日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

私は樹木医?  苦笑

2019-05-14 10:16:50 | 庭 5月
手をこまねいているわけにはいかない。

上手くいってほしいと願いながらの作業です。

テッポウムシが入っていた(虫の姿は確認できないけれど、幹をかみ砕いたオガクズ様のものが出る)パレードの株元。左側奥なので、とても穴を探せるものではない。探りをつけて殺虫剤散布。一応治まっている。株元左下に出ている木屑をきれいに取り除いてから、殺虫剤を散布し、翌日に新しい木屑が出ていないかチェックする方法で駆除できたかどうか判断します。


※ 株元が白いのは、春先にテッポウムシ除けとしてガットサイドSを塗布しているからです。それでも被害にあいます。トホホ

癌腫とテッポウムシの2重苦のゴールドバニー。
癌腫はイソジンでのシップ治療。

しみ込ませて穴に入れます。


テッポウムシは根元だけでなく、幹にも!! ショックではあるけれど、手当てをしてやるしかない。
殺虫剤、効果がありますように。

マイガーデンの樹木医は私しかいませんから。苦笑

治療し終わって横を振り向いたら、この景色。


癒されます。

フロックスも花盛り。


フラウカールドルシェキも咲き揃いました。


ジキタリスも貴重な存在です。










コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後水尾天皇と修学院離宮。

2019-05-14 09:03:55 | 歴史探訪・城巡り
先週の日経新聞の土曜版に修学院離宮が大きなスペースで紹介されていた。(上)とあるから、来週はつつきもあるのだろうか。

後水尾天皇とあったので、普段はスルーするのだけれど、読み始めた。
去年二条城(家康が作り始め、完成した二条城に江戸から大勢を従えて上洛した将軍は家光。その後将軍が来たのは家茂、と慶喜)へ行ったとき、後水尾天皇が二条城に行幸されたときに作られた、玄関をはじめとした「天皇をお迎えするための建物」部分だとの説明書きが頭に残っていたから。
新聞記事には、朝廷の権力をコントロールしようとする徳川幕府の策略も書かれており、興味深く読んだ。
後水尾天皇(当初1万石しかなかった)は2代将軍秀忠の末娘和子(5歳)を妻にと娶らせられる。
確か、加賀前田家も秀忠の幼い娘、珠(たま2歳)が2代目と婚姻している。
珠の話で読んだのは、徳川は、婚姻という形で娘を嫁がせ、お付の女中らも当然一緒に行くわけで、彼女らに内情偵察をさせる目的もあった、と書かれていたのを思い出したりする。
天皇家に徳川の血筋を入れたいのも目的だろうけれど、↑ の意図もあったことでしょう。

後水尾天皇の時代は、まだ徳川政権が盤石になる前のときで、禁中並びに公家御法度(1615年)の禁を破った、破らないの問題でもめたりもしている。

そういう時代を生きた天皇(実は早くに上皇になっている)が、四方八方からのご法度の中で、離宮造りが自己実現の発露の一部だったのかしら、と思ってみたりする。
85歳没。

いつか、折があれば訪ねてみたいものです。

後水尾天皇についてのネット記事

興味と時間があれば読んでみてください。


天皇家の歴史は世界に例がないほどの長さを持っていますが、いろんな時代を経て今に至っている、という思いを新たにします。

後水尾天皇というから、その前あたりに水尾天皇がいらしたのかしら、と思ったのですが、近い時代には見当たりませんでした。

なんと知らないことの多いことよ! → わたし です。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の県外研修の行先確定。

2019-05-14 06:37:10 | 私の雑感あれこれ
昨日の例会で案内があった。
6月に2泊3日で、広島へという概略はあったものの、詳細が分かったのは昨日。
※ 原爆ドームと平和祈念館は、10代の子供たちを連れて訪問したことがあるから、で「再訪になる」とは受け止めていた。
で、他に「呉市海事歴史資料館」と「国立療養所長島愛生園歴史館」の視察もスケジュールに入っている。

実は、子供連れの深夜バス、広島1泊、帰路は新幹線というルートで行ったとき、江田島にも行きたいものだ、と心に思いながら、2時間ほどの早朝行動が億劫でスルーした。トホホ
江田島は本で読んだ知識だけれど、戦争も過激を極めていたときに、青年たちがあの人間魚雷として出撃を命じられ、別れを惜しむかのように島の周りを一周してから突撃していった、とあったのが、こころの奥底にしみついている。
なので、2泊3日の広島方面だとしたら「江田島へも」と発言したかったのだけれど、それは個人的に行くべき、と提案はしなかった。
それが、呉市海事歴史資料館とあり、研修委員の方の企画をうれしく思った。吉村昭の『戦艦武蔵』(事実の検証に基づく記録文学と分類されるらしい)も印象に残る1冊です。巨大戦艦武蔵を長崎で秘密裏に造船している頃、先んじて呉で同規模の「戦艦大和」が作られていたとの記述があった(記憶)。知ったからどうというわけでもない、と言われればそれまでだけれど、資料館として後世に伝えようとされている施設への訪問は興味津々です。
そして、もう一つ、長島愛生園まで訪問できるとは!
長島愛生園を知るようになったのは、新聞記事でも読んだことはありますが、おもに神谷美恵子さんの著作で、です。結婚し、確か出産後に医学部を出て精神科医になった彼女は長島愛生園に勤務していました。前記事の美智子皇后が皇太子妃だったころの話し相手になっておられた方です。
ハンセン病と診断され、家族とも縁を切って隔離された世界で終生をおくる人たち、まさしく「でんでんむしのかなしみ」そのもの。
人々を恐れさせた伝染力は食い止められるようになった、とか。必要以上の隔離が継続されていた、とかの情報も耳にしたりしました。「歴史館」とありますから、ピリオドとなっているのでしょう。

今回はどれも、忘れてはならない「負の歴史」の趣がありますが、中身の濃い研修にしたいです。
県外研修って「役得」でしょうか。苦笑 (研修って名前が付くけれど、あんなのは遊びでしょ、と言われたことがある。ムッ!)
こういう方面に関心があるタイプのこともあり、わたしの自分育て、見たいですね~。ありがたい。

来週は、高齢者の一日旅行の付添い役、という役割もします。
有益な研修もさせてもらえるのだから、事故のない一日旅行にも貢献してこようと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする