日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

杉本苑子著「孤愁の岸」読了。★★★★★

2017-09-10 08:12:35 | 
杉本苑子著の歴史小説「孤愁の岸」。
名前は知っていたけれど、本は読んだことがありませんでした。
NHKのアーカイブスで取り上げられていた杉本苑子が目に留まり、読み始めました。

時代は18世紀半ば。尾張の国の西側の河川工事の顛末です(現在、わたしは尾張の国の東端あたりに在住)。専制政治、封建時代にいきる人々の苦難があふれていて、引き込まれます。

いつの時代も構成する人は似たり寄ったり、とおもう部分もあり(だから説得力を持つのですけれど)、かつて訪れた木曽三川公園への興味が募っています。

尾張徳川家の権力は絶対なので、暴れ川の木曽川の両岸の高さに3尺の差をつけてあった、と!!!
洪水になったときに水は尾張の反対側に向かうように、と。

幕府が薩摩藩に治水工事を命じたのですが、人夫は地方(地元の農民)で雇い、給金を支払うのは薩摩藩。金額も老若男女に差なく定められていることから、働き盛りの者たちは、勤労意欲がわかず、のらりくらりの仕事ぶり。
薩摩藩からも多勢が参加しているけれど、食事の粗末さに驚く。一汁一菜とその金額は指定されているのだが、見る見る間に質が劣化していく。治水工事の範囲についても、地元農民たちは基本河川だけでなく、農業用水取り入れ口まで公費(薩摩藩の費用で)の範囲と主張し、異をとなえる薩摩藩士の意見は幕府側には通らず(公平よりもワイロになびく)、資金の出費はとめどもなくかさむだけ。
そもそもが幕府の薩摩藩弱体化が目的なのだから、正義を期待できる由もない。


昔は云々、という言い方をする人がいるけれど、時代の違い、豊かさの差は大いにあるけれど、どの時代にあっても、人の行動パターンの傾向には共通するものがあると、つくづく思う。

こんな時代を経て、今がある。

なにをお門違いと嘲う人もいるかもしれないけれど、私にはそう思う癖がある。

理不尽を非難するだけでなく、どう切り開いていくか、世の中とは常にそういうもの、と言い聞かせたり。

西方面に旅行に出かけても、揖斐川、長良川、木曽川を超えると、帰ってきたな、と思う。
その木曽三川の土木工事にこんないきさつがあったと知って(実は、20年ほど前に資料館でザッとした知識はあった)もう一度、その岸辺にたってみたいと思う。

薩摩藩から木曽三川の土木工事に1000人のお手伝い方がかかわり、50人が割腹、200人が疫病などで命を落としたそうです。
宝暦5年(1755年)、完成した川辺に松を植えて薩摩に帰ったという。
本を読み終えた今、再度、彼らが植えた松並木の場所を訪ねたいものです。





昨日の農場の見学、言いだしっぺだったことから、今月の例会での報告者を頼まれました。

実は、8月は欠席したので、7月に参加した会議の報告もあります。

タイトで的確な報告ができるように、昨晩、昨日の分のレジュメを作りました。
7月の分は、配布資料を手元において、ザザッとと思っていますが、もう一度見直ししないといけません。

自分の今いる立場で、できることを片づけていく、それに尽きると、いつもそういう結論になります。

家の片づけ(家事)はヘタなんです。トホホ



最初に戻りますが、杉本さんの本、よかったです。ひとまわりふたまわりの(人生の)先輩にこんな方が、と敬意を抱きます。





コメント
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