日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

わたし、ことばフェチなところがある。

2019-08-13 09:14:23 | 私の雑感あれこれ

先日の電話が尾を引いている。

「今度の敬老会に招待状を出そうと思うのですが、出席なさいますか」

    「ハイ、例年出席していますし、今年もそのつもりです」

「で、余興のあとの食事は食べられますか」

    「え~、例年そうしていますが、、、」

「わかりました。招待状はこれから送付します。食事を食べるかどうかは、この電話で確認できたので、特にご連絡はいりません」と。

 

なんだか出なくてもいいのかな、という雰囲気が自分の中で湧きあがってきた。

某役員としてのノルマとして、出席していたのに、考えてみれば食事代負担というコストを自治会にかけていることになる。

役に立ってもいないのに、食事したいのだろう、と思われるのは癪にも触る。苦笑

じゃぁ、相当額のご祝儀を持参すればいいのか、と自問。

でも、それが通例になると後任者に迷惑になる。

 

毎度、国会議員や地方議員さんは挨拶だけして即中座される。

だから、電話の主は来賓一覧の名簿を手にして電話をかけているので、淡々と確認しているだけ、だとは思う。

でも、フェチとしては、そういう聞き方をされるのなら、負担をかけるべきではない、という心理になってしまう。

議員さんと違って、地域に直接密着した役割なのだから、高齢者がたくさん集まるところの様子を把握するためにも、有益な機会だとは思うから、投票を期待して挨拶する議員さんとはスタンスは違う、とも自問。

じゃぁ、某役員として、皆さんに懸案がないかと、アナウンスぐらいしたほうがいいのか、とも、自問。

家人に相談すると、そんな、議員さんの挨拶を我慢して聞いているのに、そのあとにさらに、余計に喋られるのは嬉しくないのでは?と。

それも納得。

とすると、、、と思案、思案。

で、私まの今のところの結論は、余興の場には出席して、食事は断ろうかな、と。

みみっちぃことに、拘っている。苦笑

 

 

本当は、食事会にも参加して、ザワザワと雑談の中から、生活の不都合な話、困っている話が耳に入ったりして、貴重な気もするのに。

う~ん。

 

 

 

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知ることは興味深い。

2019-08-13 08:06:55 | 私の雑感あれこれ

歳を経ていると、その分だけ経験値も上がっているハズ。苦笑

なので、いろんな話題にも、興味深い捉え方ができたりする。

先日の雑談から。

多分着ることもないだろう和服がタンスに詰まっている、という話になった。70代の女性が半数以上の集まりです。

古着屋にもっていっても、本当に残念な値段しかつかないし、どうしたらいいものか、と思案。この手の思案している人たちは、きっと相当数に上ると思います。

母娘でたっぷり和服買取店に持って行ったけれど、買い取り価格は二束三文で、ランチ代でお終いだった、とも聞いたことがある。

それが現実。

「親が一生懸命拵えてくれた「嫁入り時に持たせてくれた和服だから、処分するのもためらわれる」が、共通する気持ち。

で、聞いて、たまげた話。

70代半ばの女性。

「当時は、嫁入りのときに近所の人たちに、タンスの中身を披露する習慣があった。だから、タンスの中に着物をいっぱいにしておく必要があって、タンスの中をいっぱいにするために、人から着物を借りたりしていたよ」と。

ビックリ !

「ああ、みんなそうしていたから~」と、こともなげ。

「だって、見に来る人がいるので、少ないと体裁がつかないからね」

卑屈にもならずに、さっぱりしている。

当地方は、数十年前までは、花嫁道具が豪華で有名な地域のイメージで、女の子を3人も持つと身上をつぶす、といういい方も聞いたように思う。それが、こんな知恵を働かせていたなんて、うっふふ、です。(ちなみに、私たち夫婦はこの地出身ではありません)

で、何を連想したかというと、江戸時代の参勤交代。ものすごい出費で藩は経済的に苦しむ一因だったとか。

で、藩としての体裁があるので、地元の藩内を出るまでと、幕府近くでは大行列を作ったけれど、途中は人数も減らして出費減に努めた、とか。背に腹は代えられぬ。中抜きです。

幕府は多大な出費で、藩が苦しむことには頓着しません。むしろ藩の力を削ぐことになり、有益なのです。

なんだか、共通しているものを感じます。片方の散財は他方にとって痛くもかゆくもないから、相手に対する配慮する気持ちはないのです。

嫁ぎ先の負担にならないように、一生分の着物(和服)を、親元が揃えてやるものだ、だから、歳をとっても着られるように、地味目の着物も準備するんだ、とも。

アッハハ、です。

明治、大正(昭和の初めも)生まれの親たちは、そのセオリーにしたがって、豊かになりだした昭和の時代に、一生懸命嫁入り支度をし整えてくれたのです。

それらが、今、多分、膨大な不用遺産になっている。

ま、そんなものなのでしょう。

刀が必需品、貴重品だったけれど、明治以後は不用品になったように。

刀の鍔(ツバ)などに贅を凝らす技術は、その後仏壇の装飾技術へと転用されていったと聞いたことがあります。だから、豊かになってからは一般家庭にまで、絢爛豪華な仏壇があります。

嫁入り時に和服を1000万円分も持参した、とか聞いたりもしました。たくさん持たせたというのが、鼻高だったのです。

そんな時代に、「借りて、タンスをいっぱいにしたものだ」なんて、庶民の知恵、のような気がして、ほほえましい。彼女の口ぶりでは、自分だけでなく、そんなものよ、と屈託ない語り口でした。

 

文化は、贅沢を競うところで発展するものだから、贅沢もアリ、だろうけれど、そのために、人の心を荒ませたり、悲しませたりしてはいけない。

城郭めぐりをしていると、蒔絵で飾られた嫁入り調度品にも出会う。それらを日常使いしている姫君は、贅沢品には縁もゆかりもない大勢の人たちがいることを知っているだろうか、と、思ったりする天邪鬼です。

 

付けたしに書いておきます。

復元された、二条城の襖絵にも、名古屋城の二の丸御殿の襖絵にも、田植えをしている風景を描いたものがあります。下級ランクの控えの間だったと思います。

建造当時に誰が絵のテーマを指定したのかは知りませんが、「田植えの絵をここに」という配慮があり、描いた人がいたのだと、私の見学記憶に残っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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台風の前に。

2019-08-13 07:08:27 | 庭 8月

テレビから台風の話題が入るたびに、気になるのはバラのこと。

大きく繁茂したツルバラを何とかしないと、悲惨なことになる。

手ごろな誘引先がない。

で、思い切ってバッサリ切ることにした。

育て始めのころは、もったいなくて、剪定もためらいがちだったけれど、もう中堅どころに(8年目)なっているので、「木を痛めるほうがマイナス。元気であれば枝は、また伸びるさ」と割り切れる。実際、この冬の壁面塗装の時は、大々的に剪定しまくったのに、すっかり繁茂。

で、咲いている夏バラも、切り花にして室内に。

他にも。

シャルルドゴール。つい先日まで葉っぱが全部落ちてしまって、暗い気分でしたが、復活してくれました。嬉。

シャンテロサミサト。春と違って小振りです。

その他の花。

千日紅。以前は毎年こぼれ種から育てていたのですが、自然消滅。また、買いなおして、来年のこぼれ種にも期待しています。

ルリマツリ。涼しげな色合い、夏向きです。多年草。これで4年目ぐらいでしょうか。

ヤブラン。小鳥の落し物から育ったと思われます。これも多年草で、手間いらずなので、歓迎です。

マツバボタン。まだ日差しが当たっていないので、花びら全開ではありません。全開の時は太陽サンサンの時なので庭に出たくない。トホホ

10株購入して、挿し芽で増やしたのですが、生育がイマイチ。ポーチュラカにしたほうが差し芽成績は良かったかも。

ほうき草(コキア)。2度目の登場かな。

一度失敗しているので、順調に育っているのが嬉しい。こんなに鮮やかなグリーンを楽しませてくれるのなら、もっとたくさん並べて植えたらよかったかも。こぼれ種でも増えるらしいけれど、発芽したばかりの新芽、判るだろうか。

秋になったら真っ赤に変身するハズですけれど、期待しています。

 

台風を無事にやり過ごせますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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