暖炉に放り込んでしまう。
意識不明で寝ているトムを案じながら、コニーの伯父(准男爵)は語る。
トムは小さい時から、「御用を命じてくださいお父様」とよく言ったものだ。
そうして、かいがいしく命じられた役割をはたして、喜ぶ子供だった。
そのうちに、「ほこりある仕事を命じてください、お父様」というようになった。
そう昔語りをしながら、病人の回復を待つのです。
青年になった長男に命じた仕事は、ほこりある役割から縁遠いものだった、と重々承知しながらの時間なのでしょう。
前後しますが、文学青年でもある次男(引き取られて最初の、冷たくあしらわれていたころから、誠実に接してくれていた)とのやりとりで、こういうのもありました。
奴隷制度は廃止すべきだというコニーに対して、「僕たち、コニーの生活も奴隷制度があるから成り立っているのだよ」と。
生活の転覆は期待しないけれど、奴隷制度、植民地からの搾取で成り立っていることを、ポロリ、ポロリと吐露している映画でした。
トムは回復し、准男爵である館の主(コニーの伯父)は、植民地から撤退して、たばこ産業へと事業内容を変えました、という終わり方でした。
1回目で飛ばし理解だったところを、改めて書とめました。
上記の内容が映画のテーマのメインではないので、意識しないとこんな描写が底流に流れているということに気づかないかもしれません。
もし、見ている人がいるとすると、どうでしたか?と問いたいし、これから見る人には、感想を聞かせてもらいたいものです。
我が家で3人で録画した映画をみます。
最近はNetflixからチョイスします。
今回は、ジェーン・オースチンの『マンスリー・パーク』です。
有料テレビでは、60代が気に入りそうな文芸大作やアカデミー賞作品の名画がいくつもあるのですが、
これに決めました。
『エマ』や『プライドと偏見』などもあるのですが、私としては、これがおすすめ。
その差というか違いは、自分なりにあるのですが、あえて彼女らに解説するつもりはありません。
19世紀前半のイギリス社会です。
上流社会でいかに良い生活を保ち続けるか、の模様が描かれています。
主の仕事は現地人や黒人を使った植民地経営。描かれている社会階層は労働はしなくてもお金が入ってくる階層、貴族とまではいかなくて、ブルジョアだったかな。
黒人女性の奴隷は性の面でも遊ばれる存在。時に混血児も生まれるが、混血時には子孫が残せない(なんという非文明的な!!)というセリフまで入っています。さらりとですから、聞き逃す(見落とす)かも。まったく白人男性が過去にしてきたむごさです。
200年前、19世紀の始まりはまだまだ未開です。
ほんのヒトコマだけれど、物語に織り込もうとしたジェーン・オースチンという女性が気になったきっかけでした。
きちんと違和感を感じる知的女性が主人公です。
彼女の他の作品には、そこまでの啓蒙の目は感じられませんでした。
鑑賞後はランチです。
ピザとパスタのイタリアンに行こうと思います。その手のお店は女性客がほとんどで、一人で行くのもためらわれ、連れが欲しかったので、ここも私の提案です。
で、先ほど、雰囲気違いますが、天草からトコロテンを作りました。明日までには固まっているでしょう。
明日来る友人が、どこかで買ってきたお土産を置いていきました。私のほうが作り慣れているから、と。
2時間ほどの映画鑑賞の時間以外は、おしゃべりの花が咲くことでしょう。
■ つけたし
こんな極東に暮らす凡人の私にまで届く情報。払しょくし、人種差別のない国に向かっているのだというのが誇りの新生アメリカだったのだから、先日のトランプさんの、あいまいな対応に、イエローカードが上がるのでしょうね。レッドカードに向かうのでしょうか。
■ 2回目鑑賞後の感想
1回の鑑賞では見逃していた、と感じたことがあったので、再綴。
冒頭のシーンで、貧しい家庭で育った主人公コニーが、裕福な叔母の家(准男爵の館、マンスリーパーク)に引き取られていく途中、海に浮かんでいる帆船から音が聞こえて、
なに?
と尋ねる。
御者は「黒い荷物でさぁ。船長や船つきのお医者が奥さんたちにお土産に連れてくるんですよ。黒人の奴隷でさぁ」と応える。
コニーは知的好奇心が旺盛で、本を読んだりお話を作ったりする少女。
成長するにしたがって、イギリスの残酷な歴史(エリザベス1世の治世)や、奴隷制度についても読書のレパートリーとしている女性に成長していく。
准男爵である館の主(コニーの伯父)が、植民地の様子を語り、混血児は美人が多くて賢い娘もいるから、今度ひとり(お土産として)召使にすると便利だから連れて来よう、とコニーに話しかける。
コニー。
イギリスに上陸したら奴隷は解放しなくてはいけないのじゃないの?と、さっぱりとこたえるのがコニー。
伯父は、コニーの聡明さは承知しているのだけれど、苦々しくやり過ごす。
将来の相続人である長男のトムに、植民地の仕事を体験させようと連れて行ったけれど、トムは早々に引き揚げてきて、酒まみれ、遊興三昧に散在し、周りは眉をひそめる。
そんなトムが体を悪くして倒れる。
看病の途中で、トムのスケッチ帳をめくると、植民地での白人が黒人奴隷を虐待している様子が描かれていた。何枚かめくっていると、父親(コニーの伯父)のスケッチも、、、。スケッチ帳を見ているコニーに気づいた伯父はスケッチ帳を暖炉に放り込んでしまう。
意識不明で寝ているトムを案じながら、コニーの伯父(准男爵)は語る。
トムは小さい時から、「御用を命じてくださいお父様」とよく言ったものだ。
そうして、かいがいしく命じられた役割をはたして、喜ぶ子供だった。
そのうちに、「ほこりある仕事を命じてください、お父様」というようになった。
そう昔語りをしながら、病人の回復を待つのです。
青年になった長男に命じた仕事は、ほこりある役割から縁遠いものだった、と重々承知しながらの時間なのでしょう。
前後しますが、文学青年でもある次男(引き取られて最初の、冷たくあしらわれていたころから、誠実に接してくれていた)とのやりとりで、こういうのもありました。
奴隷制度は廃止すべきだというコニーに対して、「僕たち、コニーの生活も奴隷制度があるから成り立っているのだよ」と。
生活の転覆は期待しないけれど、奴隷制度、植民地からの搾取で成り立っていることを、ポロリ、ポロリと吐露している映画でした。
トムは回復し、准男爵である館の主(コニーの伯父)は、植民地から撤退して、たばこ産業へと事業内容を変えました、という終わり方でした。
1回目で飛ばし理解だったところを、改めて書とめました。
上記の内容が映画のテーマのメインではないので、意識しないとこんな描写が底流に流れているということに気づかないかもしれません。
もし、見ている人がいるとすると、どうでしたか?と問いたいし、これから見る人には、感想を聞かせてもらいたいものです。