日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

夏バテ気味の胃腸に、さわやかお漬物。

2019-08-18 10:38:05 | 家政・料理
前記事にも書いたけれど、夫がやっている家庭菜園がある。

今の季節、キュウリ、ナス、オクラ、ミョウガ、シソは揃っている。

食べきれなくて、もったいないこと多し、なのだけれど、もうキュウリの奈良漬はやめた。

即席漬けオンリーにしている。

オクラ、ミョウガ、シソを薄切りにして、キュウリやナス(これも薄切り)と合わせて、メカブ入りの浅漬け塩をまぶして、ストック袋に入れて、冷蔵庫で数時間。
オクラから粘りも出て、食感絶妙。

薄味にしておけば、しっかり漬かった漬物よりも塩分の心配はないでしょう。

これに納豆を加え、冷奴にかけたら、おつまみにも最適かも。

下戸だから、GOODの感覚はイマイチですけどね。

ミョウガやシソが美味って言っているなんて、若くはないですね~。笑


追加メニュー

昨日は、朝食のざるそばのお供に、ニガウリとトウモロコシのかき揚げを作りました。テレビの「山寺の精進料理」という番組でやっていたのを目にしたものですから。
トウモロコシは6本入りを購入して、湯がいてから冷凍しておいたものを使いました。他は全部自家製です。







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あっ、こんな感覚。

2019-08-18 09:54:27 | 庭 8月
手持無沙汰。
「暑いね~」と、友人(バラ友でもある)にメールした。
草取りが追いつかない~、トホホ のメール。

で、「あと5年は頑張ろうね」と書いているワタシ。

庭を始めたころは炎暑の季節でも朝夕に夢中で水やりしていた。地植えのバラにも、如雨露でははかどらないから、大型のポリ容器に水を流しっぱなしにして、そこからバケツで水を汲んでザブザブかけたものです。毎度、庭の端々まで浴槽1杯分ほど。

根が張っていくと、地植えのバラには水やりをしなくてもOKになった。当初から比べれば、なんと楽になったことか。
さらに、2か所の水道栓からホースをひいているので、如雨露に入れて運ぶこともしなくなった。

それなのに、蚊がいる庭に出るのが、ちょっと億劫な時があったりする。
蚊よけスプレーを吹き付けて、蚊取り線香を腰にぶら下げる、という手間が面倒になったり。トホホ

草取りもやり始めると、やった後がスッキリするから、気分がいいのですが、↑ の準備が必要で、先送りにしがち。反省。

液体肥料をやるときの5リットルの如雨露の重さ、バケツに腐葉土を入れて運ぶ重さも、何度も繰り返すことになるので、足腰の痛みに響かないことはありません。

身体がシンドイという現実が忍び寄っているのかも。


実は、先日の山城(苗木城)に向かって、登り始めて数十歩ほどで息切れが酷い。
ホットヨガを頑張って、体力つけているつもりだったのに、負荷がかかる上り坂には効果なしのようです。トホホ
不動滝を見るために、駐車場から川べりへと下るのですが、足がガクガク。「要手すり」状態。自然界ですから手すりのないところもあるわけで、なんと自信なげな足取りに見えることか、と情けない。⇒ 見栄っ張りなんですね~、ワタシ。
景色(流れ落ちる滝しぶき)と足元を8:2で見るところを、下る途中は滝を堪能するどころでなく、2:8で足元ばかり見ていました。
周りの人は、わぁ~キレイ! と声をあげているのに、余裕なし、です。

気持ちが張り切っていても、身体がついていかない。
これが実情で、庭仕事の時間も減少傾向、ということでしょうか。

「あと5年は頑張ろうね」と期せずして、目印を立てた自分。
6年目以降があるとしたら、幸いなことです。

夫は、昨日、果樹園を今年でおしまいにすることにした、と告げました。
休耕田を2枚借りてチャレンジしていたのです。
同時期にナスの栽培を始めた方も、今期でおしまいにするとのことで、歩調を一緒にする、とのこと。
私的には、ほっとしました。頑張ることにブレーキが利かないところがあり、収穫物がなくても、貸してくれている地主さんとの約束だからと、草刈りをして地代を払い続けて草刈りをしていました。
これがなくなると、近場の畑だけなります。負担感が減って楽になることでしょう。

自分の体力を量りながら、不必要な尽力はもったいないですからね。








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来客なしのお盆休み

2019-08-18 05:33:41 | 私の雑感あれこれ
お盆といっても、先祖を祀っているものがあるわけでもなし、近県にお墓があるわけでもないから、真夏の休暇が続いたというのが実感。
かつては渋滞をものともせずに遠距離を車で帰省したものだけれど、今は昔、です。

我が家の場合、子どもたち家族は、みんな遠距離。

私たちの子育ても、同じように親元から離れて家庭を築いていたので、こんなものかとと思うところがあるけれど、近隣に子供たち家庭がある人が羨ましい、という気持ちはある。

小さな孫を預かってみたい。送り迎えしてみたい。

そんなたわいもないことが、あこがれだったりする。

母は、ときどき(月に1度あったかどうか)電話してきたものだ。
同居していた兄夫婦が出かけたから、と。苦笑

電話代が気になるだろうと、一旦かかってきた電話を切って、こちらからかけなおしたりした。
母のたわいもない話。愚痴も混じっていたりもする。
愚痴を聞いても、どう解決もできないので、聞きおくだけなのだけれど、、、。

今、思う。
ひとりしかいない娘(私)と語りたかったんだな~、と。

収穫物や地元の鮮魚、カニを送ってくれたのは毎度のこと。
思えば、いつもいつも、何を送ったらうれしい顔をしてくれるか、そんなことばかりを考えて暮らしていたのだと想像できる。

今の私は、桃、梨、メロンの箱売りを見ても、「送ろうかな。送料込みでいくらかな」と、発想はそこ。苦笑
なにを送ったら喜ぶかしら、と。

日本全国どこにでも売っているのだから、敢えて送料を支払って果物を送らなくても、、、と、自分の中でせめぎ合い。苦笑

あの子たちがきたら、バーベキューでサザエを焼けるね。アワビはどうだろう。まだ孫たちには、お肉やソーセージがいいかしら、と話題にするだけ。(お店には、バーベキュー用の海産物が砕氷の上に並んでいました)

私は滅多に電話しない。

母のように、同居人に気遣いすることもないのに。

日々の生活が続いているであろうのに、取り立てて用件もない電話で中断するのはどうかな、と思ってしまう。
メールで事足りるのも大いにその理由ではあるけれど。

母が電話してきて語った内容、その内容が大事だったのではなく、きっと、私の声を聴きたい、が半分はあったのだろう、と思う。
それを聴いていた自分の心境は、母の切々度とは違った。
だから、きっと、自分が電話しても、かつての自分と同じ温度差があるのだろうと、先んじで想像してしまう。

今の自分は、かつての母。

かつての自分を覚えている私は、かつての母になりたがっているのに、電話の向こうにいるのは、かつての自分だと思うと、なかなかスマホの架電マークをクリックしそびれる。

自分の抱えている問題の吐露をしないで、「元気だよ~」と応え、聞き役だけをしていたから。

きっと、彼女(娘)も、似たようなものかな、と思ってしまうから。




老婆心なのだろうけれど、助っ人できれば、とも思う気持ちはある。苦笑

で、小学1年生の孫宛てに手紙を出している。彼は多読家で計算好きだけれど、文字を書くのが不得手で、超ギクシャク。だから、やり取りをすることで、交流ができたら、と。手紙には、たまたま持ち合わせの商品券があるので2枚(兄弟2人分)ずつ入れている。ちょっと姑息かな。でもいいや。ひとりでコンビニにお使いもできるようになった、というから、おばあちゃんからのお手紙が来てラッキーという笑顔を想像したりしている。



自分には自分の置かれた環境がある。
言い換えれば、その環境しかない。
その環境での生活を充実したものにすることが、自分にできるベスト、だよね。⇒ 自分




















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