どこの家庭でもそうだと思うけれど、、、。
語り合う時間が持てた。
思えば、よく語れあったことがある母娘ではあったけれど、、、。
私は、親に似ているとかどうか、なんてそんなに考えるタイプではなかった。
子どもたちは、それぞれに「自分はお父さんに似ている」といっている、という。
ちょっ不思議。
確かに、長女は似ていると思っていたけれど、長男と次女もそう思うところがある、なんて。
正しいことを貫かなくては、ストレスになるタイプ。
組織の中で不本意に感じるときに、「ああ、お父さんであっても、きっと悩んだのだろうな~、、」とか思うのかもしれない。
お金に執着しなくて、自分の持っているものは、必要な人に与えるべきだ、と考えるときに、
お父さんも、きっと理解してくれる、と思うのかもしれない。
それがぴったり当てはまるかどうかは横に置くとして、そういう形で、お父さん像がインプットされている、というのは、
顔を合わせる頻度は極端に少ないけれど、確かに、我が家で育った子供たちなんだな、と思ったりした。
お母さんは、楽な生活ができることが満足、という人ではないんだよね~、とも。
そう、自分が役に立っている、っていう実感を得られることを喜ぶタイプ。
文字にすると、味気なくなってしまうけれど、自分が「楽しもう」か目的ではないようなきがする。
「うまくいった」のほうが、うれしいタイプかしら。
お母さんが子どもを思う気持ち、自分たちをどんな気持ちで育ててくれたのか、自分が子育てをしてわかるようになった、と。
精一杯の歓迎をして、孫家族を迎えること、それが幾度あるかわからないけれど、孫の成長と娘と語らう時間を持つことができて、また私のエネルギーになる。
語り合う時間が持てた。
思えば、よく語れあったことがある母娘ではあったけれど、、、。
私は、親に似ているとかどうか、なんてそんなに考えるタイプではなかった。
子どもたちは、それぞれに「自分はお父さんに似ている」といっている、という。
ちょっ不思議。
確かに、長女は似ていると思っていたけれど、長男と次女もそう思うところがある、なんて。
正しいことを貫かなくては、ストレスになるタイプ。
組織の中で不本意に感じるときに、「ああ、お父さんであっても、きっと悩んだのだろうな~、、」とか思うのかもしれない。
お金に執着しなくて、自分の持っているものは、必要な人に与えるべきだ、と考えるときに、
お父さんも、きっと理解してくれる、と思うのかもしれない。
それがぴったり当てはまるかどうかは横に置くとして、そういう形で、お父さん像がインプットされている、というのは、
顔を合わせる頻度は極端に少ないけれど、確かに、我が家で育った子供たちなんだな、と思ったりした。
お母さんは、楽な生活ができることが満足、という人ではないんだよね~、とも。
そう、自分が役に立っている、っていう実感を得られることを喜ぶタイプ。
文字にすると、味気なくなってしまうけれど、自分が「楽しもう」か目的ではないようなきがする。
「うまくいった」のほうが、うれしいタイプかしら。
お母さんが子どもを思う気持ち、自分たちをどんな気持ちで育ててくれたのか、自分が子育てをしてわかるようになった、と。
精一杯の歓迎をして、孫家族を迎えること、それが幾度あるかわからないけれど、孫の成長と娘と語らう時間を持つことができて、また私のエネルギーになる。