goo blog サービス終了のお知らせ 

日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

ニュースで福井日銀総会の国会答弁を見ました。

2006-06-15 23:20:16 | 社会問題
きっと、昨日の晩もずっと、今日の質問を想定して、回答を考えておられたのだと思います。
自分に不利益にならないように回答するのは当然ですから、想定の範囲内の回答ではありました。
だけれど、官僚職を辞して、新たにファンドを立ち上げるという村上氏に賛同して、能動的に出資したのであれば、出資内容についてよくわからないという答弁は、まったく期待はずれです。

確定申告していれば、利益に対する税額は数字としてでているわけで、それが6年間に渡っているのだから、日銀のトップにあって、数字を見ていないでは、余りの『紺屋の白袴』!
ファンドに詳しい人の話では、数ヶ月に一度の報告書が送付されているはずという。
2月に解約の申入れをする際も、運用実績を話題にもしないとは…。
あえてしなかったのならば、逆にその時点で「しまった!」という思いだったのでしょうか。

そして、3月の上旬に、日銀は金融緩和解除を発表(これは、一般的には、株価下落要因らしい)。
そして、本日、日銀はゼロ金利政策解除の延期(多額の国債を発行している国の望むところ)を発表したらしい。
「日銀は合議制だから、自分ひとりで決めたわけではない」と、福井氏はおっしゃったけれど、上司のピンチなのだから暗黙の了解の世界だと思われてもしかたないですよね。

なんだか、ここまで並べてみると、従来の高級官僚の汚職のケースとの違いを言うのが困難になってきます。
以前、数千万円の贈与を受けていても「贈与税を申告すべきだとは知りませんでした」と、回答された大蔵省のトップクラスの方がおられました。
職業意識はどこへ?と思ってしまいます。

昨今は、年配者の中にも、若手起業家に対して、評価すべき部分は評価なさっている方々が見受けられるので、福井氏も御同類かと期待していました。
少し違ったようです。
残念です。
本日福井氏の示された態度は、「利益が出ているのであれば、自分のためには使わない」ということ。
その影響が大きすぎるから、「不用意だった」と発言することも控えていらっしゃるのでしょうか。
騒ぎになっていることをお詫びするだけで、総裁の立場でファンドで資金運用していたことについては、無問題だというお考えなのでしょうか。
すっきりとした回答で、「さすが!」と、感心することもあろうかと思っていたものですから、少し残念です。
今後、利益額を公表されるとのことですが、きっと蜂の巣をつついたような騒ぎになるでしょう。
ご愁傷様です。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『火のない生活』

2006-06-15 07:26:52 | 私の雑感あれこれ
テレビの某電気会社のコマーシャルです。
台所からガスレンジが消えて、電気で調理。
だから、「袖先が火に近づいて引火するということはない」と、テレビ場面は説明しています。
「うーん。なるほど」
でも、でもですよ。生まれたときからこんな家だったら、「台所に火がある」「火力でお湯を沸かす」って感覚がそもそもない人(子供)になるわけですよね。
「うーん。」
子育て終了した我が家であれば、火の不始末がなくなるから、「火のない生活もまた良し」だろうけれど、これから育ちはじめる場合は、これでいいのだろうか。
そんなことを思ったりします。
「火を使えるようになった」ことが、人と動物とのくっきりとした分かれ目だと教わったのに、ここまで文明が発達して「火のない生活」とは…、と天邪鬼氏は思う(笑い)。
そりゃ、100年前の人が「炊飯器のスイッチひとつで、朝ご飯が出来上がる」ことを知ったら、びっくりするだろうし、夏の暑いときに、窓をビシッと締め切って冷房する姿にも驚くに違いない。
こうして、考えてくると、「えっ!」「まぁ!」の連続で、今に至って、そして「火のない生活」というところまできている。
テレビによると、もう多くの家庭がそうなっているとか。
「火」から遠い生活になっているのですね。
咄嗟のときの危険への対処の仕方、危険なものの扱い方を身に付ける機会を失うことにもなるようで、ちょっと気にはなります。

― 余談 ―

昔、子供が3年保育の幼稚園に入ったばかりの頃の話
ある日、幼稚園から帰って息子が訴えます。
「先生が反対のことをしている。幼稚園の鶏が産んだ卵を先生が冷蔵庫に入れたの。温めないと死んじゃうよ!ママ、先生に教えてあげて」と。

3歳か4歳で、身に付けた感覚。
きっと、「火は危ない」も、こんな年頃から、身近で覚えていくものであろうと、そう思ったりするものだから。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

T.F 氏の日記 つづき

2006-06-14 21:07:44 | 社会問題
注)T.F氏は、なかなか寝付けないらしく、日記につづきもあるようです。

政権政党の人たちは無問題って、一応とがめだてはしなさそうだけれど…。

と、先程はは書いたけれど、国側には思惑があるらしいと、これも新聞が書いていた。
その思惑とは、「日銀に恩を売っておく」と、国政運営に好都合だと。

今、国は多大な国債発行で、その利払いに苦しんでいる。
ボクが、昨今言い出している「そろそろゼロ金利解除」。
これが実施されると、当然、政府が発行している国債の金利もアップとなり、国の負担がますます増大する。
そこで、今回のボクの責任について、無問題として、「恩を売る」ことで、「ゼロ金利解除をいましばらく先延ばしして欲しい」という思惑が含まれているのでは…と。

ゼロ金利政策で、預金者が受け取るべき預金利息約300兆円が銀行に滞留することで、不良債権に押しつぶされそうだった銀行は立ち直った。
そろそろ本来の形にと、思っていたところなのに、国から日銀のトップであるボクが「恩を受ける」という形のつながりは作っては、日銀本来の仕事が果たせなくなる。
とすると、今回の問題は、首相をはじめ皆さんが、責任はないと、いってくださるから、そのままでいいという問題ではない。
あぁ、思考は堂々めぐり…。
というか、おもむろに、向かうべき方向に収束していくということか。

「ノーブレスオブリージ」「ノーブレスオブリージ」( 高い地位に伴う道徳的・精神的義務 )

こうして、繰り返し考えめぐらしていくことで、自分の納得する道、選択すべき道がどれか確かになるというものだ。
まだ、朝までしばらくある。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

T.F 氏の日記

2006-06-14 15:14:28 | 社会問題
注)この日記文は空想壁のある仲間の猫から伝え聞いたもので、確かなものではありません。

2006年6月14日 晴れ

連日の株価の下落。ゼロ金利政策解除の時期はなかなか微妙だ。
そんなところに、ボク自身の問題が国会で取り上げられて、さて、困った。
確かに、あの時M君がファンド設立の主旨を説明してくれたときは、この国にも、それだけの気概を持った若者が出てきた、応援したいと、ボクは思った。
その後の会食で、賛同者が集まらないと、M君はぼやいていた。
市場がどんどんグローバル化する時代になっているから、理論に裏打ちされたM君のようなリーダーがどんどん日本にも出てきて欲しいとボクは思っていた。そうでないと欧米ファンドに席捲されてしまうという危惧感もなかったわけではない。
だから、その時N総研の理事長をしていたボクは、周りの仲間らも募って、1000万円出資したんだ。
その後は新聞にも、元通○省官僚のMファンドという肩書きで、しばしば見かけるようになり、元気な彼らしいと思っていた。
毎年の出資金についての報告を受け、利益に対する税金は数十万円、分離課税でおさめていたから、実績もさすがだと思っていたのだが…。
1月中旬、LD問題で検察が動いてから、彼らの周りの資金繰りがマスコミにアレコレ流れ出した。
「万一、Mファンドに飛び火してはこちらにも迷惑」と思って、早速解約の申入れをしたのが2月。
速やかに関係を解消したいのに、出資金が戻るのが6月とは、歯がゆいものだ。
5月になって、M君が居を外国に移すと話題になった。
いよいよ、何かあやしいことでもあったのだろうかと、疑心暗鬼にもなった。
連絡することもないからボクは知らない。
そして、M君は、まもなく逮捕された。
主旨に賛同して出資したのはN総研にいたときで、公の仕事についてからは、まったく関わっていない。
あぁ、もっと早く解約しておくべきだった。
でも、毎年利益が出ているとの報告をうけ、利益に対する納税申告していたから、利益を受け取っていないといえるだろうか。
ボクの立場では利益に対する納税までしていながら、知らなかったとは言えまい。
昨日、利益は寄付するつもりだったと答弁し、そしてそれが今朝の新聞に載っていたけれど、あれで国民の了解は得られるだろうか。
民主党のO党首も、責任問題に…、なんていっている。
政権政党の人たちは無問題って、一応とがめだてはしなさそうだけれど…。

もし、第三者から相談を受けたとしたら、ボクはきっと、こう答えるだろう。
「李下に冠を正さず。キミの発言の発言ひとつで株価が上下するという重要な役職につくのだから、就任するのであれば、ファンドは整理すべきだね」

なんで、あの時、そうしなかったのだろう。
官僚を退職して、颯爽とファンドを立ち上げると説明してくれたM君へのエールの気持ちが、心の隅に残っていたんだね。
不誠実な弁解はしたくない。
M君のファンドの利益を当てにしていたわけでもない。

ひとつひとつ整理して考えてみても、あの就任したときに、「清算する」ということが何故頭に浮かばなかったのか、その自分自身が悔やまれる。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テンプレートまた、変えました。

2006-06-13 07:15:37 | その他
gooのブログに素敵なテンプレートが加わったものです。
早速、弊ブログ変身!
コロッセオの内側から、わずかに茜を帯びた雲が流れる景観は、心憎い工夫です。

このブログをはじめたのは、去年の3月。6日間のローマ・フィレンツェ旅行から帰ってまもなくでした。
ローマの街もしっかり記憶にあります。ちょうど日曜日でした。半日観光コースで回ったのですが、それなりに大きなデモがあり、何度も観光バスは立ち往生。
予定通りに進行できずに、このコロッセオの前で解散になったのです。
フリーになったものだから、コロッセオに入場、それで、内側も巡り歩いています
お天気がよくて、眺め最高でした。
それでも地下の深い溝に待機していたのは、戦う人だったのか猛獣だったのか、2000年前を想像するものだから、複雑でもありました。
その後に、歩いてフォロー・ロマーノをまわり、カラカラ浴場までも、テクテクと歩いたものです。「すべての道はローマに通ずる」の、あのローマを歩いているということに感慨が一杯でした。その道のどの石畳も、長い年月で見事に角が磨り減って、現在の状態では馬車道としてはでこぼこで困難です。あれでは、馬も怪我をするだろうし、ガタガタとお尻が痛くて無理。
ローマは、あっちこっちに「古代」が顔を出していて、平和な今は観光産業の街なのでしょう。地方のイタリア人にとっても、ローマは観光の地らしく、日曜日にデモにやってくる人たちも、午前はデモ、午後はローマ観光をして帰ると、ガイドさんの説明(笑い)。
統一国家イタリアになったのは明治維新の少し前。
それまでは各州ごとに統治されていたわけだから、江戸の殿様が譜代・外様の各藩にも目を光らせていた日本の事情と随分違うのでしょうね。
コロッセォの画面から話があちこち散策して、とりとめもない文になってしまいました。

(追記)コロッセォは世界中から観光客がくる超観光地なのに、中には(簡易設置されたような)トイレが一箇所しかなく、長蛇の列。日本ではありえない。
つまらない話ですが、これも感想です。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村上世彰氏の価値観

2006-06-11 08:59:43 | 社会問題
逮捕されたら次々と関係筋からの情報が流れてくるようで、この情報を鵜呑みすべきではないのでしょうけれど、テレビ報道を通して知る村上氏をみて、「えっ!」と、軌道修正する人も多いのではないでしょうか。
「小学生の頃から会社四季報が愛読書で、株式売買をやっていた」
そのご人が、大成功をおさめたとなれば、我が家の教育姿勢にも…、とお考えになった家庭もあったのではないでしょうか。
私的には、そんな風潮が出てきそうだったところに、早めに水を浴びせたことが、この逮捕劇のプラス効果だったように思っています。
アメリカのどこかの学校では小学生でも株式売買の勉強を…、なんて記事を目にしたこともありました。
株式売買を幼い時からはじめた村上氏が英雄視されていたら、そんな教育方針も大手を振ってまかり通るようになったでしょうけれど、ちょっと水入りになって、世の中にとってはよかったと、そう思います。
生まれてから、10年目、15年目頃は、まだ人としての基本部分の体験を優先すべきだと、そう思っているものですから。

関係筋から一方的に流れてくる情報を、どれだけ信じていいか、それはそれで疑問でもあるのですが、村上氏の価値観、思考回路、優先順位、これらは「子供のときから株式売買をやりながら育った人」である功罪のように思えたりします。
村上氏の生き方をとやかく言うことではないですが、片隅にいる案山子には魅力的には思えない、そう思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月の夕暮れに

2006-06-09 07:29:45 | その他
6月は夕暮れがゆっくりやってくる。
昨日、仕事から帰り、ガレージに止めた車から出たところで、電線にふと目がいきました。

あれ?
ひょっとして。
確かに。
しかも胸元には産毛が残っている。
巣から初めて飛んでこの電線に止まったのでしょうか。
不自然なくらいぴったりと肩寄せあっているツバメの幼鳥。
2羽の顔は見えて、1羽は尾。
3羽の幼鳥、通りを見下ろして何を想っているのか。

いつの間にかツバメがやってくる季節になっていたのですね。
もう一番バッターの雛鳥たちが飛び立つのでしょうか。
そういえば曇り空。
「ツバメが低く飛ぶときは雨が近い」
そんな言い回しを思い出し、そういえばツバメは雨時のこの季節を日本で過ごすと合点。

インターネットが普及し、世の中様変わりなのに、ツバメの季節は変らない。
「すっかり変った」が溢れている世の中で、変らないものに出会って、ココロが「くふっ」と笑っていました。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米原万理さんの訃報を聞きながら

2006-06-08 07:29:03 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
先月新聞で、米原万理さんの訃報を目にとめながら、ここ何日か慌しく過ごしていて書けず、今日ブログに。
と、断ってみても、たいしたことを書くほどの中味も持ち合わせていません(笑い)。
私が読んだのは「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」と「オリガ・モリゾウナの反語法」の2冊だけ。
彼女、結構ユーモア路線の本も書いていらっしゃるというのだけれど、私が読む量が多いほうでないこともあり、この2冊。
両方とも★★★★★。

「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」
彼女の体験してきた、1960年頃のプラハの町を想像しながら読んだものです。彼女と同い年で、私も、その頃まだ先進国ではなかった日本の木造校舎の小学生だったから。
ベルリンの壁が崩れてからは、鉄のカーテンはどこかへいってしまったけれど、私達が学んでいた頃は、ソ連とそれを取り巻く東欧社会は、西側諸国と対峙するも共産圏として、教えられていました。その中に過ごしていた彼女の少女時代。私たち多数者側から見たら、彼女の日常は独特です。その体験を子供の目で伸びやかに、人を個性をもったひとり一人として捕らえられており、読みながらワクワク感を味わったものです。白い都(当時のユーゴスラビア)のヤースナさんは、まだお元気なのでしょうか。米原さんの死は多分連絡が行っているでしょうね。あの壁はもうないのですから。

「オリガ・モリゾウナの反語法」
彼女のはじめてのフィクションと、銘打ってあるけれど、これも迫力満点。というか、スターリン時代の鉄のカーテンで、漏れてこなかった共産圏の人々の送っていた厳しい現実の物語化です。
私たちはナチスの行為を知っているけれど、スターリンの時代は特に興味がない人にはそれほど知られてはいません。強制収容所送りになった女性が、何とか命を永らえて、行方知らずの姉妹の名をかたり、過去に口を閉ざして生き通す強さ、東欧生活を送った彼女が書かなくてはならないソビエトだったのでしょうね。
余談ですが、北ベトナムの指導者ホーチミンも、彼の本名でなくて、死んだ友人の名前だったと聞いたことがあります。
諜報活動が手厳しい最中、ギリギリのところで生き延びてきた人たちにとって、名前よりもなによりも、落命しないための手立てだったのですね。

さて米原さんのこと。テレビにも登場していらっしゃったとかですが、残念なことに余り、そこでの彼女は知りません。父上が社会主義者(共産党の国会議員)の理論家ご夫婦の家庭だったことと、あと妹さんが井上ひさし夫人だということなど、少ししか知りません。
これからボチボチ彼女の他の本も読んでいきたいものですが、もう故人になってしまっているかと思うと、「ちょっと、早すぎるわよ」と、文句を言いたくなりそうです。

そして、彼女の訃報に接したとき、もうひとりの人を思いました。
「ゆっくり東京女子マラソン」の故干刈あがたさんです。
彼女の本も2、3冊程度しか読んでいません。
なんで、連想したのだろう(多分脈絡などないのに本当の個人的な癖です)。
きっと、私の中で、アンテナが反応していたのでしょう。
彼女らが、これから「どんな風に生きていくか」知りたかった人たちだったからと。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

社会保険庁の話、新聞報道は続いています。

2006-06-07 11:37:28 | 社会問題
今、国民健康保険の代筆免除申請が問題視されています。
先日も同じ話題で書きました。
上からの納付率改善を命じられて、苦肉の策として、免除申請の偽造。
長らく国民健康保険の納付率が悪化の一途をたどる対策として、トップ人事に民間人を起用、損保ジャパンの幹部が抜擢されていたのでしたね。
トップが民間出身者に替わって、徴収目標が厳しく徹底されたから…、この結果。
時を同じくして、損保ジャパンのほうも、保険加入者が納めるべき保険料を社員が納めていた事実が発覚。
どれも、根っこのところは同じように思えます。数字をよくするためにハッパをかける。
考えてみてください。
仮に手取り15万円程度でアパート暮らしをしている場合、何十年も後になってもらえる年金の掛け金を他の出費に優先して納付しようと考えるでしょうか。
1ヶ月滞納であればまだOKです。半年1年となると、そのお金は捻出困難な額になっています。
トップに立たれた人は、この月額15万円程度の暮らしを想定されたのでしょうか。
納付率を上げるというノルマを課せられての抜擢だったのであれば、このトップの方をあれこれいってもお気の毒なのでしょうか。
誰が、担当者なのかわかりません。
制度として破綻しているからと、レッドカードを出して、最低限度の生活を保障するための他の方法を検討することにならないのでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内々の話だけれど、我が家用の記録として

2006-06-07 10:28:05 | 子育ての周辺
深夜1時台の息子からのメール。
初めて主治医として自分が執刀して手術をしたとのこと。
上の医師に見守られながらだったけれど、イメージトレーニング通りにできて、無事終了。患者さんに感謝されたと、メールの文字は伝えていた。
遠隔地で、白衣姿は見たことがないけれど、この春研修医を終えて、これはきっと彼の生涯の記憶に残ることになるのでしょう。

その昔、園児服姿の誇らしげな表情は忘れない。
「幼稚園でみんなで縄跳びしたんだ」
「『できるところまでやり続けなさいって』言われて、何回飛んだと思う?」
笑いがこぼれそうな顔でそう言う。
「うーん、えーとね」
「200回!」
「『ずっと続けて』といわれたけれど、飛んでいる人、ボクひとりになって、200回で止めちゃったの」
縁側にいる母親に報告してくれた日を忘れない(本人は覚えていないだろうけれど)。

「近所の人がね、グループで社会見学で裁判の傍聴に行ったら、『裁判官席にいたのが、お宅の息子さんだったのでビックリした』っていわれた」
25歳の左陪席裁判官。
近所の人の言葉に、裁判官に育った息子を持つ母は、さぞ、子育ての喜びをかみしめたのだろうなと、今つくづく思う。
あの時、傍で私の耳にも聞こえたけれど、子育て経験がなかった私とは格段に違う、喜びが沸いていたのだろうなと、後になって、自分が子育ての年季が入ってくると察せられるようになった。

夫の母に
「子育て中はね、誰でも、自分の子が天才じゃないかと、3回は思うものだって」
私が子育てスタート時代にいわれたことがある。
自分に言い聞かせていたのだろう。

ウーン、3回か…。
そんな話を語ったことがあるものだから、
「お母さん、もう3回思ったから、もういいでしょ」
そういった子供もいた(笑い)。
そして、我が家の子供達は、右にゆれ、左にゆれ、しながら育っていった。

そのひとりから『イメージトレーニングどおりの手術ができた』とのメールが届いて、園児服姿を思い出すのだから、母親って可笑しい。
リリーフランキーの『東京タワー』で、泣いたところ2箇所あったと、以前に書いたけれど、その2箇所目に免じて、これを書く。
我が家用の記録として。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする